295 昨夜と今夜
ジルを迎えにやって来たのは、セレナとファジュルだった。予想通りといえば予想通りだけれど。
――?
自分は今、なにを思ったのだろう。昨夜から今夜まで、セレナやファジュルとしか顔を合わせていないから、きっと様子が気になっただけだ。
「お城の大広間だと目立っちゃうから、お庭でするんだって」
「あそこは外からもよく見えるように造られてるからね。大神官を傅かせてるのはどこの令嬢だって、噂になっちまう」
二人にエスコートされて宮殿を出たジルは、馬車に揺られていた。予定が一日ずれたことで、会場や衣装などいろいろと再調整できたらしい。
対面に座ったファジュルの衣装は見慣れた紅色。刺繍やレースなどの模様はなにも無いあっさりとしたドレスだ。しかし、片袖をばっさりと削り肩を露出させた左右非対称な意匠は、とても目を惹いた。体型に自信のあるファジュルだからこそ着こなせるドレスだ。
隣に座ったセレナの衣装はジルとお揃いの灰色。ただしこちらはドレスではなく、パンツスタイルだ。上着は男性が着用するテールコートに似ているけれど、裾は足元まで伸びている。そこに、前後で丈の長さが異なるスカートをパンツの上に重ねており、後ろ姿だけならドレスを着ているようにも見えた。
セレナ曰く、ドレスの着用は結婚式までとっておきたい。でもせっかくだから、自分も華やかな衣装を着てみたい。迷惑でなければ基調色はジルと同じがいい、という希望だった。
――もしエディと結ばれたら、紫や銀のドレスを着るのかな。
服飾店でセレナは、恋人の色で揃えるという話に憧れていた。そうなると弟は淡紅金や桃色を身に付けるのだろうか。とても可愛らしい二人組みになりそうだ。
「まだまだ練習中ですけど、私とも踊ってくださいね」
「踊れないと言われたら、手を繋いでくるくる回ろうと思っていました。嬉しいです。しっかりリードさせていただきます」
「着てる物と役割が逆じゃないか」
ドレスを着たジルが男役で、パンツをはいたセレナが女役。それを揶揄うようにファジュルが笑えば、セレナは頬をふくらませた。
「平民の娘はワルツなんて踊りません。習ったのは三ノ月からで、ガットア領では一度も練習しませんでしたから」
「そりゃ気が利かなくて悪かったね」
「すみません」
ジルが一ヶ月も眠りこけていたのが最大の原因だろう。練習の機会を潰してしまったと詫びれば、隣で淡紅の金髪が慌てて揺れた。売り言葉に買い言葉だった、自分もダンスの練習はタルブデレク領に来てから思い出したくらいだ、だからジルは気にしなくていい。セレナのそんな補足にファジュルは、気が楽になったと笑った。それを聴いたセレナの顔は再びむっとふくらむ。
――良かった。
二人が初めて顔を合わせた時にジルが感じた通り、セレナとファジュルは仲良しになっていた。じゃれ合うような軽口を微笑ましく聴いていると、馬車の窓に流れる景色がゆるやかになってきた。点々と設置されていた外灯の間隔は短くなり、黒が薄れ緑が増していく。車輪が止まり、ファジュルにエスコートされ降りた立った先で見たものは。
「えっと……お庭?」
「すごい、お邸みたい!」
「蒸気を使った薬用植物の温室だよ」
レンガ造りの立派な建物の壁や屋根には、ガラスがふんだんに使われていた。高く伸びたいくつもの大窓や全面ガラス張りの天井は、昼間ならたくさんの陽光を通しそうだ。夜である今は、魔石ランプの皓々とした光が温室を内側から輝かせている。
「ここから先はジル一人だ」
「え?」
「私たちは後からお邪魔します」
扉の前に来ると、ファジュルとセレナは後ろに下がった。一緒に温室へ入るのだと思っていたジルが振り返れば、黒子を飾った口元がにやりと上がった。
「口裏を合わせて欲しいならいつでも言いな。今夜も三人で寝てたことにしとくから」
「内緒なら、悲しむ人はいません」
ファジュルの隣では、両手を組んだセレナがうんうんと力強く頷いていた。二人はきっと、昨夜の続きを話しているのだろう。ジルは今でも夜這いなんてするつもりはない。それでも、後悔しないようにと考えてくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます、ファジュル大神官様、セレナ神官様」
温室に向き直ったジルに合わせて、待機していた使用人が扉へと手を伸ばす。
――なんだろう。
急に胸がどきどきしてきた。ダンスに苦手意識はない、むしろ好きだ。ならば一人で入場するとは思っていなかったから、緊張しているのだろうか。これまでにも色々と変装はしたけれど、今夜のジルは圧倒的に身分違いな恰好をしている。侍女や夫人、セレナやファジュルは褒めてくれたけれど。
――大丈夫。
たとえ似合っていなくても、わざわざ指摘して貶すような人たちではないと知っている。それに背を丸めていたら、綺麗な衣装と化粧が台無しだ。
「まっすぐお進みください」
深呼吸を繰り返したジルは使用人の案内に沿って、あたたかな空気の幕が垂れた入口に一歩足を踏み出した。




