287 正義と悪
ジルの提案で始まったバラ摘みは、昼食と共に終わりを迎えた。
薄紅や赤。黄や橙。馥郁とした花々は今頃、噴水や小舟をバラ色に染め上げていることだろう。街の人々は喜んでくれただろうか。様子を覗きに行きたくもあるけれど。
「昨夜は予定を変えてしまい、すまなかった」
「魔法の弾丸があって助かったな」
「弾丸?」
詫びたナリトにクレイグは鼻を鳴らした。ジルは昨夜、聖魔法は使っていない。別件でクレイグが銃を使って土魔法を撃ち出したのだろうか。まさか魔物が出たのかと訝るジルに答えたのはファジュルだった。
「狙った症状を消すジルは特効薬ってことさ」
「んー、それなら万能薬が正しいかも」
「皆さんを癒しますからね」
それが聖魔法を指しているのなら分かる。しかし聖魔法で病は治せないため万能ではない。セレナやルーファスは言わずもがな、妙にあたたかな空気が室内に漂っているのはきっと、窓から穏やかな秋の陽が差しているからだろう。慣れないむずがゆさには気が付かない振りをして、ジルは改めて談話室を確認した。
ジルの正面に風の大神官、その隣には水の大神官が座っている。左右に置かれた一人掛けのソファにはそれぞれ土と火の大神官が腰掛けており、セレナはジルの隣に着席していた。
今日は四人の大神官が揃っている。いよいよルーファスから、話の続きが聴けるのだ。自分が知りたいのだから、自分から切り出さなければ。握った手に、じわりと汗が滲む。
「手紙のお話を聴きたいです、リンデン様」
ここに使用人はいない。ジルは聖女を廃そうと目論んでいるのだ。どうあっても異端者の会合にしかならないため、人払いをしている。それでも念を入れて神殿騎士たちには扉前に立ってもらい、近づく気配があれば報せて欲しいとお願いしていた。
「祈祷の中止と、神殿の訪問ですね」
ジルの問い掛けにルーファスは眉尻を下げて微笑み、言葉を選ぶように顎へ指をあてた。
「確認しながらお話ししましょう。大神官には、毎月の祈祷が課せられています。これは聖女様の御力を支えるためなのですけれど、この御力とはなんでしょうか?」
「魔素を浄化する能力です」
模範解答を返したジルに、リンデン講師は頷いた。
「生き物が魔素を大量に取り込んだ結果が魔物である、と言われています。他に……魔素が影響しているものをご存じですか?」
「魔法。人の体内にある魔素を魔力って言い換えてるだけ」
つまらなそうに講義を聞いていたクレイグの回答に三者三様の反応が起きた。
「うそっ?! それじゃ人も」
「へー、そうだったんですね」
悲鳴にも似たセレナの声、関心の声を上げるデリック。その中でジルは口を閉ざしていた。否、唇は縫い付けられたように動かせなかった。
「魔物化が懸念されるほどの魔力を保有した人間は一握りだ。心配はいらないよ」
「その方便も今となっちゃ怪しいもんだね」
不安そうに両腕を抱えたセレナへナリトは副講師の如く補足した。その横でファジュルは両の手の平を上向けている。
魔力は魔素である。この定義を知る者は少ない。ナリトの言った通りほとんどの人間には無関係であり、周知したところで不要な混乱しか招かない。そのためソルトゥリス教会は女神の加護によって魔法が使用できる、としか発表していないのだ。
変異体の魔物が現れて芽生えた懸念。祈祷を止めたことで現れた変化。薄々、気が付いていた。はずれて欲しかった予想は見事に的中し、ジルの体から熱を奪っていく。
――私が、魔物の弱点を教えたからだ。
窓から差し込む陽と同じくらい穏かな声で、風の大神官は裁判を続ける。
「大神官は聖女様の御力を支えるほかに、自身の魔物化を防ぐためにも祈祷をおこなうのだと、ソルトゥリス教会から説明を受けます。では、祈祷で注ぐものはなんだったでしょうか?」
「魔力で……えっ、魔素を浄化するのに、魔素を流す、の?」
「はい」
導き出した答えを疑うセレナに、風の大神官は深く頷いた。その直後、さも愉快だと言わんばかりに火の大神官が喉を鳴らした。
「あの魔法陣でなにか変換でもしてるのかと思ったら、とんだ布教活動だ」
「自作自演しないと維持できない権威とか終わってる」
「この事実を把握している者は?」
「歴代の教皇と総大司教だけです」
土の大神官は不愉快だと鼻を鳴らし、水の大神官は情報を整理している。セレナはソルトゥリス教会のおこないが信じられないようで、口に当てた両手は小さく震えていた。
ソルトゥリス教会の教えは目覚めてから眠るまで共にある。聖女は魔素を浄化できる唯一の存在で、その聖女を庇護する教会は絶対的な正義だ。
その正義が自ら悪を、魔素をばら撒いていると言われて、すぐに受け入れられるわけがない。
「どうして……どうしてそんな事を、してるんですか? 魔物を増やすなんて……そんなの人殺しじゃないですか!!」
震える喉の奥から吐き出された感情は、混乱と憤慨。魔物の被害に遭った人々の恐怖や悲しみ、苦しみに想いを馳せているのだろう。ソファから立ち上がったセレナは水蜜の瞳を潤ませ、大神官たちを睨みつけていた。
――そうだ。私は人殺しだ。




