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傾界の聖女  作者: たま露
【救世の魔女】
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教会領:生まれ変わっても

 食事時の調理場は戦場だ。午前の訓練を終えた神殿騎士が次々と食堂にやって来る。


「お肉は一人二枚です。あっ、野菜も食べないとダメですよ」


 ジルが笑顔でサラダの器を差し出せば、悪戯がみつかったような顔で騎士は受け取った。体作りや疲労回復に考慮された献立であるため、食べ残しは原則禁止なのだ。


 簡単な料理しか作れないジルは配膳に専念していた。焼き上がってくる大きな肉を皿に乗せカウンターへ置いていく。周囲の様子に気を配っていると、他の騎士たちよりも一回り小柄な青年をみつけた。


 ジルはこっそり隅によけていた皿をカウンターに乗せ、申し訳なさそうに首を傾げた。


「少し小さいのですけれど、大丈夫でしょうか?」

「は、はいっ、いただきます!」


 どこか憂うつそうだった小柄な騎士はほっとした顔を浮かべ、大真面目に敬礼してきた。このやり取りは何度目だろうか。この春に叙任式を受けたという青年は、将来の弟をみているようでつい気が緩んでしまうのだ。


「ありがとうございます!」


 ジルも敬礼してみせれば、小柄な騎士は照れたように笑いトレーを手に席へと移動していった。


 北方騎士棟の食堂で働き始めて一ヶ月が経った。提供する料理が変わるため、初めは負傷者や体調不良者だけを見分けていた。それが今では食べ物の好き嫌いや、大食い少食なども覚えはじめていた。


 騎士が食事を終えたあとは、従卒がやって来る。


「弟の顔見て、がっかりするのやめて」

「だってヘイヴン副隊長様、今日も食堂では食べないんでしょう」


 呆れ顔で料理をとりに来たエディを前に、ジルの上がっていた口角は急降下した。副隊長より上の階級は会議や書類仕事も多いため、別室で食事を摂ることが可能なのだ。ジルがそれを知ったのは一週間前で、その日からずっとデリックは食堂に来ていない。


「まさか病気?!」

「元気、だと思う。だけど……ため息ついたり、時々うめいてる」


 悩み事でもあるのだろうか。食堂で初めて挨拶をした時デリックは笑顔を返してくれたけれど、五日後にはどこか浮かない顔になっていた。それから十日後にはすぐに席へ移動するようになり、その一週間後にはこの有様だ。


 ――もしかして私、避けられてる!?


 嬉しくて逢うたびに話しかけていたから、うっとうしく思われたのかもしれない。誰にでも笑顔で対応しているのは仕事を円滑に進めるためでもあるけれど、一番の理由はデリックがいつ来てもいいようにだった。


「姉さん、本当のこと言っちゃダメなの?」

「ダメ。ジリアン(わたし)を好きになって欲しいの」


 銀髪の妖魔はもういない。ジルという存在は、妖魔がみせていた嘘の情報なのだ。だから裏事情を知る教皇や近侍にも口止めをしている。同じようにエディやセレナ、ウォーガンにも喋らないようお願いしていた。


「ジリアンちゃーん、配膳終わったら食器の回収おねがーい!」

「あっ、はい! すぐに行きます! これ今日の分」


 もの言いたげな目をした弟に二人分の料理が乗ったトレーを渡したジルは、返却棚に溜まった食器の洗浄に取り掛かった。


 何枚の皿を綺麗にしても、先ほど浮かんだ懸念は落ちなかった。


 訓練の様子や好物など、ジルとしては日常会話のつもりだったけれど、無遠慮に距離を詰めていたのかもしれない。デリックは出会って間もない頃に求婚してきたから、一緒に過ごした時間の長さなんて関係ないと思っていた。


 ――謝ろう。


 寄宿舎の寝台からがばりと起き上がったジルは、魔石ランプを灯し机に向かった。


 本当は自分の口で伝えたいけれど、押しかけたらもっと嫌われてしまうだろう。だから手紙を書くことにした。一人部屋は少し寂しいけれど、こういう時は気を遣わなくていいから助かる。


 遅々として進まないペンが書き上げたのは、たったの五行だった。宛名と差出人の名前を除けば三行しかない。


 不躾に色々とご質問してしまい、大変申し訳ございませんでした。

 今後は、ヘイヴン副隊長様に職務以外でお声をかけたりいたしません。

 ですからどうぞ安心して、食堂をご利用なさってください。


 ◇


「これを渡してほしいの」


 朝食時から手紙は持っていたけれど、エディに頼んだのは夕食が終わった後だった。


「恋文なら、自分で渡したほうがいいんじゃない?」

「そんなんじゃないよ。私まだ仕事が残ってるから、お願いね」


 押し付けるように手紙を預けたジルは食器の片付けに戻った。弟はデリックの専属従卒だ。遅くても明日には開封されるだろう。手紙を読んだデリックは、食堂に来てくれるだろうか。嫌われて避けられるくらいなら、自分は空気になって遠くから眺めるだけでもいいのだ。


「いたっ」


 自己回復を失ったジルの指は、水仕事でカサカサになっていた。部屋に戻ったら保湿クリームを塗ろう。昨日はあまり眠れなかったから、今夜は早めに寝台に入って、入って。


「はぁ……」


 眠ったら明日が来てしまう。


 仕事を終えたジルは、北方騎士棟の裏庭で分厚い塀を眺めていた。この塀の先には演習場がある。休憩時間になればここの長椅子に座り、デリックの声が聴こえないかと耳を傾けていたのだ。しかし夜空のしたでは、自分のため息しか聞こえない。


 はずなのに、土を踏む音がした。


「あ、あの! なにかお悩みでしょうか!」


 この春に騎士となった小柄な青年が立っていた。


「すみません。偶然、こちらに来るあなたの姿が見えて……それで」


 月明りしかないため少し離れた青年の顔は見えづらいけれど、声の調子から緊張が伝わってきた。きっと、勇気をだして声をかけてくれたのだろう。気遣われるなんて思いもしなかった。


 長椅子から立ち上がったジルは青年に向き直り笑ってみせる。


「ご親切に、ありがとうございます。少し散歩をしていただけで、そろそろ帰ろうと思っていたんです」

「それでは寄宿舎までお送りいたしますっ」


 騎士らしく小柄な青年がピシッと敬礼したそのとき、サッと軽快な音がした。そうして気が付けばジルの隣には。


「お前は早暁訓練だろ。彼女はオレが送るから、早く帰って寝とけ」

「ヘイヴン副隊長!?」

「デリック様!? あっ」


 ――しまった!


 手で口を塞いでも、声は飛び出したあとだ。うっとうしがられているところに、無許可の名前呼びまで重ねたなら好感度は地の底だ。


「えっ、あ、ああ……はっ! 失礼いたします!」


 ジルの失態による空気の変化を感じとったのだろう。副隊長に敬礼した青年は足早に去り、二人だけが残った。


 デリックの姿を近くで見られるのは、今日で最後かもしれない。それならもう、当たって砕けたほうが諦めもつく。一度は死を覚悟した身だ。このまま地の底を突き抜けよう。


 ――よし。


 気合をいれてデリックを振り仰げば。


「ごめん!! オレがぐだぐだしてたせいで、悩ませてるなんて思わなかったんだ」

「え?」


 怒っていると思った顔は、情けないとばかりに項垂れていた。


「姿が似てるからってのは、ジリアンに失礼だと思って。けど、他の奴らにもニコニコしてるの見てたら面白くなくて、逃げてた」


 青みがかった緑色の瞳が、まっすぐにジルを捉える。


「手紙読んで、名前見て、気付いたんだ。オレの気持ちは間違ってなかったんだって。だから、君の口から聴かせて欲しい」


 鍛練でぼろぼろになった手が、大切なものを包むようにジルの手を閉じ込めた。


「惚れました! オレと結婚してください!」


 それは初めての求婚で、四度目の言葉。


 自分はもう神官見習いでもなければ、聖神官でもない。けれどこの赤茶髪の騎士は、関係ないと言って笑うのだろう。


 溢れてくる想いを眦にためて、癒されると言ってくれた笑顔をこぼす。


「はい、よろしくお願いします」

「よっしゃあああ!!」


 返事をした瞬間、デリックに強く抱き締められていた。耳だけでなく全身を通して喜びが伝わってくる。


「絶対ずっと、白髪になっても大事にする」


 背に回されていた腕がゆるみ、わずかな空間が生まれる。やさしく添えられた手に応えて顔を上向かせれば、閉じた瞼の端からあたたかな涙が一粒流れた。








― 教会領・了 ―

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