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傾界の聖女  作者: たま露
【救世の魔女】
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風の領地:贈るのは真っ白な

 教皇から待命という名の休暇を指示されたルーファスは、リングーシー領に戻っている。期間は半年だというから残り二ヶ月程度だ。


 ジルはルーファスを追いかけて、ひつじの寝床に宿泊していた。


「ご迷惑にならないよう、屋根裏部屋に移ります」

「うちは何日でも大丈夫なんだけど、本当に一ヶ月分先に頂いちゃっていいの?」


 観光で各地を巡っており、メルセンの町が気に入ったので続けて滞在したい旨を告げれば、女主人であるルーファスの母親は快諾してくれた。


 ジルに限らず最近は領地間の往来も活発になっており、評判のいいこの宿屋は毎日のように客が入れ替わっていた。


「はい、と言いたいところなのですけれど、実はご相談があって」


 旅の資金が心もとないため宿代を少し安くしてほしい。その分、雑用でもなんでも手伝う。教会領で働いていたこともあるから、料理以外なら一通りできるとジルは自身を売り込んだ。


 本当はお金には困っていない。忙しそうな宿屋を手伝いたいのが四割、もっとルーファスと話したいという下心が六割だ。


「あら、そうなの!? いつもお願いしてる人は来月からだから助かるわ~」


 そうしてジルの宿代は半額になり、おまけに三食無料という待遇になった。


 宿泊四日目の朝食後、ジルはさっそく二階の客室へ向かった。木目があたたかい、手入れの行き届いた室内の窓をあければ、ほのかに冷たさの残る風が入ってきた。


 ――花のお祭りは来月だっけ。


 古いシーツをはがし、新しいもの敷く。しっかりと皺を伸ばしており込めば、ピンと張った寝台の完成だ。晴れの日は上掛けを干すということなので、廊下にある車輪付きのカゴに入れた。これがふかふかの秘訣だろう。


「すみません、遅くなりました」

「とんでもないです。お見送りお疲れ様でした、ルーファス様」


 足早に駆けてきた宿屋の一人息子は、申し訳ないとばかりに眉尻を下げていた。


 昨夜、風の大神官様と呼びかけ挨拶をしたところ、今は休暇中だからできれば別の呼び方にして欲しいと言われたのだ。ならば家名で呼べばいいかと尋ねれば、ここには三人いるよとルーファスの両親にからからと笑われ、今の呼び方に落ち着いた。


 ――でも、目は落ち着かない。


 神官をお休み中のルーファスは法衣を着ていない。シャツにベストという一般的な服装なのだけれどジルの目には新鮮で、誰よりも好青年に見えた。


 しかしずっと見ているわけにはいかない。ジルが拭き掃除を始めると、視界の端でルーファスが感心したように頷いた。


「さすがですね。改めて説明する必要はなさそうです」


 視線は寝台に向けられていた。宿屋の評判を落とさないようにと頑張ったから、褒められて嬉しい。


「コツを教えていただいたんです。シーツをかけた時に、しっかり皺を伸ばしておくんですよって」

「僕も父からそう教わりました。場所は違っても手順は同じなんですね」


 一緒ですね、と二人で微笑みあった。それからジルは、掃除は自分がするから空室の上掛けを回収してほしいとルーファスに頼んだ。


 ――ここからだ。


 いちから関係を重ねていこう。茶色の髪とジリアンの名を選んだのは、自分なのだから。


 ルーファスと分かれ、半数の客室をまわって確信した。上掛けの回収どころか、シーツもすべて綺麗なものに換えてくれたらしい。気を遣ってくれたのだろう。その礼を伝えに洗濯場を訪れたジルは目当ての人をみつけ、足を止めた。


 穏かな陽のした、裏庭に何枚もの上掛けが干されている。取り込む頃には羊のようにふっくらとして、今夜もいい夢をみせてくれるのだろう。その傍でルーファスは何をするでもなく、ひとり佇んでいた。


 なにを考えているのかジルには分からない。でも、悩み事があるなら力になりたい。次は自分がルーファスを支える番だ。


 ジルは大きなタライのなかに築かれた布の山へ駆け寄り、明るい声で問いかけた。


「これを洗えばいいんですよね?」

「っ、はい! 水は僕が汲みます」


 シーツを踏むたびに、パシャパシャと洗剤が泡立ち消えてゆく。ジルが足を滑らせないよう、ルーファスはタライの外で見張っている。


「ルーファス様は、休暇が終わったら風の聖堂に戻るのですか?」

「え?」

「宿屋のお仕事を楽しそうにしてらしたので」


 出会って間もない人間の言葉だ。ジリアンには関係ないと突き放されて当然だけれど、ルーファスはそんなことを言わない。飴色の眉尻を下げ、困ったように微笑んだ人へジルは言葉を重ねる。


「迷っているなら、やりたい事をするべきです。人生は一度しかないんですから!」


 死んでから悔やんでも遅い。その気持ちを味わったジルの体は知らずのうちに前のめりになっており、力の入った足はツルっと泡まみれのシーツを蹴っていた。


「っ、大丈夫ですか!?」

「あ、ありがとうございます。また人生が終わるところでした」


 安堵のため息を漏らしたジルは、咄嗟に支えてくれたルーファスから身を離した。少しバツが悪いけれど、これは伝えておかなくてはいけない。


「この状況では説得力がありませんけれど、私でお役に立てることがあれば、何でも言ってください!」


 ジルは、ルーファスの休暇がただの休みではないことを知っていた。


 風の大神官は妖魔に操られて総大司教になった。自分の意志ではないのだから、改めて進退を選択しなさいと教皇から半年の猶予を与えられているのだ。


 ジルの発言にぱちぱちと瞬きを繰り返したルーファスは、やがて眉尻を下げて微笑んだ。


「ありがとうございます」


 それから一緒に洗濯物を干し、昼食をとった。ここから夜までは自由時間だ。とはいえルーファス目的でここに居るため、ジルはなんだかんだと仕事を探しながらひつじの寝床を歩き回っていた。


 そんなことを続けていたある日の夜。


「ジリアンちゃん、全然観光できてないんじゃない?」


 皿洗いを終えたところで、ルーファスの母親から声をかけられた。今も楽しいから大丈夫だと返そうとしたとき。


「明日は予約が少ないし、息子を荷物持ちにつけるから遊んでらっしゃい」


 ジルの目が輝いたのを肯定と受け取ったのだろう。女主人は満足そうに笑い、働き過ぎた分だと小遣いまでくれた。


 ――ああ、新しい服買っておけばよかった!!


 ふかふかの寝台に入ってもなかなか寝付けず、数えた羊の数が分からなくなったのは百を超えたあたりだった。


 ◇


「すみませんっ、お待たせいたしました!」

「僕も、いま支度を終えたところです」


 一番綺麗な服を選び足早に玄関へ向かえば、すでにルーファスが待っていた。今日もやさしくて格好いい。


 行きたい場所はあるかと尋ねられたジルは、積み木のような形をしたクッキーを買いたいと答えた。あの時は祭の屋台だったから、お店の場所が分からないのだ。


「あ、これ」


 目抜き通りを歩いていると、可愛らしいお店の窓際に石鹸が飾られていた。小箱には白インクで花の模様が押されている。欲しいな、とジルが思った時にはルーファスが店の扉をあけていた。


「勇気づけてくださったお礼に、僕から贈らせてください」


 店の紙袋を持ったルーファスに嬉しいですと伝えれば、緑の瞳は若葉のようにやわらかくなった。目当ての菓子も買えほくほくしていると、ルーファスから連れて行きたい場所があるのだと誘われた。


「きれい」


 町から少し離れた丘には、花の絨毯が広がっていた。風に吹かれて赤紫の丸い花が揺れている。こんな場所があるなんて知らなかった。ジルの滞在目的は観光だから案内してくれたのだろう。


「ありがとうござ、――っ」


 振り返った先でルーファスが座り込んでいた。まさか具合が悪くなったのだろうか。ケガをしたのなら光の精霊に頼もうと慌てて駆け寄れば。


「やはり、よくお似合いです」


 赤紫の花冠を頭に乗せられた。驚いて固まったジルとは対称的に、ルーファスは穏やかに微笑んでいる。


「もし宜しければ、ずっと宿屋にいてくださいませんか?」


 どうして、いつから、ずっとということは、つまり、それは――。


「愛しています。僕のお嫁さんになってください」


 涙で喉が詰まり、頷くので精一杯だった。








― 風の領地・了 ―

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