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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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309 エリシャとアルヴァ

 聖女に強制されたのでも、護衛騎士に攻撃されたのでもない。ジルはラシードにアルヴァを、人を殺して欲しくないがために、自分の意志で大剣の前に飛び出したのだ。


「大丈夫。あなたは、何も悪くない」


 強張ったラシードの手が、ゆっくりと近づいてきた。その後方から、弓を握り込んだセレナが駆けてくる。


 朝陽は、魔法陣となっているステンドグラスを破壊する合図だった。セレナは闇の精霊クノスの封印を解くという大役を、みごとに果たしたのだ。


 すぐ傍で、パキッと小さな音がした。それから二人は、ジルの視界から消えた。


 目の前に焦茶色の壁がそびえていた。地響きとともに出現した壁は天井にまで到達し、魔法陣だったステンドグラスを二分している。


 すぐに思い浮かんだ可能性。赤黒く染まったケープコートのすき間へ目を向ければ、胸元に下げた魔法石が欠けていた。ジルがエリシャとアルヴァを庇ったときに大剣が当たり、ひびが入ったのだろう。ウォーガンと同じ瞳の色をしていた魔石はただの石となり、赤色に浸っている。


 防御魔法を封じたと聴いていたから、ジルは盾のようなものを想像していた。眼前にあるこれも盾と言えなくもないけれど、室内の構造を変えるほど規模が大きい。きっと、ジルが危険から遠ざかるための時間稼ぎにと考えてくれたのだろう。エディに剣を教え始めたころにウォーガンは、魔物に遭ったら逃げろと言っていた。


 ――ありがとう、お義父(とう)さん。


 こんな状況で感謝したら怒られるかもしれない。しかし、大切な人たちを遠ざけられたのはウォーガンのお陰だ。ジルを心配してくれているのだろう。壁の向こう側から、硬いものをぶつけているような音がしている。靄の濃くなった暗い視界を深呼吸で誤魔化し、ジルは後ろを振り向いた。


「アる、?」

「ああ、やっと……やっと呼んでくださいましたね」


 倒れ込んだエリシャを受け止めたアルヴァの声は、歓喜に震えていた。法衣のわき腹に咲いた紅はじわじわと純白を浸蝕している。


 前総大司教に刺されたのは従者ではなく、今代聖女だった。


「ど、……して」


 エリシャのか細い問いかけは、ジルの疑問でもあった。今代聖女が命じた殺害対象はジルだ。それだけではない。アルヴァは、エリシャの自傷には反対だったはずだ。


 血に染まった短剣が床に落ち、乾いて濡れた音がした。


「孤児を買ったのも、そこの子供を連れてきたのも。心が慰められるからと、貴女が聖女を続けられると言ったからです」


 節くれ立った紅い手が、白く瑞々しい頬を撫でる。


「あの下僕はもういない。この艶やかな髪も、この輝かしい瞳も、全部ぜんぶ、私のモノだ。私だけのエリシャだ。私だけの――っ!」


 アルヴァは花を手折るように細い首を絞めた。薄くひらいたエリシャの唇はなにも紡がない。歪んだ金色の瞳はみる間に潤みだし、雫となってすべり落ちる。一粒、二粒、はらはらと溢れでるあれは、歓喜の涙だ。


 このままエリシャを死なせるわけにはいかない。うずくまったアルヴァの首にジルは長剣を添えた。


「聖女様から離れてください」


 ソルトゥリス教会の犠牲となった少女に、同情を抱いた。聖女という生贄から、解放したいと考えた。しかし。


「あなたが(みらい)を欲したように、子供たちにも(みらい)を選ぶ権利があったはずです」


 今代聖女に加担した前総大司教も、二人の犯行を知りながら止めなかった教皇も。


「生きて、罪を償っていただきます」


 眼下にある肩が揺れ、ぼそりと独り言のような声が零れてきた。


「剣を振りまわすしか能のない下僕が、もっともらしい口を利く。権利を主張する者が正式な手順も踏まず、エリシャに愛されているからと偉そうに」


 ――しまった。


 ジルがそう思った時には遅かった。


「私に指図するな!!」

「っ」


 決壊した声と共に突き出された掌には青い文様が浮かんでいた。服を染めていた紅い液体が引き剥がされる。大剣によって裂かれた肌からどくどくと血が引き出され、眩暈と急激な寒さに襲われた。のは一瞬だった。


 祭壇に漂っていた黒い靄が、ぐにゃりと意思をもったように寄り集まった。それはジルの体から引きずり出された血を押し戻し、傷を保護するように覆い被さっている。黒い靄の正体、濃い魔素に触れても嫌悪感を覚えないどころか、親しみを感じてしまった自分はすでにヒトとは違うのだろう。


 崩れ落ちたアルヴァの後ろには、白銀の瞳をもった少年が立っていた。


「ルゥの邪魔した」


 闇の精霊クノスは、当然の結果だと言わんばかりに顔色一つ変えない。魔素の塊はジルだけでなく、アルヴァにも差し向けられていた。黒い靄は鼻から下を覆い、首に巻きついている。青鈍色の瞳は息苦しそうに見開かれ、見開かれたまま、動かない。


 横たわったアルヴァの顔に、ほっそりとした指先が伸ばされた。


「ァ、……っ、ぁ」


 床に倒れたエリシャの口からは、空気が漏れているような音しか出てこない。濡れた金色の双眸からは、変わらず涙が流れ続けている。それでも、短剣で刺され首を絞められた時とは、異なる想いが零れているのは分かった。


 欠損を回復できる聖女といえども、死者は治せない。


 光の粒が彷徨うなか、ジルは聖魔法の文様を浮かび上がらせたエリシャの手を握った。

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