312 ジル<18歳>
転移したあとのソルトゥリスは、まさに灼熱の太陽だった。
物理的な制裁を加えることはなかったけれど、ジルの傍で常に威圧を発しており、クノスは邪魔が入らないよう部屋全体を魔素で覆っていた。
『わたしたちは、いつでもヒトを滅ぼせます』
光の精霊が睨みを利かせた、魔界も斯くやと思わせる教皇の執務室。そこでジルはソルトゥリス教会の最高権力者とその近侍を前に、自らの要望を伝えた。
エリシャを最後に、聖女は廃止。
遺失魔法で捕らえている魔物たちは解放し、神殿を封鎖すること。
民に混乱が生じないよう、ソルトゥリス教会はこれからも治安維持に努めてほしい。
自分の協力者への処罰は許さない。
ジルの言葉に添えてソルトゥリスは、長く精気を分断されていたため力は万全ではなく、魔物が消えるのに数十年はかかるだろうと話した。
『この間に組織を整えなさい』
教皇ダーフィは動転した様子もなくすべてを受け入れ、先祖の蛮行を精霊たちに謝罪した。
そうして最後に、ジルは教皇から深々と頭を下げられた。
「彼女、そして未来の民をお救いくださり、感謝申し上げます」
◇
リシネロ大聖堂の一部が崩れ、白光に包まれるという異変が発生してから十日後。ソルトゥリス教会から全領地へ一つの公文書が発布された。
教会関係者に成りすました妖魔イオネロスの手により、魔王クノスが復活した
しかし魔王クノスは、女神ソルトゥリスの加護を宿した聖女エリシャが討ち果たした
魔物はいづれ姿を消し、安寧の世がやってくるだろう
ソルトゥリス教会は聖女エリシャを、女神ソルトゥリスに並ぶ君主と崇め讃える
これより現人が、聖女の座に就くことはない
女神ソルトゥリス、聖女エリシャはいつも私たちを見ている
それを忘れたとき、魔王クノスは再び私たちの前に姿を現すだろう
曙光は我らと共に
その公文書は同時に、聖女エリシャの崩御を伝えていた。
◇
リシネロ大聖堂の修繕が続いている三ノ月一日、ジルは無事に落第生となった。
「姉さん、今日出て行くって本当!?」
灰色をした法衣の隣にかかったフード付きのコートを取りだすと、背後から声が上がった。コートに袖を通しながら振り返れば、従卒姿のエディが慌てた様子で近づいてくる。
「十年連続で不合格。そんな人間がいつまでも居座れるわけがないでしょう?」
「それは、そうだけど……退去日までまだあるし、雨も降ってるし」
「私はエディが熱を出さないか心配だよ」
北方騎士棟からよほど急いで来てくれたのだろう。茶色の毛先からぽたぽたと水が落ちている。ジルは桶にかけていたタオルをとり弟の頭に被せた。半年前までは自分と同じ高さにあった紫の瞳が、今では手のひら半分ほど上にある。
「少し濡れたくらいで、風邪を引いたりしないよ。来年には騎士の試験にも挑戦するんだ」
「早くセレナさんを迎えに行かなくちゃいけないものね」
「なっ、まだ違っ」
弟の成長が嬉しくて、少し寂しくて。でも数年後に義妹ができると思ったらとても楽しみで、ジルは激励も込めてわしゃわしゃとエディの頭をタオルで拭いた。
――手紙を送ってたなんて、全然知らなかった。
一通目はセレナからで、手紙にはジルの近況が綴られていたそうだ。エディは手紙に目を通すだけで返事は出していなかったらしい。そんな関係が続いたある日、定期的に届いていた手紙がぷつりと途絶えた。そこからはエディもセレナへ手紙を出すようになり、現在に至るというわけだ。
「姉さんはこれで、幸せなの?」
水を吸って重たくなったタオルを頭からはぎとった弟は、真剣な表情をしていた。義父と同じ色をした髪のすき間から、真意を探るように紫の瞳が覗いている。
すっかり姉離れしたと思ったけれど、心配性はなかなか治らないようだ。家族は無事で、魔物はいなくなる。憂うことなんて何もないのに。
「勿論。もう神官試験を受けなくてもいいんだから!」
今の自分は身軽で、とてもわくわくしているのだとジルは笑ってみせた。それから小さな荷物を手に取り、自室の扉をあける。
「少し早いけれど、十五歳の誕生日おめでとう、エディ。結婚式には呼んでね」
「あり、だからっ」
どれから返せばいいのかと口をぱくぱくさせる弟へ手を振り、ジルは扉をしめた。
教皇に要望を伝えたあと、ジルは闇の精霊クノスに二つのお願いをしていた。
一つ目は髪の色。
瞳の色は魔力量が多いほど、火なら赤、水なら青と属性の色が強く現れる。
それと同じ原理で髪色を変えられないかと尋ねたところ、あっさりと叶った。
二つ目は情報の付与。
ソルトゥリス教会が指名した聖女の従者は、妖魔イオネロスだった。
妖魔は幻覚や魅了の術を巧みに使い、大神官や神殿騎士たちに偽の記憶をみせていたのだ。
銀色の髪をした妖魔は、聖女エリシャによって魔王と共に討伐された。
ジルという名の少女は、存在しない。
雨よけのフードを被りながら朝食兼昼食用のパンが置かれた食堂を通り過ぎ、ジルは足早に寄宿舎を出た。そして、すぐに足を止めた。
「虹がでてる……!」
雨はすっかり上がっており、雲の切れ間からは幾筋もの陽が差し込んでいた。ジルへ手を振るように、光が揺らめく。
(新しい門出のお祝いよ)
「ありがとう、ルゥ」
これなら雨よけは要らない。フードを下ろし、茶色の髪を軽く整えてジルは足を踏み出す。
さあ、好きな人に逢いに行こう!
これにて本編は完結です。
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次話からは個別エンディングです。




