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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
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42 白紙と迷惑

 ジルをはじめ、騎士ではないナリトとルーファスも横一列に並んでいた。岩のごとき恰幅から発せられた号令は、今もビリビリと鼓膜に張りついている。


「大方のことは他のヤツ等から聴いた。デリック!」

「はっ」

「来年の副隊長昇格は延期だ。――返事は!」

「はい……!」


 それではエディの従卒はどうなるのか。うなだれるデリックに視線を向けた後、ジルはすがるようにウォーガンを見上げた。それを察したのか大きな手は、ジルの頭をぽんと叩いた。


「デリックの謹慎が解けるまで、エディは俺が預かっとく。安心しろ」

「良かった……ありがとうございます。ウォーガン様」


 ジルは愁眉を開いた。自分のせいで弟の頑張りを台無しにしてしまうのではないかと心配だった。ジルから離れたウォーガンは再び声を張り上げる。


「ラシード!」

「はっ」

「副隊長なら部下を抑えろ! 戦場復帰は見送り。第五に戻るまで部下の指導につけ」

「「「「「「「「「「えっ」」」」」」」」」」

「承知致しました」


 一段と低くなっているラシードの返事に、悲鳴のような声がいくつも重なった。今後行われるラシードの稽古を想像したのだろう。近くにいた騎士達は戦々恐々としている。思わぬところへ飛び火してしまい、ジルは心のなかで謝った。


 騎士二人に沙汰を下したウォーガンは、大神官二人の前に足を運び頭を下げた。慌ててジルもそれに倣う。


「私の部下、並びに義娘が大変ご迷惑をお掛け致しました。今後、お二人には関わらぬよう言い聞かせておきます」

「演習場に押しかけた我々が発端だ。行動まで制限する必要はありません」

「お二人ともどうぞ顔をお上げください。お詫びするのは僕達のほうです」

「しかし……」


 顔を上げたウォーガンは難しい顔をしていた。憂いを帯びた焦茶の瞳はジルを見たあと、大神官に移った。


「お断りしたと部下から聞き及んでおります」

「デリック卿の件も含めて、私は全てが白紙になったと認識しています」

「もう一度、機会を頂けないでしょうか」


 ウォーガンがまたジルを見た。その瞳には若干の呆れと疑問が含まれている。ジルは小首を傾げた。何故そんな目で見られているのか分からない。


「ジル、神官試験に合格したらどうするつもりだ?」

「教会の差配に従います」


 今は騒動の処遇について話していたはずだ。どうして自分の進路の話になっているのだろうか。ジルの頭には疑問符が浮かんだ。


「これでも宜しいと?」


 ウォーガンの問いに、ナリトとルーファスは構わないと返していた。ジルを置いて進んでいた話は、そこで決着した。


 ◇


 演習場で解散となり、ジルは団長の執務室に通された。応接用のソファに座るよう促され、大人しく腰掛けたジルはじっと待っていた。


「風の大神官様からも誘いを受けてたのか?」


 正面に座ったウォーガンが深いため息を吐いた。重ねて、いつ頃だと問われる。


「二日前に。リングーシー領も選択肢に加えて欲しいと」

「デリックからは?」

「昨日です。でも私は未成年なので、来年また申し込むというお話でした」


 報告の遅れをジルは謝った。それにウォーガンは手を振って返し、反対の手でこめかみを抑えた。


「水と風の大神官様、デリック。この三人に何かした覚えは?」

「……特別なことは何も」

「だろうな」


 訊く前から答えが分かっていたのか、ウォーガンの反応はあっさりしていた。猶父は思案するように焦茶の目を眇め、口を結んでしまった。


 ――団長職で忙しいのに、負担をかけちゃった……。


 これまでジルはウォーガンの邪魔をしないよう気を付けていた。姉弟を引き取ったこと自体が、大きな負担であったに違いないのだから。


 剣の稽古も加わった今、これ以上迷惑をかけてはいけないと、ずっと自分に言い聞かせていた。


「お仕事の邪魔をして、ごめんなさい」


 いつもの声量で発したつもりだったのに、耳に入った音は消え入りそうなほど小さくなっていた。ジルはウォーガンに向ける顔がなく俯いた。自分の髪が視界を埋めて、握り込んだ手と神官見習いの法衣しか見えない。


 灰色の視界に影が差し、ビクリと肩が震えた。ジルは咄嗟に頭を両手で庇う。


 ――っぶたれる……!


 しかし待っても衝撃は襲ってこなかった。


 恐る恐る腕のあいだから様子を窺うと、目の前にウォーガンの顔があった。声も出ないほど驚いたジルは、思わずソファに乗り上がってしまう。距離をとろうとソファの上で膝を抱えて小さくなった。


「大丈夫だ、ジル。俺は何もしない」


 ウォーガンはジルと同じソファに座り、軽く両手を広げていた。そのまま動かず、穏かな眼差しをジルに向けている。


 どのくらい、そうしていただろうか。


 目の前にある顔は、眦が吊り上がっていない。甲高い声で、叫ばない。役立たずな自分を、ぶたない。知らず浅くなっていた呼吸が、少しずつ戻っていくのが分かった。


「相談に来い」


 ゆっくりとウォーガンの手が差し出された。ごつごつとした手のひらをじっと見詰めたあと、ジルはそろそろと指先を伸ばす。


「俺はお前の親だ。いつでも時間を作る」


 ウォーガンの言葉に指先が跳ねた。無意識のうちに戻そうした腕を大きな手に掴まれ、抵抗する間もなく引っ張り込まれた。


「だから、泣くまで一人で溜め込むな」


 自分よりもずっとずっと大きな体に包まれて、滲んだジルの視界は何も見えなくなった。

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