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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
275/318

274 神官服と刑罰

「おかえりなさいませ」


 当主から早馬で通達が出ていたらしく、上半身を赤く染めて宮殿に戻ったジルは大勢の使用人に迎えられた。


 平伏ではなく立礼であったことから、聖女は公然の秘密となったらしい。


 これまでも客人として遇されていたけれど、所詮は従者だ。それとは比にならない丁重さで応対され、ジルに付き添う侍女たちまで手配されていた。


 クレイグはジルの身支度が終わるまで図書室にいると告げ早々に離脱。デリックはまだ離宮から戻っておらず、ラシードは黙々と職務に就いている。


 聖神官一名に侍女三名。それから神殿騎士と衛兵を引き連れて歩くジルの姿はまるで、リシロネ大聖堂の廊下で会した聖女エリシャのようだ。案内された浴場のなかにまで付き従ってくる侍女たちへ、セレナがいるから必要ないと訴えて、ジルはやっと息がつけた。


「他に着替えは……」

「無いみたいです」


 明るく広い浴槽にはバラの花が浮かべられており、華やかな香りにジルとセレナはつい長湯をしてしまった。現状から目を逸らしたかったのも、多分にある。


 しかし起きてしまったことは消せない。逃げられない現実が、さっそくジルの手元にあった。


「これ、領主様のお家の紋章ですよね。あ、羽織にも入ってる」


 ジルの着ていた従者の服は跡形もなく消え去り、浅縹色の神官服と白いレースの羽織が置かれていた。


 形だけ見ればセレナが着ているものと同じだ。しかし、手触りのよい生地にはシャハナ公爵家の文様がさらりと織り込まれており、光の角度によって美しい濃淡を描き出した。立襟や袖口、裾には紫の差し色が使われ、まるでジルのために誂えたような意匠をしている。


 下着姿で歩くわけにもいかない。観念したジルは神官服に袖を通した。


 ◇


 エヴァンス公爵家について報告を受けたのは、大食堂で使用人たちに見守られながらの夕食を終えたあとだった。


 暖炉へ火を入れるほどではなく、窓をあけるには冷えた夜。絵画や書棚、オルガンの置かれた談話室にジルたちは集まっていた。


 ふかりと沈むなめらかな布張りのソファに並んで座ったジルとセレナ。ラシードとデリックは二人の背後に控えており、ローテーブルを囲むように配された一人掛けのソファには、クレイグとルーファスが座っていた。この場に、ナリトの姿はない。


「司法官が到着次第、ウェズリー・エヴァンス、ならびに側近の身柄を引き渡します。重ねた罪に基づけば極刑は免れないでしょう」

「エヴァンス公爵令嬢は……」

「彼女はローナンシェ大公夫人やご子息と共に、領地へ送還されます」


 水源豊かなタルブデレク領を遊覧していた母親や長兄は、ナリトが手配していた宿泊先に留置されており、レイチェルはそこへ移送されたそうだ。


 ルーファスの答えを聴いてほっとした、というのが正直な感想だった。肩の力が抜けたジルに、総大司教は先ほどと変わらない静かな語り口で続ける。


「シアルトラングの毒性を把握しながら飲用したのは自分だとして、ナリト大神官からも不問にして欲しいと口添えがありました」


 ローナンシェ大公を誘き出すためとはいえ、その娘を利用したことにナリトも気が咎めていたのだろう。レイチェルは父親から何も知らされていなかったのだ。毒の件だけでなく、聖女を叩いた罪で重罰に、などと言われたらジルは減刑を嘆願しようと考えていた。


「ローナンシェ大公夫人への説明と事情聴取を兼ね、ナリト大神官も移送に同行しています。帰りは早くとも明日の夜になるそうです」


 エヴァンス父娘について話し終えたルーファスは紅茶を口に含んだ。まだ夕食を摂っていない総大司教のために用意されたパンなどの軽食も並んでいるけれど、手を付ける様子はない。


「私を拘束した侍女は、どうなりましたか?」

「情状酌量の余地はありましたけれど、こちらも無罪放免というわけには参りません。少なくとも数年は収監されます」

「そう、ですか」


 問答無用で打ち首とならなかっただけ、良かったのかもしれない。ジルを人質にした事実は変わらないけれど、自分は聖女ではないし、実際に首を斬ったのは拘束された本人なのだ。


 ジルは総大司教の裁定を紅茶と一緒に飲み下した。しかし、斜め横に座ったクレイグは気に入らなかったらしい。


「ぬる過ぎ。全員極刑でいい」

「それは」

「僕もそう思いました」

「えっ」


 厳しすぎる。そう続けようとしたジルの言葉は、驚く声に変わってしまった。レイチェルや侍女に対する刑罰はルーファスが決めたのではないのか。それなのに本人が納得していないとはどういう事なのだろう。


 その答えは、セレナが教えてくれた。


「あんまり重たい罰だとジルさんが気に病むと思って、ぎりぎりまで譲歩したんですね」

「はい。宜しかったでしょうか」


 悠然と構えていたルーファスが、今は眉尻を垂らしていた。総大司教が司法に則って下したのだから異議は認めないと、はね付ければ済む話だ。それでもジルへ尋ねてきたのは。


「適切な判断です。私のために、ありがとうございました」


 不安に陰っていた瞳が一瞬で、やわらかな新緑に色を変えた。嬉しいという気配がルーファスの全身から溢れている。


 ――なんだろう。似てないのに、似た気配を感じる。


 ジルが望むなら毒杯も呷ると宣言したクレイグは、面白くなさそうに鼻を鳴らしていた。

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