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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
33/318

32 姉と屁理屈

視点:エディ

「おい、どうした! どっか怪我したのか!?」


 エディは男性の上擦った声を聞いた。


 今朝、出ていく姉の陰に剣がみえた気がしたのだ。嫌な予感がしたエディは、午後講義が終わると同時に第二神殿騎士団の演習場に向かった。


 熱の下がりきっていない体で全力疾走したため、呼吸がつらかった。それでも騎士達をかき分けて人垣の中心に足を進めた。ひらけた視界の先では、姉が赤茶髪の騎士に抱えられていた。


「ねっ……エディ!」


 咄嗟に姉さんと叫びそうになった。横たわる姉のもとへ転び出る。姉をささえた騎士が何か言っていたけれど、右から左に通り過ぎた。顔に耳を近づけて呼吸を確認する。首や手首に手をあてて脈をみる。体温は低かったけれど、確かに感じる脈動に深く息を吐いた。


「寝てるだけだ。安心しろ」


 落ち着いた声音に顔を上げれば、深緑の瞳が覗き込んでいた。その顔にエディは見覚えがあった。先日、三人の従卒から助けてくれた騎士だ。エディを見たデリックは、呆気にとられたような顔をしている。


「お前たち双子か?」

「いえ……弟は三つ下です」

「そうか。その恰好は神官見習いか」

「はい」


 物珍し気に姉弟の顔を見比べたあと、デリックは姉を抱えて立ち上がった。縦抱きにして、自身の体にもたれ掛からせている。どこに行くのかとエディは一歩近づいて、デリックを見上げた。


「ここじゃ体が冷えるだろ。救護室に連れて行く」


 まずいと思ったエディは咄嗟に騎士の服を掴んでいた。寝ているだけとはいえ、救護室に行けば診察を受けるかもしれない。そうなれば入れ替わりが露見してしまう。服を引かれたデリックは足を止めて、エディを見下ろしている。


「弟は、昨日あまり寝ていなくて……。明日も仕事があるので、部屋で休ませます」


 姉を起こそうと、エディは眠る背に手を伸ばした。が、デリックにその手を止められた。


「さっきまでウチの副隊長と手合わせしてたんだ。疲れてるだろうから連れてってやるよ」


 手合わせと聞いてエディは息が詰まった。一見して分からないだけで、どこかにケガをしているかもしれないと思えば、一刻も早く帰りたかった。そばに落ちていた長剣を拾い、エディはデリックを寄宿舎まで案内した。


 ◇


 いつもなら鍛練をしている時間に姉は目を覚ました。


 寄宿舎まで騎士を案内する間、エディは気が気でなかった。入れ替わっていることには気付いていないようだったけれど、デリックは終始にこやかだったのだ。時折吹く風が寒かったのか、姉が首へすがりつくように動けば、それは一層顕著になった。


 ――僕の恰好であれは、やめて欲しかった。


 姉と毎日報告を行っているエディは悟っていた。水の大神官はその好意を隠しもしないし、風の大神官もそれに近い感情を抱いている。そこに神殿騎士が加わったのだ。なぜか弟である自分の姿で。頭を抱えたくなった。


「ごめんなさい」


 そんなことを露ほども知らない姉は、寝台の上で身を起こし眉を垂らしていた。大きなケガはなく、背中に負っていたかすり傷は聖魔法で回復済みだ。


「危ないことは、しないって」

「だからエディの恰好で」

「それは屁理屈」


 エディは姉の言葉を一から十までは信じていなかった。けれどまさか、騎士団に乗り込むとは思ってもいなかったのだ。もう入れ替わりができないように、髪を切ってしまおうかと考える。


 ――そんなこと、しないけど。


 無意味だとすぐに切り捨てた。自分が髪を切れば姉は躊躇なく揃えるだろう。エディは背の中ほどまで伸びた姉の髪を手にとり梳いた。さらさらとした感触に、小さな粒が交ざっている。


「浴場はもう、閉まってるから……お湯、貰ってくる」

「私も」

「姉さんは、そこで待ってて」

「……はい」


 エディは食堂へ行き、お湯と作り置きのパンを貰った。自室に戻れば姉は、出た時と同じ格好のままで大人しく待っていた。


 姉を寝台から出して髪をはらう。服も適当にはたいて、寝衣に着替えるよう促した。着替えのあいだ退出していたエディは、姉の呼ぶ声で部屋に戻った。


 白い湯気の立つ桶にタオルをひたし、固く絞ったら髪をぬぐう。姉はされるがままだった。昨日の自分と入れ替わったようだと、エディはおかしくなった。


 ――この後、何をしたっけ。


 髪や腕、足をふき終えたエディはタオルを置くと、姉の背に腕を回した。先ほどまで寝台で眠っていた体は、あたたかい。


「どうしたの?」

「……僕も、心配なんだ」


 昨晩の再現をするだけのつもりだったのに、思った以上に声がかすれてしまった。頭のてっ辺から首元にそって、姉のやわらかな手が髪を撫でた。宥めるようなやさしい手に、エディは瞼を閉じる。


「ごめんなさい」


 耳元で囁かれた姉の声には、嬉しさが滲んでいた。

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