27 小姓と稽古
視点:エディ◇ジル
姉が部屋に入って来た時点で、エディは隠し通せないと分かっていた。それでもと抵抗を試みたけれど、姉に抱き竦められて無理だと観念した。事を大きくすると脅されたなら、呆れを通り越して安心した。そして、切なくなった。
姉は昔から変わっていない。エディが近所の子供に石を投げられたと聞けば、同じ分だけ投げ返しに行った。自惚れているわけではないけれど、自分に何かあれば姉が動くと知っていた。とても大事にされて、とても愛されている。
――どうだっていいのに。
父がいなくても、母がいなくても。姉がいれば他はどうでもよかった。
姉が自分を想っているのと同じだけ、エディも姉を想っている。だからこそ、痣のことは隠したかった。仕返しに行った姉が傷を負うところなど、想像もしたくない。黙っていれば姉は本当に対象を探して、方々を訊ね歩くだろう。姉を護りたくて剣は自分が習うと断言したのに、昔から変わっていない立ち位置に悔しくなった。
「…………姉さんが、危ない事をしないと、」
「約束する」
被せてきた。約束してくれるなら、と紡ぎかけた口を閉じた。背中に回されていた姉の腕を解き、顔を合わせる。自分とよく似た紫の瞳に、揺らぎはなかった。
◇
エディから話を聴き終えたのは、時計の針が二十四時を過ぎたころだった。
打撲した体で鍛練をして、その上、冷やしてしまった。就寝も二時間は遅い。眠る弟の前髪をそっとよけて額に手を当てれば、熱が出ていた。感情に任せて無理をさせてしまった。エディの肩までしっかり上掛けを引き上げて、ジルは自分の寝台に戻った。
厩舎での仕事中、騎乗訓練に出ていた馬を戻しに来た三人の従卒にやられたと言っていた。名前は不明で、全員枯色の髪。馬丁は馬の治療で近くにはいなかったそうだ。突き飛ばされ、転倒したところを踏みつけられた。腕の骨は折れていないけれど、赤く腫れ上がっていた。
――気に食わない、それだけの理由で。
従卒は基礎訓練が主で、指導を受けるにしても担当騎士からだ。団長直々に剣を教えて貰うことなどない。だから、騎士でもない小姓が、と妬まれたのだ。
――本当の子供でもないくせに、か。
剣を教えて欲しいと頼んだのはジルだ。厚顔にも、神殿騎士団の団長であるウォーガンに乞うてしまった。暴力をふるった従卒が悪いのは間違いない。でもその切欠を作ったのは、自分だ。
帰りの遅い従卒達を騎士が呼びに来なかったら、弟はもっと酷いケガをしていたかもしれない。騎士はデリックと名乗り、その場で三人を叱り飛ばし詫びてくれたらしい。だからもう終わった話だとエディは言った。
暗がりに慣れた目で時計を確認すれば、寝台に入ってから半刻が経っていた。
◇
四時間後、ジルは起床した。弟の服を着て前髪を下ろし、首元で一つに結ぶ。後ろ手に剣を隠したら、小姓姿のジルは眠っているエディに声をかけた。
「まだ熱があるでしょう。今日は私が厩舎に行くから、講義よろしくね」
弟の死角となる位置で剣を持ち、返事を聞く前にジルは部屋を出た。危ないことはしないと約束した。“姉さん”は。今のジルはエディだ。約束は破っていない。
同じような事が起こらないとも限らない。エディには手を出せない、剣の稽古を受けるだけの実力がある、と周囲に思わせなくてはいけない。そう考えたジルは、仕事が終わるや否や第二神殿騎士団の演習場へ向かった。騎士棟へ行く素振りで枯色の髪を探したら、多数の該当者がいた。
――顔の特徴も訊いておくんだった。
訓練の邪魔にならないよう、塀に沿って石敷きの端を歩く。自分の姿を見たら、対象は何かしら反応を示すのではないか。剣戟の響くなか、目を凝らしていると不意に声をかけられた。
「ハワード団長なら遠征でいねぇぞ」
騎士の顔にジルは見覚えがあった。赤茶の髪に深緑の瞳。しかし、どこで会ったのかすぐには思い出せない。記憶を辿りつつ、どう返そうか悩んでいると続けて騎士が口を開いた。
「あいつ等ならオレが懲罰を与えといた。それで勘弁してやってくんねぇか」
そう言って騎士は、肩で息をしながら走る三名の従卒を親指でさした。昨日を含めて十日間、ずっと走り込みを行うらしい。エディを知っているということは。
――この人がデリック様。
赤茶髪の騎士は、すまなそうな顔をしていた。エディが団長に訴えに来たと思ったのだろうか。この騎士が上官への報告を怠ったとは思っていない。ジルは騎士団に厳罰も望んでいなかった。目的を伝えようとした時、お腹に響く低音な声が割って入った。
「何をしている。訓練の邪魔だ」




