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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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286 謝礼とバラ

 公人としての理性と、私人としての感性に折り合いをつけているのだろう。膝の上で組まれた指先には力が入ったままだ。そんなナリトを見守りながらジルは、心の内で首を傾げていた。


 ――いつも?


 ナリトを救うなど、大層なことをした記憶がジルには無い。なにか小さな出来事を拾い上げて大きく話しているのだろうか。唯一当てはまりそうなのはシアルトラングの解毒だけれど、ナリトは知らないはずだ。


 ――目が合ったのは、寝ぼけてただけだし。


 大体、ジルが治療したと気が付いているのなら話題にするだろう。それこそ、先ほどされたユウリからの謝辞に含まれていても不思議はない。二人ともなにも言わないということは、そういうことだ。ジルから主張するものでもない。不法侵入のうえに、解毒の方法が。


 気が付けば下がっていた視界のなかで、形の良い薄い唇がひらいた。


「では領主として、ジル嬢に謝礼を渡したい」

「しゃ、謝礼?! そんなものを頂くようなことは何も、なにもしていません!」


 思い出さなくていい感覚を振り払うように、ジルは手と顔を思い切り左右に振った。その姿をナリトは遠慮や謙遜と受け取ってくれたのだろう。


「ガットア領で、不正売買の証拠をみつけてくれただろう?」

「あれは、たまたまそこにあっただけで」

「君が帳簿を発見して、商人の男を改心させた。そのお陰で私は、攫われた者たちを保護できた。首謀者が捕らえられ、領民たちも安堵しただろう。これは間違いなく、君が齎したものだ」


 ひとつひとつジルへ丁寧に伝えたナリトは、そこで一度言葉を切った。深く青い、凪いだ瞳にはジルが映っている。


「タルブデレク領を預かる者として、ジル・ハワード神官見習いに礼を言う。ありがとう」


 長い艶やかな黒髪が、はらりと前に流れ落ちた。ただの神官見習いに、聖女でもない者に、領主が頭を下げる必要はないのに。


「頂戴いたします。ですから、顔を上げてください」


 貰うばかりが落ち着かないのは、自分もよく分かる。その返事にほっとしたのだろう。ぎこちなかったナリトの表情になめらかさが戻ってきた。


「なにか希望はあるかな? 君が望むなら、毎日チョコレートを贈ることもできるよ」

「ま、毎日は多いです」

「二日に一度?」

「一ヶ月に……じゃないです! ちょっと考えますから、待ってください」


 神官見習いに命令されたタルブデレク大公は嬉しそうに頷き、紅茶へ手を伸ばした。ジルが菓子を贈ろうと思っていたのに、なぜ受け取る側になっているのだろう。明日が誕生日なのはナリトの方なのに。


 ――ん?


「明日、庭園は解放しないのですよね?」

「そうだね」


 ジルの唐突な質問に小首を傾げながらもナリトは首肯した。この情報は合致しているようだ。


「舞踏会はひらくのですか?」

「君が手を取ってくれるのなら、今すぐにでも楽団員たちを呼び寄せよう」

「それはファジュル大神官様が手配したそうです」


 笑みに象られた青い瞳が、無言でジルから逸れた。視線の先にいるのはタルブデレク大公の側付きだろう。この情報には相違があるようだ。


「決めました。庭園のバラを全部、私にください!」


 ◇


 雲ひとつない清々しい秋空のした、花やかな庭園のあちらこちらでパチン、パチンと鋏が連奏している。


「棘はこっちで取りますから、聖神官様方は花だけを集めてください」


 手元にあるカゴは薄紅色の花弁でいっぱいになった為、花束用の収穫を手伝おうとジルが茎に鋏を入れたところ、年配の庭師が新しいカゴを持ってきた。セレナの持つカゴも取り替えられている。


 従者から聖神官に変わったジルを見て庭師は驚いた顔をみせたけれど、理由を訊ねてくることはなかった。雇い主の事情には深入りしない、的確な対応だ。


「バラ摘みの許可をくださり、ありがとうございました」


 からの編みカゴを受け取りながらジルは、庭園の管理者である庭師に一礼した。庭を彩っていた優雅なバラは聖女一行や使用人たちによって刈り取られ、緑の葉ばかりになりつつある。


「いやいや。わたしはお庭を預かっているだけで、旦那様の指示に従っただけですよ」

「それでもお手入れをしていたのは、庭師の方々ですから」


 綺麗な庭園を荒らして申し訳ない。ジルが伝えた感謝の言葉には、そんな思いもあった。そんなジルを気遣ってくれたのか、年配の庭師は笑い声を咲かせた。


「今年は城門を閉じてるんで、あなたはバラ園が観られていいわね、なんて嫁さんから妬まれてたんです。こっちは仕事だってのに」


 庭師はやわらかな薄紅を重ねたバラの花をパチンと鋏で摘み取り、ジルの持つカゴに入れた。


「城の花を配るなんて初めてだ。みんな喜びますよ」


 漕ぎ手の話を思い出したジルは、昨夜ナリトに提案したのだ。


 街の噴水にバラの花を浮かべたい。小舟をバラで彩りたい。庭園が解放されず、残念に思っている人がたくさんいると聞いた。舞踏会に影響がないのなら街にバラ園を作りたいと言ったジルに、ナリトは二つ返事で許可をくれた。

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