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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
301/318

300 紫と赤茶

「最後って不利じゃね?」


 ファジュルやセレナが乱入してくるなんてことはなく、顎に手を添え首を捻っているデリックが五番手としてやって来た。


「お酒よりも、澱のほうが良いこともあるそうですよ」

「まあ、オレはどんなジルでも好きだけど」


 拗ねた声でさらりと告白してくるデリックは、北方担当を示す橙の差し色が入った黒い騎士服を着ている。左肩にはラシードと同じ黒マントがかけられており、それを留める紐は。


 ――金色だ。


 ざっと全身を確認してみても、紫色は見当たらない。その事実にちくりと何かが胸に刺さった。デリックは先ほども好意を口にしていたのに。そう、好きだと言っていたのだ。本当に、身に付けていないのだろうか。


「やっぱこれ似合ってないよなー。副隊長になってから着る機会なんて無かったからさ、自分でも違和感しかない」


 諦め悪く目を凝らしていると、ばさりとマントが広げられデリックの全身が露わになった。それを直視したジルの頬は一瞬で赤みを帯びた。集まった熱を掃うように、デリックの言葉を否定するためにジルはぶんぶんと頭を振る。


「そんなことないです。とても格好いいです」


 マントの裏地が、紫色だった。答え合わせが終わりスッキリした反面、羞恥もすごい。色の量が想いの強さに比例する訳ではないのだろうけれど、ここまで全面に出されては恥ずかしさしかない。


「格好いい? オレ格好いい!? ジルに格好いいって言われたー!」


 半信半疑だったデリックはジルが頷いたのを見て深緑の瞳を輝かせた。と思ったら、なぜか蔦の幕へ向けて叫んでいた。他の人にも同じことを言ったのは、黙っていたほうが良さそうだ。


「そのマントは水の聖堂にあったのですか?」

「昨日も来てた、服飾店を構えてるっていう夫人が持ってきたんだ。なんで神殿騎士団の正装があったんだろうな。大神官様たちとも面識あるみたいだったけど」


 今日の午前中に現れた夫人は男性陣を見るなり、まあまあまあと声を上げ、衣装のどこに紫色を取り入れたいか尋ねてきたそうだ。時間がないため凝った作りにはできないといい、夕刻前には納品されたらしい。


「夫人の正体は謎だけど、腕は確かだよな。今夜のジルは精霊の宝石みたいだ」


 謎解きもそこそこにパッと声を明るくさせたデリックが口にしたのは、ジルが初めて耳にした名称だった。にこにこ笑顔であることから悪い意味ではないのだろうけれど、知らない物だからお礼も言いづらい。


「精霊の宝石というのは、なんでしょうか?」


 ジルの問いにデリックはハッとしたあと、ばつの悪そうな気恥ずかしそうな様子で赤茶色の頭をかいた。


「ガキん時に湖で拾ったガラス玉を、勝手にそう呼んでただけ。いつもは不透明でただの石に見えるけど、水に濡れたら透き通ってキラキラ輝くんだ。オレは精霊が見えないからさ、この宝石も人間には見えないように精霊が隠してるんだって、ガキの頃は信じてたんだ。オレの宝物」


 説明しながらガラス玉を見つけた時の様子を思い出したのか、深緑の瞳もキラキラと輝いていた。


「素敵ですね」


 答えを聴きジルもにこにこ笑顔になった。精霊が隠していると考えた子供時分のデリックは可愛らしく、宝石の正体を知った今でも宝物だと断言できるのは格好いいと思った。


「ガラス玉よりもジルの方がずっと綺麗だけどな。マジでめちゃくちゃ可愛い。このまま結婚式も……最後が有利なのみつけた。よし、教会に行こう!」

「教会?」

「もう温室に用はないだろ? だから今から結婚式をしよう。ジルは疲れてるだろうから何もしなくていいからな」

「はい? わっ、ちょっ、ちょっと待ってください! 教会の方々にご迷惑です! 何時だと思ってるんですか!」


 ジルを抱え上げ、今にも温室の出口へ疾走しようとしていたデリックの体勢が直立に戻った。ぴたりと止まった足のように、顔も固まっている。すぐ傍にある瞳が、ゆっくりとジルに向く。


「それってさ、昼間だったらいいってこと?」

「っ、それは、その」


 真っ直ぐな眼差しに気圧され、ジルはすぐに言葉を紡げなかった。教会領に一時帰還した際、全部が済んだら返事をするという約束になっていたはずだ。それを言えばいいだけだ。しかしジルが口をひらく前に、密やかな声が落された。


「逃げたいって言ったら、オレこのまま走るぞ。一生、誰にも追いつかせない」


 夜色のガラスを背負った瞳に灯っているのは、仄かな光。星の瞬きさえ聞こえてきそうな静寂が流れたのは、一拍だけだった。


「これは私が始めたことです。私が終わらせます」


 ジルは真っ直ぐにデリックを見上げた。再び訪れた静寂は二拍。体や足に触れていた大きな手に力が入り、ため息とともに緩んでいった。


「ジルは強いなあ」


 浮いていた両足は温室の硬い床を踏み、赤茶色の頭は遠くなった。いつもの明るい調子に戻ったデリックに合わせて、ジルも笑みを刷く。


「皆さんにがっかりされるのが、怖いだけです」

「結果がどうでも、頼ってくれただけでオレは嬉しかったし、皆もそうだと思うぞ」


 ジルの頭に伸ばされた手は宙で止まり、三拍ののちに下ろされた。髪型が崩れるのを心配してくれたのだろう。垂れたデリックの手を追いかけて掬いとる。


「踊りましょう、デリック様」

「あー、ちょっと難しいかなー」

「はいっ、二十分経ちました!」

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