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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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267 泥棒と解毒

 影の暗さに慣れていたジルの目は、淡い月明りしかない寝室でもすぐに状況を把握した。


 ――遠い!


 大人が優に三人は眠れるだろうという大きな寝台。その中心よりも少しだけ外側にズレた場所にナリトはいた。これではふかふかと沈む寝台に乗り上げなくてはいけない。天蓋の幕は下りていないのがせめてもの救いだ。動けばどうしたって音は出る。近くでゴソゴソしていたら患者は目を覚ましてしまうだろう。


 そう、長居はできないのだ。


 ジルはポケットから小さな豆を取り出した。灯りのしたでは赤茶色に見えたそれが、薄暗いここではカカオクッキーのように黒い。歯でかみ砕けば同じように苦い味がした。一秒でも早く毒が巡るように小さく小さくかみ砕く。


 苦い、苦い、渋い、苦い、痛い、苦い。舌先がぴりぴりと痺れてきた。しかしまだだ。まだ回復してはいけない。クレイグは毒が蓄積していると言っていた。それがどの程度なのか知識のないジルには分からないため、動けるぎりぎりまでは堪えようと決めていた。


 手や足にも違和感が生じてきたころ、ジルはできるだけゆっくりと膝を寝台に乗せた。体重がかかり、繊細に織り上げられた上掛けが歪む。手をつけばそこも沈み込み、水が波打つようにナリトの体も小さく揺れた。


 浅くなった呼吸をぐっと喉に押し込み、目を凝らして様子を窺う。患者の呼吸は一定間隔で続いており、目覚める気配はない。


 ――これじゃ、泥棒じゃなくて変態だ。


 いずれにせよ今の自分は犯罪者に違いない。不安定な寝台のうえで重い膝をもう一歩進めたジルは、長い黒髪をよけて枕元に手をついた。月光をまとった肌は石膏のように冷たく、伸ばした指先が触れたあごは硬い。毒で感覚が麻痺しているようだ。


 ジルは震える指先に力を入れ、聖魔法を注ぐための入り口を作る。薄くひらいたナリトの唇に、自身の唇を重ねて道を通した。


 解放された魔力は毒を浄化せんと自己回復を始め、溢れた聖魔法は道を進みナリトの体内へと流れ込んでいく。全身の倦怠感が薄れてゆくのにつれて、二人を繋いでいた聖魔法もゆるやかに減衰し、痺れも消えてきた。


 ナリトの顔に添えた指先は肌のやわらかさを思い出し、触れ合った唇からは熱が。


「っ」


 ジルは咄嗟に顔を上げ口元を押さえた。道が途切れ、彷徨った光の粒が薄闇に消える。解毒したのに脈拍は安定しない。ここでは言葉を発することもできず、身の内に恥ずかしさばかりが溜まっていく。


 ――戻ろう!


 目的は果たした。シアルトラングによる幻覚も解けているだろう。解毒の影響か、ナリトの表情も心なしか穏かにみえる。上手くいって良かった、もう大丈夫だと後退しようとしたとき。


 眼下にある青い瞳と目が合った。


 起きている。そう認識した瞬間、ジルはぴしりと石になった。まずい、まずい、まずい。固まった体のなかで思考だけが忙しなく走る。


 なんと言い繕おうか。解毒していたと素直に打ち明けてもいいけれどその場合はナリトに方法を説明することになる。眠っている間にキスしましたなんて言えるわけがない。よしんば方法を尋ねられなかったとしてもなぜ夜更けなのだ。こんなのやましいところしかない。


 ――逃げよう!


 知らぬ存ぜぬで通すのだ。物音などどうでもいい。ナリトは目覚めてしまったのだから。ジルは寝台が揺れるのも気にせず床へと飛び降りた。厚い絨毯は着地音を吸収し、代わりにジルの耳へぽつりと零された言葉を届ける。


「いい夢だったのに」


 惜しむ声はかすれ気味で張りがなかった。部屋の主はその一言を発したきり動く気配はない。ジルは身を屈めてしばらく様子を窺ってみたけれど、ナリトは寝台で横になったままだ。これはつまり。


 ――寝ぼけてた、だけ?


 今夜だけでジルは何度胸を撫で下ろしただろうか。小刻みな緩急に息切れを起こしそうだ。本当に眠っているのか息を潜めて近づけば、青い双眸は瞼の下に隠れていた。


 ナリトはどんな夢をみていたのだろう。よほど残念だったのか、先ほどよりも若干眉尻が垂れている。治療とはいえ良い時間の邪魔をしてしまった。そうでなくともナリトは今まで毒に苛まれていたのだ。これからみる夢は良いものであってほしい。もし、そうでないなら。


 そうっと、もう一度寝台に膝を乗せたジルは、上掛け越しにナリトの胸元に手をあてた。


 幼いころの弟はよく熱を出してうなされていた。そんな時ジルは少しでも安心させようとエディに触れ、声を掛けていたのだ。


「怖くないよ、大丈夫。一緒にいるから、おやすみなさい」


 掛けた言葉は、窓のすき間から流れ込んでくる虫の音よりも小さいもの。ジルは口のなかで呟いただけだったのに。やや骨ばった手が、ジルの手に触れた。


「ありがとう」


 ゆるやかに紡がれた言葉は、まるで返事のようだった。しかし瞼は閉じたままのため、やはり寝言なのだろう。穏かな表情に戻ったナリトを起こさないよう、そろりと手を離す。


 静かな月明りと秋の音色を後にして、ジルは直通路の扉に鍵をかけた。

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