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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
282/318

281 小舟と前夜祭

 帆船が行き交うには手狭だけれど、小舟なら悠々と進める水路沿いの舗道を歩く。


 テラス席で遅めの朝食を楽しむ人々。紙片を手に視線を彷徨わせている二人組は観光客だろうか。横切った噴水の傍では熱心に絵筆を動かす人がおり、その前を子供たちが楽しそうに駆けていった。


 魔物の気配など感じないこの街には、ゆるりとした時間が流れているようだ。


 水路に停泊している小舟が増えてきた。橋のたもとに、舗道から枝分かれした短い階段がみえる。先頭を歩く、案内人のヒール音が止んだ。


 ――きた。


「ここからは舟に乗るよ」

「やったー!」


 セレナの反応はリッサの町で逢った妹にそっくりだった。瞳をきらきらと輝かせて、顔一杯に喜びの花を咲かせている。


 ジルは弟の振りで培った無表情を全力で保った。


 ――大丈夫、大丈夫。


 もし落ちてもデリックがいる。いや、命の危機に晒されたほうがいいのかもしれない。そうしたら勢いで泳げるようにならないだろうか。過保護はためにならないと水夫も言っていた。ラシードもいるから泳ぎかたを教えてくれるだろう。


「何してんだい、ジル」

「はいっ、乗ります!」


 ファジュルとセレナはすでに舗道から乗り場に移動していた。長いオールを持った漕ぎ手に案内され、小舟に乗り込んでいる。


「どうぞ。揺れるから気を付けてくださいね」


 慌てて石段を降り水路に近づいたジルへ、セレナの手が差し出された。教会領を出た時はジルの役目だったのに、今はセレナにエスコートされている。この状況がなんだかおかしくて、頼もしくて。セレナの手を支えに、ジルは揺れる舟底に足を乗せた。


 揺れが小さくなるのを待って慎重に椅子へ腰を下ろせば、ラバン商会の用心棒が乗り込んできた。


 見事な彫りが施された小舟は四人用で、前列にジルとセレナ、後列にファジュルと用心棒が座っている。乗舟人数が多いものになると席は進行方向ではなく横向きに据えられ、長椅子に変わるそうだ。


 長いオールが水を掻き、すーっと舟がすべり出した。ひんやりとした水を含んだ空気が頬を撫でていく。先ほどまで立っていた硬い道は目線より一段高くなり、やわらかな路は手で掬えそうな距離にある。


「すごーい。あ! エディ、じゃないジルさん! あそこにいる人、手を振ってますよ。旅芸人かな?」


 これから興行を始めるのだろうか。色とりどり奇抜な衣装に身を包んだ一団が対岸に集まっていた。おどけた様子の道化師へ、手を振り返す笑顔のセレナ。初めの緊張はどこへやら、楽しそうな雰囲気につられてジルの手も揺れる。


 そんな二人を、舟尾に立った漕ぎ手は観光客だと思ったのだろう。


「明日は領主様の誕生日なんだ」


 その言葉にジルの手は固まった。隣にある手も、止まっている気がする。


「いつもは城の庭園が開放されるんだけど、今年は中止。でも祭は禁止されていないからね。今日は前夜祭だよ」


 視界のなかで、すーっと華やかな街が流れていく。


 城のバラ園は優雅で甘美。なんといっても女性に人気があり、恋人や夫婦はもちろんのこと、愛の告白や求婚の舞台として選ぶ人も多いそうだ。しかし今年は入れないから、彼女や妻の機嫌をとろうと画策していた男たちは大変だ。と、語った漕ぎ手の話はジルの耳を通り抜け波間に消えていった。


 芸術が盛んな領地だというゲーム知識がジルにはあった。街中を歩くのは初めてだから、違和感を覚えなかった。


 錆びた歯車のように、ギギィ、と首を横に回せば。


「「あした!!」」


 ジルとセレナの声が連奏した。どちらからともなく左右の手を互いに握り合い、どうしよう、今から帰ってクッキーを焼くか、でもお茶であんなことがあったから、どうしよう、と口々にささめき合う。そこへ、さも愉快だと言わんばかりにかすれ気味の笑い声が押し寄せた。


「アタシは知らないのかと思ってたよ。安心しな。これからその準備に行くんだ」

「「え?」」


 ◇


 流されるままにたどり着いた先は、服飾店だった。


 壁に設けられたアーチ状の縦穴に舳先を乗り入れ、水底から伸びた階段をのぼり、水面の上にある扉から入店した。一艘しか着舟できず、帰りも当然この扉を使うため、漕ぎ手には待機料も支払われるそうだ。


 そんな店で売られているものが、安価なわけがない。


「すぐに始められるかい?」

「万事整ってございます。皆様、どうぞこちらへ」


 恭しくラバン商会の会頭を出迎えた店員は展示された華やかなドレスを通り過ぎ、二階の個室へと誘導した。


「うわ」

「すごーい」


 通された部屋のなかには、花束のようなドレスがずらりと飾られていた。腰からふわりと裾の広がったもの。体にそってすらりと流れているもの。大胆に前の裾だけ短いもの等々。十着以上のドレスが並んでいる。


 その衣装群を背負い。


「明日の日暮れ前には仕上げてみせますよ。なにせ今年は予約がサッパリですからね!」


 首にメジャーをかけ、腕に針刺しを巻いたふくよかな夫人が、とびきりの笑顔で待ち構えていた。

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