30 第二神殿騎士団所属 デリック・ヘイヴン
視点:デリック
結果から言えば一本は取っていない。しかしラシードが上半身を後に逸らしたのを見て、デリックは一本に値すると判定した。それに、瞳の熾火が心なしか強くなった気がしたのだ。
――ここまで動けるとは思わなかった。
療養中とはいえ副隊長を担う騎士から、民間人が一本取れるとは思っていなかった。立会人となったデリックは、少年から降参の声が上がらずとも、適当なところで締めるつもりだった。それがどうだ、細く小さな体でも臆することなく何度も騎士に立ち向かい、見事に剣先を届かせたのだ。
一撃は形姿の通り軽い。だが素早さがそれを補っていた。ラシードの肩上を軽々と飛び越えた時は、口を開けて呆けてしまった。円を描いた白銀の髪は昼間に昇った月のようだった。デリックが終了を告げる直前まで紫の瞳に諦めの色は無く、どこかラシードに似た耀きをともしていた。
デリックは少年が、ラシードの剣呑な雰囲気に当てられ怖がっているとばかり思っていた。だから銀色の頭に手を置き、緊張を和らげようと声をかけた。
――あれはヤバかった。オレはそっち側じゃねぇ。
それまで無表情か、強張らせてばかりいた少年の顔が、やわらかに綻んだ。蕾がひらいたような微笑みに、デリックは息を呑んだ。まさか己の好みは変わったのかと、一度少年から顔を背けた。苛立ったラシードの声に仕方なく腰を上げ、そろそろと少年に視線を向ければ、次は何も感じず胸を撫で下ろした。
初めて厩舎で見たときも、第二神殿騎士団の団長とは似ても似つかぬ容貌に驚いた。五年を経ても、その端正な顔立ちは変わっていない。その少年は今、起伏が少ないながらも動揺を浮かべていた。一本を取っていないのに仕合を止められたのだから無理もない。デリックは判定の根拠を示し、ラシードの言葉を待った。
「なぜ身体強化を使わなかった」
少年に問う声音は平時のそれで、息ひとつ乱れていない。ラシードは先の遠征で鳥の魔物に髪を絡みとられ、首を痛めていた。その際、至近距離をこれ幸いと火魔法を放ち、羽と一緒に髪を焦がしていた。切るのが面倒だからと伸びるままにしていた鈍色の髪が、今は丸刈りに近かった。
「僕は、魔法が使えません」
身体能力に度胸、どちらも合格点だっただけにデリックは惜しいと思った。神殿騎士団は魔物を相手に戦う。それも上級ランクばかりだ。魔法が使えなければ戦力として大きく劣る。しかし少年は悔しがる素振りもなく、淡々と答えていた。
「それでバクリー副隊長、専属はどうすんだ?」
「要らん。一年もすれば第五に戻る」
「従卒なら連れていけるだろ」
「ハワード団長の子息をか?」
「無理だな」
デリックは間髪をいれず応じた。ウォーガンは闊達な気性で、団長格の中ではどちらかと言えば親しみやすい人物だ。だからといって、気安く声をかけたりはできない威容はある。
そんな団長の機嫌が、すこぶる良くなる時が年に一度あった。誕生日だ。状況から推察するに、引き取った子供から祝いを贈られているらしかった。そして、機嫌の良くなる日が最近増えた。これは子供に剣の稽古をつけているからだろう、というのが皆の見解だった。
今年採用されたとはいえ、そんな子息に手を出した従卒三人組は、状況認知能力が低いと言わざるを得ない。
「従卒には値する」
ラシードは少年の戦闘能力を端的に告げ、興味は失せたとばかりに身を翻した。割れる人垣の間を抜けて、背負った大剣が小さくなっていく。その場に残った観戦者からは、感心の言葉が漏れていた。
「バクリー副隊長に怖気ないとは」
「今年の従卒より強いんじゃないか?」
「魔法が使えるようになるといいな」
そうか、とデリックは胸中で手を打った。魔力は誰しも保有している。それを操る能力である魔法は、十六歳までに発現するのだ。少年はまだ成人しているようには見えない。ならば可能性は残っていた。デリックは少年に歩み寄る。
「鍛練しろってよ、良かったな」
「はい」
目的を果たせて気が抜けたのか、少年は前髪を揺らしてこくりと頷いた。砂埃に塗れていても銀の髪は褪せておらず、陽を受けて輝いている。
ラシードは元々、第五神殿騎士団に所属していた。防御面を鍛えるため期限付きで第二に転属しているのだ。ラシードが第五に戻れば、次の副隊長はデリックだ。
「なぁ、魔法が使えるようになったらオレの」
専属になるか、と最後まで言えなかった。石敷きに落ちた長剣が乾いた音を立てる。少年が膝から崩れ落ちたのだ。デリックは己に向かって倒れてくる細い体を受け止めた。
「おい、どうした! どっか怪我したのか!?」
デリックは少年を上向きに抱え直し、出血の有無や呼気の異常を確認した。すると、薄い腹は規則正しく上下を繰り返していた。顔も苦痛に歪んだりなどしていない。むしろ穏やかだ。
「……もしかしてこいつ、寝てんのか」




