26 弟と痣
ジルが脇腹に剣を当ててしまった日の翌夜。エディの動きはぎこちなかった。
弟の剣を受け流している時は、昨夜の痛みがまだ、とジルは気が咎めた。しかし自分が斬り込む番になった時、エディは別の所を庇っているのだと気が付いた。表情の起伏が少ない弟は、いつもの顔で剣を握っている。
――訊いても答えないだろうな。
このごろ、エディは熱を出さなくなった。姉弟が入れ替わるのは極稀な事となったけれど、情報交換は今でも欠かさず行っている。齟齬を起こさないよう、何があったのか聴いておきたいところだけれど、エディからは隠そうという空気を感じた。
エディが庇っている場所に大きな負荷をかけないよう注意して、ジルは剣を振った。いつもと同じ量だけ鍛練して、いつもと同じ順番で汗を拭く。
――そろそろかな。
しかし今日は順番を崩した。驚いたのか、室内でがたりと音が立つ。エディが拭き終わる前に、ジルは部屋に入った。扉を閉め、躊躇うことなく踏み込めば、驚きにパチパチと目を瞬かせた弟がこちらを見ていた。
「何を隠してるの、エディ」
静かに声をかければ、弟はぴくりと肩を揺らした。まだ上の寝衣は身に着けておらず、壁を背にタオルで片腕を押さえている。もう一度、問いではなく断定の言葉を発すれば、エディはジルから目を逸らした。
自分とよく似た背格好の弟は線が細く、鍛えているようには見えない。筋肉が付きにくいのだろう。正面から確認できる範囲に異変は無い。それなら隠れた場所に、とジルは背中を見ようと弟の肩に手をかけた。しかしエディの背は壁についたまま、頑として動かなかった。
「何もないよ。……体が冷えるから」
部屋から出て欲しい、とエディは抑揚の少ない声で抗議してきた。ジルはそれならば、と弟の寝衣を手に言葉を返す。
「手伝ってあげる」
「自分で着られるよ。それに……まだ、拭き終わってない」
同じ高さで、紫の瞳がぶつかり合う。弟も譲る気はないようだ。押して駄目なら、とジルは先に沈黙を破る。
「あなたが心配なの」
弟の髪を撫でながら、ジルは眉尻を下げた。エディの後ろ髪は首元で一つにくくられており、顔にかかった前髪だけが揺れた。その髪の隙間から覗く眉が、僅かに動いたのをジルは見逃さなかった。
「もう、私は必要ないんだね」
「っ、違……!」
撫でる手を止めて言葉を重ねる。淋しそうな笑みを刷き踵を返そう、としてジルは弟の体をくるりと暴いた。姉を引き留めようとしていたエディの体は前に傾いており、今度は簡単に背中を見ることができた。
エディの背には大きな痣があった。内出血を起こしており、赤味がかった紫色になっている。どうしたの、と言いかけたところで前腕の痣が目に入った。先ほどはタオルで隠していたのだ。
「誰にやられたの!?」
感情が沸騰するままにジルは声を上げた。歩行中に転んだ痕ではないとすぐに判った。ジルは慎重に弟の体をタオルで拭い、手早く寝衣を着せる。その間、顔を俯けたエディはされるがままだった。ジルは寝台に弟を座らせて、自分は正面に跪いた。そっと両手でエディの顔を包み、視線を合わせる。
「いつ、どこで、誰に」
次に発したジルの声は落ち着いていた。沸き立つ怒りを抑えた分だけ、目が据わる。エディは諦念したような、慣れた顔をしている。
「……仕返しに、行こうとしてる、よね」
「もちろん」
「必要ない。侮られてたほうが……何かあった時に、やり易いし」
村にいた頃、近所の子供達に揶揄われたり暴力を振るわれたりした時、ジルはやられた分だけやり返していた。しかし教会に来てからこれまで、ジルはそんな目に遭ったことは一度も無かった。仮にも女神に仕える者が集っている場所だ。低俗な振舞いをする輩がいたことに驚いた。
ジルは寝台に座り、頑なな弟を擁く。痣には触れないよう注意して包み込めば、耳元でエディの硬い呼吸が聞こえた。
「起こるかも分からないもしもの為に、あなたが傷付く必要なんて……どこにもない」
――夢でみたことだって、エディである必要はない。
あの日から圧迫され続けている胸に、憤りが混ざる。喉の奥からせり上がってくる憤懣は、弟の背に回した手を握り締めて閉じ込めた。
「誰か言わないなら、エディの行動範囲で訊いてまわるだけだよ」
言った直後、弟の肩から力が抜けた。吐き出された息には、明確な諦めが滲んでいる。
「だから、隠してたのに」




