28 神官見習いと護衛騎士
その姿は忘れるはずがなかった。
なめし革のような褐色の肌に、均整のとれた長躯。短く刈られた灰燼のごとき鈍色の髪は記憶にある髪型とは異なるけれど、仄暗く燿う朱殷の瞳は見間違えようもない。
――ラシード・バクリー。
ゲームの攻略対象であり、弟のエディを斬った聖女の護衛騎士だ。あれは未来のことで、目の前にいる人物はまだ何もしていない。そう理解はしているのに、ジルは釣り上がってしまう目を戻せない。硬く握り込んだ拳が小さく震えた。
口を引き結び、体を強張らせたジルを見て怖がっていると思ったのだろう。腰を落としたデリックが、目線を合わせてきた。
「あれはただの戦闘狂いで、魔物じゃなけりゃ取って喰ったりしねぇから大丈夫だぞ」
わしゃわしゃとジルの頭に手を置いたデリックは、人好きのする笑顔を向けている。魔物なら食べるのだろうか。ちらりと窺えば、評された褐色の騎士は微動だにしない。戦闘狂い、その言葉にジルはゲームでのある条件を思い出し、つい同意の笑みを零してしまった。
「ありがとうございます。デリック様」
ラシードを見た時から、ジルは自分が今、エディであることを忘れてしまっていた。ほぐされた心のままに顔を綻ばせる。途端に頭を撫でていた手が止まった。勢いよく引っ込んだその手はデリックの口元を覆い、風を切る勢いで体の向きが変わった。突然の転身に驚いたジルは、具合でも悪くなったのかとデリックの横顔を窺う。赤茶髪の騎士は真剣な表情で、まさか、いや俺は、など何事かを呟いていたけれど、ジルにはよく分からなかった。
「何時までそこに居るつもりだ」
苛立ちを隠しもない低音が頭に刺さった。その声にジルは目的を思い出し、慌てて弟の表情をかぶる。緩慢な動作で立ち上がったデリックは、ジルを一瞥してきた。それからほっとしたように頷き、眼光を尖らせたラシードに体を向けた。
「昨日の三人組がいんだろ。あれの処分についてハワード団長のご子息が」
「いえ、違うんです」
誤解した話が進んでしまう前にジルは訂正を挟んだ。では何をしに来たのかとデリックは訝しみ、進まぬ会話にラシードは無言で圧をかけてきた。ジルは手に携えていた長剣を胸元に抱え、深緑の瞳を真っ直ぐに見上げた。
「昨日の従卒様方と、戦わせてください。僕が、剣を習うに値しないか……確かめて欲しいのです」
騎士団による厳罰は望んでいない。ジルは自分で返さなければ気が済まなかった。ジルの提言にデリックは目を瞠る。次いでその口元は弧を描き、笑い声が溢れ出た。バシバシと両肩を叩かれて、ジルは体が揺れた。
「勇ましいな少年! あー、名前なんだっけ?」
「エディです」
「その気概は買ってやりてぇがエディ、私闘はご法度なんだ」
騎士団のヤツなら手合わせと称して発散させる事もあるが、とデリックは小声で付け加え同情を滲ませた。教会所属とはいえ、エディは民間人だ。戦わせられないと断られてしまった。何か方法はないだろうか。ジルは長剣をぐっと抱えて考えを巡らせる。けれど、そう直ぐによい手立ては浮かばない。
「適性をみてやる」
耽っていた思考に低音が響いた。熾火のような瞳は沈着しており、感情を窺わせない。ラシードの風貌からは、意図を汲み取れなかった。
小首を傾げるジルの横で、デリックも首を傾げている。そんな二人に構わず、ラシードは演習場の開けた場所に足を進めていた。ジルが隠れてしまいそうな幅の大剣を軽々と持つ体は、後姿でさえも精悍だった。
――あと二年。もっと鍛えないと。
ジルがその場で見送っていると、不意に朱殷の瞳がこちらを振り返った。
「従卒なら手合わせをしても問題ない」
エディをいじめた三人組はまだ騎士ではないから、問題ないということだろうか。いや、それでは適正の意味が分からない。そう困惑していると、得心したとばかりにデリックから唸り声が上がった。
「そういやお前、専属がいなかったな」
「……専属?」
「隊長格は自己判断で従卒を一人、専属として指名することができるんだよ」
初めて知る情報だった。しかしそれが今の状況とどう関係するのか分からない。
「バクリー副隊長はまだ専属がいねぇから、従卒としての適正、つまり剣を習うに値するか確認してやるってことだ」
「え、それって……」
「良かったなエディ、上手くいきゃ従卒になれるぞ。戦闘狂いの専属とか俺は勘弁だけどな!」
そう言い飛ばしたデリックは、とてもいい笑顔をしていた。




