表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
271/318

270 捕縛と人質

「ああ、それはとても効果がありそうだね。ありがとう」


 レイチェルへにこやかに微笑んでいたナリトの気配が、すっと冷えた。


「――ウェズリー・エヴァンスを捕縛しろ」


 透徹とした声が放たれるや否や、ゆるやかに粛々と進んでいた応接室の空気が一変した。


 主人の命にいち早く反応したのはテーブルに婚約の誓約書を並べた使用人だった。吹き飛んだ椅子にレイチェルが悲鳴を上げたと思ったら、対象はテーブルに上半身を押し付けられていた。使用人は紙を手にしていた時と変わらない顔色で、ローナンシェ大公の腕を捻り上げている。


 牽制されたエヴァンス家の護衛兵は投擲された椅子を儀礼剣で打ち払ったようだけれど、その隙をシャハナ家の衛兵に突かれ動けなくなっていた。護衛兵の首に巻かれた腕は急所を締め上げている。


 ――解毒できてた。


 治療が成功していれば何かが起こるだろうと予測していた為、ジルに混乱はない。使用人が動いた瞬間ラシードはセレナの前に出て盾となり、デリックとジルは左右を固めていた。


「なにを……何をなさっているの? ナリトお兄様?」


 室内は騒然としているものの、慌てて逃げ出すような使用人はいない。テーブルの傍に立っていた公爵令嬢は困惑し、父親とナリトの間で視線を彷徨わせている。しかし、あんなにもレイチェルに注がれていた青い眼差しはテーブルに固定されたまま応えない。動いたのは。


「動かないでください。貴方にも異端者幇助の嫌疑がかかっています」

「異端者?! シェイドン! 貴方お父様になにをしたの!!」


 交渉材料にでもするつもりだったのか、シェイドンと呼ばれた側近はじりじりとレイチェルへ歩み寄っていた。そこを鋭くユウリに制され歯噛みしている。事態を把握しようと叫んだレイチェルに答えたのは、タルブデレク大公だった。


「側近殿はその香草茶……毒草であるシアルトラングを、魔素信仰者へ提供しただけだよ」


 ほっそりとした手から、ぽとり、と紙箱が床に零れ落ちた。視界で呆然としているレイチェルと、ゲームで堂々としていたライバルが今、ジルのなかで重なった。予想を裏付けるが如く高い声が響く。


「どく、そう? そんなこと聞いていないわ! わたくしは体にいいとお聞きしたからナリトお兄様に。お父様、お父様もシェイドンからそう説明されたのでしょう?」

「私は大公閣下の指示に」

「黙りなさい! わたくしはお父様に訊ねているの」


 テーブルに両手を突いたレイチェルは、体を押し付けられ怒りに歪んでいる父親の顔を必死に覗き込んだ。知らなかった、騙された、そんな言葉を娘は期待していたのだろう。しかしローナンシェ大公は別の言葉を吐いた。


「レイチェルが気に入っておったから、穏便に済ませてやろうとしたものを」

「ご配慮に感謝します。お陰で予定を随分と短縮できました」

「使用人の躾がなっていなければ、雇用主も礼節を軽んじておるようだ。貴様の何倍、わしは領主をやっとると思っとる」


 紙の散乱したテーブルに突っ伏したローナンシェ大公。その正面に泰然と座ったままのタルブデレク大公。形勢はどうみてもナリトが有利だ。レイチェルの自供に毒草という証拠も押さえられているというのに、なぜウェズリーは強気でいられるのだろうか。


「ナリトお兄様はなにか誤解してらっしゃるのよ。わたくし、あのお茶が毒だなんて知らなかったの。本当よ」

「私は君を信じているし、ウェズリー・エヴァンスの言葉も正しく理解しているよ」


 取りすがるレイチェルの手を離したナリトは席を立ち、ユウリが懐から出した書状を受け取った。


「幻覚作用のある毒草を魔素信仰者に交付。魔法使用者を拉致した犯人の蔵匿。人身売買の仲介。魔石の横領、ならびに採掘公文書の変造。今読み上げたのは容疑が固まったものだけです。さすが一日の長があるローナンシェ大公だ。余罪も含めればどこまで膨れ上がるか」


 忌々しそうに睨み上げてくる男の鼻先に書状を置き、ナリトは首を傾げる。


「オーサー総大司教でも庇いきれないのでは?」

「――セレナ神官様!」


 ナリトが言い終わるが早いか、部屋の隅にいた一人の侍女が身を躍らせた。ローナンシェ大公を捕らえた使用人と同じく訓練された者の動きで迷いがない。レイチェルが連れていた侍女は、長い裾のなかに隠していたらしいナイフを手にセレナへと迫っている。


 ローナンシェ大公の旗色は変わらないとみて、大公夫人の寝室を利用していた聖神官を人質にとり、形勢を一気に覆そうと考えたのだろう。しかし、その進路上にはジルがいる。


 転倒させるのが手っ取り早いけれど、その拍子にナイフがすっぽ抜けないとも限らない。まずは凶器を取り上げるべくジルは侍女の腕に手を伸ばした。


 狙い通り腕は捕らえた。空いたほうの手で侍女の肘を押し上げナイフを奪おうと重心を傾けた瞬間。


「エディ君!!」


 まるで踊っているようにくるり、と体勢が入れ替わった。ただし、楽しいダンスにはほど遠い冷えびえとしたステップだったけれど。


「よくやった。そいつを領地まで連れ帰ったら母親の治療費は相殺してやろう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ