282 防衛費とドレス
服飾店の経営者でありデザイナーでもある夫人曰く、魔物被害が増えるにつれて貴族たちの茶会や夜会も縮小。そこへタルブデレク領最大規模を誇る領主主催の舞踏会も中止となり、新調するドレスの数が大幅に減ったそうだ。
夫人は頬に手を当てため息をついた。
「削った分は防衛費にまわっているそうですから、滅多なことは言えないんですけどねえ」
「命あっての物種だ。数は減っても、仕立ての依頼はあるんだろう?」
部屋の端に置かれたソファで足を組み、口の端を上げたファジュルへ夫人も笑ってみせる。
「代わり映えのしない衣装も、完璧に仕上げてみせましたとも。ええ、物を大切にする精神はわたしも好きですよ。そこから得られる学びもありますからね。でもねえ」
奥歯にものが挟まったような言葉はそこで途切れ、まるで天啓を受けたかのように夫人の目と両手がパッとひらいた。
「わたしは新しいものが好きなの! さあ、可愛らしいお嬢さま方、採寸を始めますよ!」
「失礼いたします」
「えっ」
「わっ」
夫人の合図を受け、すっと数人の針子が近づいてきた。驚くジルとセレナに構わず体や腕にメジャーを巻き付け、手際よく記録している。なぜドレスを作る流れになっているのだろうか。ジルは体からメジャーが離れるやいなや針子から距離をとった。
「ドレスを作るお金なんて持っていません」
「わ、私も、ドレスはまだ早いです……!」
ジルに追随したセレナの頬はほんのりと染まっていた。平民にとってドレスは、婚礼衣装と同意義だ。セレナは想い人との結婚式を思い浮かべたのだろう。可愛らしい反応に思わずなごむ。
そこへカチャ、と陶器の重なる音がした。いつのまにか給仕されていた紅茶のカップをテーブルに置いたファジュルは、胸の下で腕を組んだ。
「アタシが払うに決まってるだろう。ジルには未払いの報酬が残ってるんだ。セレナには従者の貸出料を渡してなかったからね」
「仮にファジュル大神官様にお支払いいただいたとしても、ドレスを着る予定も保管場所も、私にはありません」
「着るのは明日。それが終わったら売るなり捨てるなり、アンタらの好きにしな」
「明日? 明日って……」
「頂き物を売るなんて、そんなことできません」
ガットア領で水の大神官に仕えた対価だとしても、ドレスという報酬を選んだのはファジュルだ。それを選んだ理由は分からないけれど、ジルやセレナへの想いが込められているのは確かだ。それに売るや捨てるなど、作り手の前で失礼ではないだろうか。店の人たちは不快に思っただろう。店内の様子を窺えば、夫人はつぶらな瞳をさらに丸くしており。
「貰いものだからって要らないものまで置いていたら、どんなに広いお屋敷でもゴミだらけになりますよ」
ジルが思いも寄らない反応を示した。
「自分からねだったんならともかく、渡された時点で所有権はこっちに移ってるんだ。それへ向けてなんだかんだ言ってくるヤツが狭量なんだよ」
ファジュルの意見にデザイナー兼、服飾店の経営者は大きく頷いている。夫人は並べられたドレスに近づき、その一つに手を添えた。
「作品を大切に扱ってくれるのは、もちろん嬉しいですよ。ですけれど、わたしは人に着て欲しくてドレスを作っているんです。置き物になるくらいなら、必要とする人に渡ったほうが、わたしはありがたい」
ドレスを撫でる手はやわらかで、夫人が嘘をついているようには見えない。
貧しかったジルに、捨てるなんて選択肢は存在しなかった。労働の対価として得られる食料は貴重品。与えられる物は、ボロ布であっても感謝して受け取るのが当たり前だった。
「さあ、これで心配事は無くなったね。ドレスの色はどうする?」
ファジュルが締めくくったのを合図に、針子たちは再び動き出した。声掛けをされ、コルセットベストや帽子のリボンが解かれていく。セレナの淡紅の金髪を綺麗だと褒める声の横で、ジルを担当していた針子は息を飲んだ。
「まあ、銀色の御髪はいつ以来かしら。濃い色は使わない方がよろしい?」
妖魔と同じ色合いになるのを避けるかと、夫人はジルを気遣ってくれたのだろう。不帰の夢へ誘うといわれているイオネロスは、銀髪に黒衣をまとった姿をしている。
そこから話題を逸らすように、貴族はどのようにして色を選ぶか夫人は話し始めた。その時の流行色や、単純に好きな色。既婚者や婚約者のいる人は、相手の髪や瞳、紋章の色を差し色や宝飾品に取り入れたりするそうだ。
「全身をご自身の色で揃えて、恋人に贈るかたもいらっしゃいますよ」
――ゲームでヒロインが着てたドレス、何色だったっけ。
思い出せない。ここはタルブデレク領だから、順当に進んでいれば水の大神官を示す色のドレスだろうか。
「お相手の色に染まりたいと、ご自分から選ぶかたもいらっしゃいますね」
――ああ、だからエヴァンス公爵令嬢は、青色のドレスをいつも着てたんだ。
「独占と依存、ぴったりだね」
「大切な人だって示したい、好きな人を身近に感じたい、ってことですよね。その気持ち分かるかも」
ファジュルは呆れたようなため息を吐き、セレナは照れたように両手を頬に当てている。そこへ夫人は笑顔で問いかけた。
「お嬢さま方は、いかがなさいますか?」




