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傾界の聖女  作者: たま露
【救世の魔女】
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土の領地:尽きないご褒美

「成り手がみつからなくて困ってたんだ。ジリアンさんが来てくれて助かったよ」


 仕事場となる土の聖堂二階。大神官の居室へと案内してくれた使用人は、肩の荷が下りたとばかりに息をはいた。先任の助手は一ヶ月前に故郷の教会へ異動しており、使用人たちが当番で担当していたそうだ。


 書斎の扉をたたき後任の来訪を告げれば、不機嫌そうな声がした。


「遅い。ミヌリグの、葉……」

「本日からお手伝いに入る、ジリアンと申します。よろしくお願いいたします」


 当番の使用人ではないと気がついたのだろう。第一印象は大事だ。姿勢を正したジルはお辞儀して、目を丸くしたクレイグへ微笑んだ。


 すると、人形のように整った顔の眉間には皺が寄り、左右で色の異なる瞳は手元の天秤に落ちた。薬包紙が傍にあることから薬を調合していたようだ。


「引継ぎは」

「朝一で畑の様子を確認し、土が乾いていたらたっぷり湿るまでお水をあげます。温室は三日に一回。水やりの後に、土の大神官様へ朝食をお持ちします。日中は指示された作業をおこない、夕食をお運びしたら退室します」


 クレイグは外出していることも多いため、基本的に昼食はとらないらしい。薬師の不養生だ。


 ――持ち運びしやすい軽食とか用意したら、食べてくれるかな。


 居室の掃除は使用人がおこなうため、助手は薬師の指示を最優先でおこなうようにと言い付けられている。


「薬草の知識は」

「勉強中です」


 ジルの回答に匙を持っていた薬師の手が止まった。


「入出伺いはいらない。許可なく棚の薬には触るな」

「分かりました!」


 いつでも書物や薬種は見ていい。調合した薬は、取り間違い防止のために移動させるな、と言いたいのだろう。相変わらず分かりづらい。


 ――本当はやさしいのに。


 ◇


 赴任日の翌朝から開始した水やりは、なかなかに重労働だった。


「食べるか寝るかどっちかにしたら」

「はっ! すみません、すぐに食べます!」


 水やりの次はクレイグの朝食を書斎へ運ぶ、のだけれど。畑と温室の両方に水をまいた日は、陽が昇るとともに始めて、終わるのは一人目の参詣者が訪れる頃だった。そうなると食堂で食べる時間は無いため、ジルは書斎を間借りしていた。


 助手となって今日で十日目。薬草は聖堂の裏手に建つ小屋に干されており、クレイグの手伝いを終えたあとは、そこで見分け方や効用を勉強していた。夜が更ける前にいつも誰かしらが声をかけてくれるため、朝まで小屋で眠っていたなんて事はまだない。


 スープでパンを流し込んだジルは、からになった二人分の食器を返却するために書斎を出た。今日の手伝いはなんだろうか。刻んだり挽いたり漬け込んだりと、実験をしているようで楽しいのだ。


「あれ? お出かけですか?」


 ジルが食堂から戻ると、クレイグは行商で使う木箱に薬包を収めていた。


「お持ちします」


 目的地は知らない。けれど薬箱を持ち出したということは、診療所や患者へ薬を届けに行くのだ。ジルは助手の務めを果たさんと薬箱へ手を伸ばした。しかし。


「触るな。ついて来なくていい」


 ジルの手を避けてクレイグはさっさと薬箱を背負ってしまった。以前のことを思い出して荷物持ちになろうと思ったのだけれど。


 ――頼って貰えるように、もっと頑張ろう。


 留守を言い渡された助手は薬師を見送り、その足で聖堂の裏手へと向かった。クレイグ不在の書斎で今のジルにできることはない。


 昼間は畑や温室の薬草を観察し、陽が暮れてからはいつもと同じように小屋を訪れた。長く陽に当たっていたせいか、体に熱が残っているようだ。吹き込んでくる風が心地いい。


「うーん」


 ここ数日は筆記帳に乾燥前と後の薬草を描き起こしているのだけれど、まったく植物には見えない。細部の特徴を描きこむのに夢中で全体像が歪み、岩や毛虫のような絵がのたうっている。


 ――クレイグ大神官様にコツを訊いてみようかな。


 書斎にはクレイグの研究記録もあり、とても精密な絵図が添えられていた。きっと何枚も描き写してきたのだろう。ともすれば不遜とも思えるクレイグの自信は、努力の裏付けによるものだ。


 ――言い方を変えるだけで、もっと仲良くなれるのに。


 神官や使用人たちは、土の大神官に敬意をもって接している。しかし近寄りがたいと感じているようで、必要最低限なやり取りしか見たことがなかった。


 ――あれ? そういえば。


 クレイグはまだ帰っていないのだろうか。聖堂に戻っていれば、夕食を運ぶために誰かがジルを呼びに来るはずだ。今は何時だろうか。気がつけば吹き込む風は冷たくなっており、手足は。


「寒い」


 ジルの体に、かたかたと堪えようのない震えが襲ってきた。冬が戻ってきたのだろうか。寒い。とにかく寒い。


 居住棟にある自室へ戻ろうとジルは椅子から立ち、上がれなかった。体を支えるのもつらく、そのまま椅子から転げ落ちてしまった。魔力切れの時に感じる倦怠感に似ているけれど、なにかが違う。


 今も生きているのはやはり都合のいい話で、もしかして自分は、ここで死んでしまうのだろうか。クレイグを独りにしたくなくて、ここに来たのに。


 窓から覗く真っ暗闇が広がってゆく。そこに。


「覚えたところで、――っ!!」


 眩い金糸が差し込んだ。


 薬草が床に落ちるのも構わずクレイグが駆け寄ってくる。容態を確認しようと伸ばされた手の指先がジルに触れ、躊躇うように止まった。


「診終わったら放す」


 短い宣言とともにジルの体は硬い床から、力強い腕のなかへと移動していた。呼吸が早く、声を出すのもつらい。でも、クレイグと話せるのは、これで最期かもしれない。言わなくては。自分がここに来たのは。


「おか、り……なさ、ぃ」

「なに言って…………、ただいま」


 揺れる視界のなかで、クレイグは金色の眉を寄せていた。


 ◇


 まるで雲のなかにいるような幕が、目の前に広がっている。重たかった体は驚くほど軽い。あたたかく、やわらかなここは。


「死んでない!!」

「あのくらいの熱で死ぬわけない」


 寝台から跳ね起きたジルの傍で、クレイグが鼻を鳴らした。熱。熱ということは風邪を引いていたのだろうか。


 ――あんなにつらいなんて、知らなかった。


 故郷の村にいた頃、弟はどれほどの不安を感じていたのだろう。


 椅子に座っている寝室の主は、飲めとばかりに水の入ったグラスをジルへ差し出した。


「ありがとうございます。それと……ご迷惑をお掛けいたしました」

「有効性を確認できたからいい」


 グラスがからになったのを確認したクレイグは席を立ちジルに背を向けた。


「使わない知識なんて覚えなくていい。また倒れる前に出て行け」

「出て行く? あっ、寝台を占領してしまい、申し訳ございませんでした」

「違う」


 ジルが寝台から下りたとき、クレイグの足が止まった。扉を見たままで顔は見えない。けれど拗ねたように口をへの字に曲げているに違いない声が発せられた。


「ここが済んだら他のヤツの所へ行くんでしょ。手伝いなんか要らない」

「行きません!」


 いつからジルだと気が付いていたのか分からない。でも、朦朧としたなかで聞こえた『はなす』の意味は分かった。クレイグとはケンカばかりしていたから、はっきり伝えないときっと信じてくれない。


「私が好きなのは、クレイグ大神官様です。もう許可の確認はいりません」


 今のクレイグは、ジルの嫌がることを無理やりしたりしないだろう。もし何かあったら、同じ分だけ返してやるのだ。対等でなければ、信頼は築けない。


 嘘や冗談にとられないよう気合をいれて見詰めていると、彫像のようになっていたクレイグが振り返った。


「いる」


 橙と焦茶。左右で色の異なる瞳が不安そうに揺れ、意を決したようにぴたりと据わった。


「――オレと家族になって、ください」


 拒否される未来を恐れているのだろう。クレイグは扉の前から一歩も動かない。はっきり伝えないと、きっと信じてくれない。


 だから駆け寄って手をとり、弟ではない家族となる人へ、唇を重ねた。


「ずっと一緒にいます」


 笑顔でクレイグを受け入れれば、目をまん丸にしていた顔に朱が差した。








― 土の領地・了 ―

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