29 壁と対峙
――私も嫌だ!!
ジルは開きかけた唇を固く閉じて、叫びたいのをぐっと堪えた。仇敵ともいえるラシードの専属従卒など願い下げだ。それに、なにかの気紛れで専属となってしまった場合、務めるのはエディだ。二人が共にいる様子を想像すれば、ゲームの情景が思い起こされて血の気が引いた。
――断ろう。帰って別の方法を考えよう。
ジルが思い描いていたものとは異なるけれど、戦わせて欲しいという希望をラシードは叶えようとしてくれた。だからお礼だけは伝えておこうと足を踏み出す。その時、デリックに背中を押されてジルは言葉を失った。
「大丈夫、大丈夫。あいつも本気でやったりしねぇから。頑張れよ!」
緊張を解そうとしてくれたのだろうけれど、その声は今まで一番大きかった。これまでは遠巻きに様子を窺っているだけだった騎士達が、デリックの言葉に動きを止めた。
第二神殿騎士団のほとんどは遠征で不在のため、そう人数は多くない。けれど新兵や従卒を含めると、三十人程はいただろう。それらの視線がラシードとジルに注がれ、自然と人垣ができた。
「バクリー副隊長って今」
「誰だ、あの子供」
「専属? 以前、不要だと」
「女みたいな顔したヤツだな」
「えっ、ハワード団長の子供?!」
口々に囁かれた言葉の中に、猶父の名が聞こえた。今ここにいる銀髪の子供が、ウォーガンの縁者だと認識されてしまった。そうなると戦わざるを得ない。ここで帰ったとなれば、ウォーガンの顔に泥を塗ることになる。枯色の髪をした従卒三人は、エディが団長から剣を教わっていると知っていたのだ。弟の顔は知らなかったとしても、皆、稽古のことは知っていると考えて間違いない。
――こうなったら、腹をくくるしかない。
来たるべき日の予行演習。今の力量を知るための機会だと、ジルは自分に言い聞かせた。決意を固めてしまえば迷いはない。ジルはウォーガンから貰った長剣を鞘から引き抜き、未来の壁を見据えた。対峙した二人の間にデリックが立つ。
「仕合はエディが一本取るか、降参するまで続ける。それでいいな?」
立会人となったデリックが両者に告げる。ジルに異を唱える権利など無い。ラシードは短く首肯した。この仕合は従卒としての適性を見極めるもので、勝ち負けは関係ない。腕力や技術というよりも、精神に重きを置いているのだろう。
いつの間にか喧騒は静まっていた。ジルは深呼吸をひとつして、剣を正面に構える。ラシードの顔は相も変わらず変化がない。それでも大剣を向けられれば、刺すような空気を感じた。デリックが片手を上げ、高らかに宣言する。
「始め!」
合図と同時にジルは石敷きを強く蹴り、一息に間合いを詰める。剣を正面から振り下ろせば、大剣に易々と防がれた。体格の差は大きい。ジルはラシードの広い間合いから逃れるため飛び退った。その行動にラシードは眉ひとつ動かさない。
――懐に入り込むしかないけれど。
ラシードの方から攻める気はないようだ。仄暗く燿う双眸が油断なくジルを観察している。ジルは再び地を駆けた。先ほどと同じように剣を振り下ろせばやはり大剣に防がれた。しかし次は退かずそのまま剣身を下に滑らせる。重心を落として地に片手をつき、ラシードの足元目掛けて蹴りを繰り出した。
「一手目よりも打ち込みが甘く、別の目的があると分かり易い」
蹴りが到達する前にラシードは足を退き、体をずらしていた。目だけで見下ろすラシードの頭部はとても高い。ジルはしゃがみ込んだ姿勢から後へ跳ね飛び、剣を下段に構えた。ラシードよりもずっと身長の低い自分は、足元の方が狙いやすい。
――それに。
ラシードの動きに違和感を覚えた。エディが腕や背をかばっていた時のような。
ジルは腰より下に狙いをさだめ剣を左右に打ち込む。何度目かの時、打ち込む振りをして背後に回り込んだ。けれどそれもラシードには読まれており、後ろ手に弾かれてしまった。
剣を握った両腕を跳ね上げられ、ジルの体は宙に浮いた。硬質な音と共に伝わった衝撃で、手は軽く痺れている。砂埃を立ててジルは地に転がった。受け身をとったけれど、痛いものは痛い。恐らく体に擦り傷ができているだろう。自動回復してしまわないよう聖魔法を抑え、ジルは薄く笑んだ。
上がりはじめた呼吸を落ち着かせ、ジルは再度下段に構える。対峙したラシードは平然たる態度を崩していない。大振りな剣であれば攻撃時に隙ができ易い。しかしラシードは仕掛けてこないため、ジルから動くしかなかった。
先刻と同じように腰より下を狙い剣を振るう、と見せかけてそのまま背後へ駆けた。片足を軸に転身すれば、またラシードの大剣が迫っている。
――ここだっ!
ジルは跳躍し、幅の広い剣身に駆け乗った。それを足場にラシードの肩へ手を届かせる。黒い騎士服に包まれていても、鍛えられた体は引き締まっているのがよく分かった。肩についた手を支点に逆立ちしたジルは、ひらりと前方へ回転する。ラシードに背を向ける形となったジルは、着地するのが早いか身を翻す勢いのまま長剣を薙ぎ払った。
「そこまで!」




