291 真実と作戦
突然なんだろうか。知らないとジルが首を振れば、ナリトはなめらかな弧を口元に描いた。
「派閥の均衡を乱さず、聖女に深く心を傾けている者だ」
「君主は二の次ってことかい。信心深いことで」
教徒の模範となるべき総大司教は、女神ソルトゥリスを聖女の下に据えている。皮肉げに肩をすくめてみせたラバン商会の会頭へ、タルブデレクの領主は言葉を重ねる。
「ステンドグラスの女神より、血の通った人間を慕うのは何もおかしい事じゃない。ソルトゥリス教会は神官の婚姻を禁止していないしね。だから、君が負い目を感じる必要はないんだよ」
最後の言葉はジルに向けられていた。顔色の変化に気が付き、ナリトは励まそうとしてくれたのだろうか。しかし。
「私は、聖女様ではありません」
「貴女が聖女様だったら、僕は真実を話さなかったでしょう」
状況が違うと否定したジルに、総大司教は言葉を添えた。飴色の眉尻を垂らし、やわらかな緑葉の目を細め困ったように微笑む。
「偽りの籠に閉じ込めて、堂々と我が君に尽くせましたから」
皆の前でルーファスは、なんてことを告白しているのだろう。確かに聖女はリシネロ大聖堂の奥深くで保護されている。その実態は軟禁にほかならず、他者からの世話を必要とする。その状況をさして尽くすと表現するのは、倒錯めいている。
しかし、ここまでの流れがあるだけにはね付けることもできず、かと言って手放しで喜べるものでもない。どう反応したものかと悩んだジルの顔は、ルーファスのように困った笑みを作っていた。
「で、その精霊だか魔王だかは殺せるの」
向き合ったジルとルーファスの間に、不機嫌たっぷりな声が割って入った。クレイグは一人掛けのソファに片肘をつき、色の異なる瞳で話を進めろと睥睨している。
話は本筋に戻るようだ。ルーファスの顔から笑みが消えた。
「結論から言えば、不明です。しかし制圧は可能です」
光の精霊ソルトゥリスを遺失魔法で喚びだし、相克関係にある闇の精霊クノスを抑えつけているのだとルーファスは話した。
ソルトゥリスは初め、リシネロ大聖堂で魔素を浄化していた。けれど魔素は生界全土に満ちている。憐れな人々が安全に暮らせる場所を広げるためにと、慈悲に満ちた光の精霊はその身を五つに割き、各地へと散らばったそうだ。
――違う。
初めは確かに自ら進んで魔素を浄化していた。けれど場所は小さな集落だったり、戦場だったりといつもばらばらだった。遠出をしても、ルゥは必ずクーの元に帰っていた。
光の精霊は遺失魔法でリシネロ大聖堂に喚びだされ、ヒトに捕まったのだ。
拘束されたソルトゥリスは浄化を拒み、早く解放するよう訴えた。クノス自身も魔素に苦しんでおり、自分が浄化してあげなくてはならない。闇の精霊をひとりにしていると、それこそ生界に魔素が充満し、ヒトだけでなく生けるものすべてが狂ってしまう、と。
それを聴いたヒトは、光の精霊を傷つけ始めた。傷口から流れ出た精気で魔素を浄化するために。闇の精霊をおびき寄せるために。
光の精霊ソルトゥリスは自らの意思に関係なく、自身の力によって大切な存在を封じさせられたのだ。
――ヒトは嫌い。
痛い。心配。苦しい。不安。哀しい。寂しい。帰りたい。返して。帰して返してかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえしてかえして――。
――頭が痛い。
ぐわんぐわんと頭に響くこれは、誰の記憶だろう。ゲームではない、クノスでもない。これは――。
「つまり、女神様のフタを外せば魔王が出てくるってコトですね」
「はい。光の精霊ソルトゥリスの分霊は、各領地の神殿、そしてリシネロ大聖堂に祀られています」
デリックのざっくりしたまとめに頷いたルーファスは、解放の手順を説明し始めた。
◇
知り得た情報をもとに作戦を立てていると、窓の外は暗くなっていた。
「大丈夫ですか、ジルさん。やっぱり続きは明日に……」
セレナが延期の提案をしたのはこれが二度目だった。自分は風邪を引いたことがない。もし顔色が悪く見えるのなら、それは冷えてきたからだ。皆が揃っている時間は限られている。大丈夫だと首を振り、ジルは二度目の笑みを浮かべてみせた。
「神殿を護る精霊への伝達方法、ですよね。簡単にできると思います」
土の神殿にいたムーノは、サンラドの話をしていた。ローナンシェ領にいる土の精霊が、なぜガットア領にいる火の精霊に起こったことを知っているのか。さらにムーノは別れ際に、サンラドに伝えておく、とも言っていた。恐らく精霊同士は、離れていても会話ができるのだ。
――でもソルトゥリスは、遺失魔法の壁に阻まれてクノスと話せなかった。
「水の精霊に、私から頼んでみます」
時機に関係なく神殿に入れた理由として、ルーファスは言った。
儀式無しに解毒能力を有した人間は、これまでにも存在していた。しかし、儀式無しに再生能力を有した人間はジルしかいない。ジルは、光の精霊と同質の存在である、と。
光の精霊の力を付与して、崇拝するに足る人間を作り上げる事こそが、聖女の儀式の本質なのだ。




