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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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275 誤認と協力

 午前中はローナンシェ大公の件があり疲れただろう。今夜はナリトが不在だから、話の続きは明日にしよう。ルーファスはそう締め括り、ジルたちに休むようすすめた。


 祈祷の中止、土の神殿、魔王の封印、総大司教の交代。訊きたいこと、話したいことはたくさんあった。


 疲れているかと問われれば、ジルの答えは否だ。疲労感よりも、足元がおぼつかない不安定感が勝っている。それを解消するまでは、眠れそうもない。


「就寝の挨拶をする前に一つ、リンデン様に訊ねたいことがあります」

「お答えできることでしたら」

「離宮で……どうして私に、跪いたのでしょうか?」


 ルーファスは一瞬、穏かに笑んだまま固まった。


 わざわざ皆に、ジルが聖女であると誤解させた理由が気になっていた。あの場はすでに総大司教が掌握していた。だから騒動を収めるために聖女が必要だった、という理由ではないはずだ。


 土の神殿を訪れたことで、まさか自分にも聖女の御印が、と試しに浴場で聖魔法を発動してみたけれど、文様は片手にしか浮かばなかった。


 ――セレナ神官様の替玉。


 ジルが思いつくなかで、それが一番もっともらしい理由に思えた。聖女を解放するというジルの企みがソルトゥリス教会に露見しており、セレナの身に危険が迫っているのではないか。それならば自分はこのまま堂々と聖女として振る舞い、少しでも情報をかく乱させたほうがいい。


 ルーファスの意図は。ジルは固唾をのんで緑の瞳を見詰める。談話室に流れる虫たちの演奏が大きくなって数秒、正面から小さな息が吐き出され、飴色の眉尻が垂れた。


「傷を治すには、あれが一番早いと思い……」

「きず?」


 予想とはまったく異なる回答にジルの首は傾いだ。離宮の応接室で治療された人間は一人しかいない。しかしルーファスは、ジルが自己回復できるのを知っている。


「風の大神官様の気持ち、よーく分かります」

「私も治療できて安心しました」

「ていうかジルが人質になってるのがありえない」

「読み違えていた」


 なぜかデリックとセレナもルーファスに同意していた。かと思えば、クレイグは神殿騎士たちを非難し始め、ラシードはジルに詫びている。聖女誤認と治療の関係性がまったく分からない。


「人質は、侍女に飛び込んでいった私の落ち度です。皆さんはなにも悪くありません。それと、私は自己回復が使えます。部屋を出たあとに治して、セレナ神官様に治療していただいたことにすれば問題はなかったはずです」


 傷の治療は答えになっていない。ぐるりと皆へ視線を巡らせて主張すれば、視界の横から水蜜の瞳が入りこんできた。


「自己回復できるけど、痛みはあるんですよね?」

「ええ、まぁ、はい」

「ジルが痛いの我慢してるって気付いてるのに、放置する人間がここにいると思う?」


 振り仰いだ先には深緑の瞳があった。ソファの背後からジルを覗き込んだデリックの顔には、いるわけがない、と書かれているように見え。


「そんなわけが」


 あった。再びぐるりと視線を巡らせて見れば、皆一様にジルを見詰めている。ここには心配性しかいないらしい。そうだとしても、傷を治すためだけに聖女を騙るのは周囲への影響が大き過ぎる。嘘だと露呈すれば異端者の烙印を。


 ――ああ、もう皆そうだった。


 自分が協力を頼んで、この状況ができあがったのだ。


「分かりました。ここではお忍び中の聖女様として過ごします」

「それなら、ジルさんって呼んでもいいですか? 表向きは秘密になってるから聖女様とは言えないし、聖神官の服を着てるのにエディ君って呼ぶのも変だし」

「明日からは従者の服に戻りますので、呼び名の変更は」

「ええー! 似合ってるのに」


 浴場にはこの服しか着替えがなかった。しかし寝室に戻れば、これまで着用していた替えの服があるのだ。聖女は正体を隠して滞在している、という認識が使用人たちの間に広まっているのだから、服装は従者に戻っても問題はない。


「今だけとかもったいない。それ絶対ジルに合わせた特注品で、すげえ金掛かってるぞ」

「うっ」


 やはりそうなのだろうか。しかし、ジルが欲しいとねだったわけではない。デリックの攻撃を受け流そうとしたとき。


「羽織も繊細で、すごく綺麗ですよね。私ももう少し、ジルさんとお揃いを楽しみたいです」


 横合いから強力な追撃が繰り出された。隣席から、にこにこと期待に満ちた気配が漂ってくる。そこへ、ダメ押しの一撃が入った。


「ジル嬢と同じ聖堂に勤めているような、夢のひとときでした」


 胸を突かれるどころか、やわく握り潰された。


 説得や要望ではなく、感想しか言わないルーファスは、どこまで意識しているのだろう。宿屋を継ぐ夢が消えたとき、ジルがリングーシー領を訪れるという選択肢も消えたのだ。ルーファスと共に過ごせる場所は、教会領しか残っていない。


「ジルで構いません。でも、シャハナ公爵邸のなかだけです」


 その答えにデリックとセレナ、ルーファスだけでなく、クレイグやラシードまで満足そうに頷いた。皆に喜んで貰えたなら、自分も嬉しい。


 ――協力のお礼、できるだけ返そう。

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