35 保護と幽閉
長椅子の中央に座っていたジルは左端に寄った。すると、ルーファスも同じように移動してくる。
「離れ過ぎると説明しづらいですから」
組織図はすっぽりと二人が隠れるくらい大きい。そんなものなのかな、とジルは納得する。
「三百年前の物だと言ってましたけれど、今と変わっていないのですか?」
「根幹は変わっていませんね。今日は神官試験の範囲を説明しましょう」
ルーファスは組織図を持っていない方の手で指さし、順に役職の説明をはじめた。
頂点に主である女神ソルトゥリス、次は聖女。聖女と同等の位置に、教会の最終決定権を有する教皇が記されている。他にもジルの知る役職が並んでいた。
「教皇の法衣は深紫です。教皇を補佐する総大司教は深緑。これを基点に覚えると分かりやすいです」
教皇は教会の運営、監督が主となり、総大司教は儀式を担当している。対して、枢機卿は各領地の公務を担っていることから、総大司教よりも立場は下となる。ただし、教皇の職務と近いため法衣は薄紫を着用している。
「枢機卿は、総大司教と大司教の間……法衣は……」
組織図には法衣の色まで書かれていない。ジルはじっと耳を傾けた。教えてもらった内容を忘れないよう、何度も復唱する。しばらく組織図とにらめっこをしていたジルは、見慣れない職名をみつけた。
「風の大神官様、ここにある親衛隊というのは?」
隣に座ったルーファスは、にこりと微笑んでいた。若葉色の瞳が、木漏れ日のように光った気がした。喋らないルーファスに、ジルは疑問符を浮かべる。
「風の大神官様?」
「今は二人しかいません」
呼び方のことを言っているのだと分かった。
書庫内には人の気配がある。しかし皆遠慮しているのか、長椅子の周囲にはジルとルーファスの二人しかいなかった。それでも耳をすませば話し声は聞こえるだろう。そのことを伝えようとジルは口を開いた。
けれど。期待に目を輝かせているルーファスを認識してしまえば、断れなかった。なるべく他の人に聞こえないよう、ジルは小さな声を意識する。
「リンデン様、親衛隊とはなんでしょうか?」
「はい。これは、聖女様が指揮権をもっていた騎士団です」
ジルの視界は、喜色に染まっていた。ルーファスは微笑みながらジルに説明を続ける。
曰く、かつて聖女は自らが戦場に赴き、親衛隊とともに魔物を討伐していた。聖女は老いないけれど、死なないわけではない。負傷すれば命を落とす危険があった。そのため、いつしか聖女は戦いから遠ざけられ、教会の深部で護られるようになったそうだ。
親衛隊は近衛騎士と名を変え、リシネロ大聖堂や聖女の身辺警護を行っている。
「魔素を浄化できる唯一の御方ですから、保護を最優先としたのでしょう」
ざらり、とジルの心に這うものがあった。
戦場への同行が任意であったのかは不明だけれど、少なくとも三百年前の聖女には自由があったのだ。幽閉と同義の現状に、ルーファスも思うところがあるのだろう。説明する声は真剣なものに変わっていた。
「僕たち大神官は浄化の力を補強するほか、聖女様の御心を慰める役目も担っているのです」
――それでゲームの攻略対象は、大神官様が多いんだよね。
「とはいえ、今代の聖女様には、幼少より懇意になさっていた護衛騎士様がお傍にいましたから。大神官が参向する機会は少ないのです」
年に一度の大神官総会であっても、滅多に姿を現さない二人を思い浮かべたのだろう。ルーファスは八の字に眉を下げて笑んでいた。
「他に訊きたいことはありませんか?」
「ございません。ありがとうございました、リンデン講師様」
「講師?」
「はい。とても勉強になりました!」
満面の笑みで感謝の言葉を伝えると、ルーファスは面映ゆそうに目を細めた。広げていた組織図が、ジルの手からするりと消える。歴史的価値のある古紙は、ルーファスによって丁寧に折りたたまれ、箱のなかに収まった。
「ジル嬢の講師も魅力的なのですけれど……」
組織図を書棚に戻したルーファスは、再び長椅子に腰掛けた。ジルは言葉の続きを追って、顔を横に向ける。
「リング―シー領で、宿屋なんていかがでしょうか?」
至近距離で視線が絡んだ。ルーファスはまだ自信が持てないのか、探るような声音だった。




