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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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293 想像と夢

 豊かに波打つ亜麻色の髪、紅い裾から覗くしなやかな褐色の足。たわわな胸元はやわく形を変えている。ファジュルはジルの隣に寝転び、肘をついて頭を支えた。


「家族なんだから、一緒に寝てもいいだろう?」

「は、はい、大丈夫です」


 ジルがセレナにしていたように、ファジュルから頭を撫でられた。驚きに瞬く目で見た紅玉の瞳は思いのほか優しくて、むずがゆい。褐色の手が動くたびに、ふわりと花の匂いがふくらむ。ラバン商会で作っている石鹸、ジルの好きなジャスミンの香りだ。


「私も! 私も今日は一緒に寝ていいですか?」

「勿論です」


 ファジュルを許可したのに、セレナを拒否する理由がまったく見当たらない。


 天蓋のついた豪奢な寝台は大きく、女性なら三人並んでもまだ余裕がある。この部屋にはもう一つ、従者用にと運び込まれていた寝台があるのだけれど、今夜の出番はなさそうだ。


 ジルの許可を得たセレナは嬉しそうに笑い、ぽふっと体を横たえた。左にファジュル、右にセレナ。ジルの体に、ほわほわとあたたかい熱が広がっていく。重たいと感じていた頭もいつの間にか、やわらかな空気にほぐれていた。


 ――ずっと、このままならいいのに。


 それはできないと分かっているから、余計に考えてしまう。シャハナ公爵邸で働く使用人の質がいくら高いとはいえ、人の口に戸は立てられない。時間が経つほど、ソルトゥリス教会に企てが露呈する可能性が高まるのだ。


 風、火、土の大神官が領地へ向けて発つ日に、ジルも水の神殿へ向けて公爵邸を発つ。水の大神官であるナリトは同行するけれど、神殿で事を成したあとは離脱する。四人の大神官が一堂に会しているのは本当に、明日までだ。


「優しいから」

「?」


 ぽつりと落とされた言葉に頭を動かせば、横向き寝になったセレナと目が合った。桃色の瞳は一度枕に落ち、意を決したようにキュッと上がる。


「ジルさんは無意識に、気が付かないようにしてるんだと思います」


 自分は明確な意識をもって行動している。セレナはなんの話をしているのだろうか。問おうとしたジルの言葉は、音となる前に飲み込まれた。


「誰かの手を取ったら、残された人が悲しむから……傷つけたくないから、家族って言葉で包んでるんじゃないかな、って」


 ――悲しませたくない。


 その思いは確かにある。離宮でセレナに治療された時にも感じた思いだ。皆が大切だから――。


「分からないんです。エディや、ウォーガン様に対する好きとの違いが」

「そんなの簡単さ」

「っ」


 背後からかすれ気味の声がしたと思ったら、ジルの体には二つのやわらかなものが乗っていた。亜麻色の長い髪が頬にかかり、花の香りが鼻腔をくすぐる。紅い双眸を艶やかに細めたファジュルは、ジルの唇を親指で撫ぜた。


「最後までヤれるかどうかだ。想像してみな、弟とは――」

「それができるのはファジュル様だけです!」


 声と共に広がったジルの視界には、顔を真っ赤に染めたセレナがいた。羞恥か怒りか両方か。眉を吊り上げ前方を睨んでいる。対峙するファジュルの笑みは先ほどよりも深まっており。


「アタシの言った意味が分かるならアンタだってできるだろう?」

「もおおおお、話しが進まないから黙っててくださいっ」


 セレナは近くにあった枕をファジュルへ投げつけた。羽のように軽い枕は簡単に受け止められ、ぼふっと空気を吐きだして止まる。大仰に肩をすくめてみせたファジュルは枕を手に寝台をおり、再びソファへと近づいていった。酒を飲み直すようだ。


 ――黙っておこう。


 ファジュルが言った意味を、ジルも理解していた。しかしそれが違いの基準になるとはどうしても思えない。寂しくて満たされない母は、見るたびに違う男の人を連れていた。


「んー。もしかして、差が少ないから分かりづらいのかな」

「なら全員と」


 ソファの方から声がしたと思ったら、すでにセレナが睨んでいた。はいはい、と軽く両手を上げたファジュルは姿勢を戻し、つまみのチーズを口へ放り込んだ。牽制の成功を確認したセレナは腕を組み、頬に指を当てる。


「カッコいい……はジルさんの方だし。かわいい、もジルさん。ドキドキする、は魔物と戦ってもするし……。楽しい、ほっとする、のは家族も……んんー、言葉で表すのって難しい」


 眉を寄せて呟く顔は真剣そのものだ。セレナは好きの違いを説明しようと考えてくれているのだろう。ジルはセレナを悩ませてまで、違いを知りたいわけではない。むしろ誰かを悲しませてしまうのなら、分からないままの方がいい。


「すみません。変なことを言いました。そろそろお休みしましょう」

「あっ、それじゃあ一つだけ、一言だけいいですか?」


 寝台に両手をつき慌てた様子で引き留めるセレナの勢いに押され、ジルは頷いた。


「全部が終わっても逢いたいな、一緒にいたいなって人がいたら、その人がきっと、ジルさんの好きな人です」


 ――全部が、終わったとき。


 いつからか、考えないようにしていた。ソルトゥリス教会を裏切った自分に、未来はない。皆を巻き込んだ責任をとらなければいけないと、ジルは今でも考えている。でも。


 ――エディは無事で、魔物はいない。


 神官ではない自分は、どこへでも行ける。そんな夢に思いを馳せるくらいは、許されるだろうか。

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