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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
281/318

280 小食堂と服

 穏かな陽射しを思わせる淡黄のテーブルクロスには、秋の実りが並んでいた。


 甘くプチプチとした食感が面白い果物と、木の実や熟成チーズが散りばめられたサラダ。ほっこりとした味わいが身をあたためるカボチャのスープ。バターをたっぷり含んだ風味豊かな焼きキノコ。少し硬めのパンは香ばしさのなかにほんのりと酸味が感じられ、これ単体で食べてもおいしい。


 ブドウの果実酒を飲むかと勧められたけれど、ジルを始めみな酒精のない物を選んでいた。


「このキノコ、見た目が気持ち悪くて避けてたけどこんなに美味かったんだなー」

「柄は意識が飛ぶほどうまいから、次みつけたら食べてみろ」

「クレイグ大神官、毒をすすめないでください。可食部は網目の傘だけですよ」

「マジですか? ラシード、おまえ食わなくて良かったな!」


 デリックは笑顔で隣席のキノコも平らげた。代わりとばかりに黙々と食事を続ける同僚へ、ソースのかかったゆで卵を一つ渡している。この卵料理は希望者にのみ提供されたもので、神殿騎士たちは三つも頼んでいた。


 小食堂のテーブルで朝食を摂っているのは、ジル、セレナ、クレイグ、デリック、ラシード、ルーファスの六名で賑やかだ。壁際にはしっかりと使用人たちが控えているのだけれど、誰も食事作法を咎めたりはしない。


 男性陣の会話を横目にリンゴの果実水を飲み終えたセレナが、隣席のジルに首を傾げた。


「領主様は夜に帰ってくるんですよね。それまでどうしましょうか?」


 日課の素振りは早朝に済ませたので、時間を潰すならラシードと手合わせをするくらいだろうか。しかしそれを夜まで続けると、ルーファスの話を聴く前に寝落ちしてしまいそうだ。となると。


「私は特に……セレナ聖神官は、何かしたいことはありますか?」

「んー、そうだ! 街にすっごく大きな図書館があって、二通りの行きかたがあるんです。前は橋を歩いたんですけど、」


 ――あ、これは。


 嫌な予感がした。タルブデレク領の別名は。


「次は舟に乗ってみたいです!」


 水蜜の瞳は、光を反射した水面のように煌めいていた。街中に巡らされた水路を小舟で移動するなんて、水の領地でしか経験できない。セレナの笑顔を曇らせたくはない。分かりました、そう頷こうとジルが口をひらいたとき、思わぬところから助け舟が出た。


「水路は逃走経路が限られます」


 小食堂に入ってずっと無言だった護衛騎士が、初めて言葉を発した。ジルが泳げないのを知っているのは、ラシードとデリックの二人だけだ。


「これみよがしに公爵家の紋章が付いた神官を狙うヤツなんて、自殺願望者くらいだろ」

「そういう輩が一番面倒なんですよ、女神先生。まあ、なんかあったらジルはオレが担いで泳ぎますけど」

「僕の就任はまだ公布されていないので……すみません」


 一介の神官は総大司教の交代をまだ知らない。深緑色の法衣を着た風の大神官をみたら、街は教会を巻きこんだ騒ぎとなるだろう。そういった事情もあり、今日のルーファスは見慣れた浅縹色の神官服を着用していた。


 ならば、どうして昨日は深緑色の法衣だったのか。ジルが疑問を口にすれば、偶然と必然が重なったのだとルーファスは答えた。


 教会御用達の服飾店がこの街にあり、本縫い前の最終調整に訪れたところ、すでに総大司教の法衣が完成していたそうだ。驚きはしたものの試着した法衣に問題はなかったため、その場で引き取り、予定通りシャハナ公爵邸を訪問した。しかしナリトは不在。クレイグの姿を見つけ状況を聴いたルーファスは、総大司教として加勢したほうが話しが早いと判断し、わざわざ着替えたそうだ。


 その回答で閃いたのか、ぱん、とセレナが両手を打ち合わせた。


「神官服が危ないなら、普通の服でお出かけしましょう!」

「いいね。ついでにアタシの用事にも付き合いな」

「ファジュル大神官様!?」


 セレナが提案した直後、紅い裾を捌きながらカツカツとヒール音が近づいてきた。小食堂の扉が動いたのは気が付いていたけれど、ジルは使用人が出入りしたのだと思っていた。セレナも同じように目を丸くしている。


「どうしてここにいるんですか?」

「話しがあるって、そこにいる風の大神官に呼び出されたんだよ。なんだい、主役がいないじゃないか」

「ナリト大神官は夜に戻るそうです」

「夜まで戻らなくていいってことだね」


 ルーファスの答えを聴いたファジュルはほくろを飾った艶やかな口元に弧を描き、肩にかかっていた亜麻色の髪を払った。


 ◇


 ファジュルはラバン商会の使用人に服を買いに行かせ、ジルとセレナに着替えるよう渡してきた。


 絹の長袖シャツに、ペティコートとロングスカート。腰はコルセットベストで軽く絞り、手袋を着ける。つばの広い帽子のリボンを顎下で結び、刺繍入りの厚手ストールを羽織ったら、少しいいところの娘にみえなくもない。


 三人の関係性を作るなら、取引先の婦人に街を案内する富商の娘たち、といった感じだろうか。実際には、ジルやセレナが案内される側だけれど。


 シャハナ公爵家に呼び寄せた辻馬車に乗っていた女性三名と男性一名は、街の適当なところで降りた。


『濡れ落ち葉じゃないんだから、くっついて来るんじゃないよ』

『目立つと危ないんだろう。金髪なんて恰好の的じゃないか』

『むさくるしい』


 ルーファスはしゅんと眉を下げ、クレイグはむっと眉を上げ、留守番になった。ファジュルにはラバン商会で雇った用心棒がついているため、神殿騎士たちは領民に紛れ離れたところから職務に就いている。

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