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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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264 毒草と毒豆

 要約すると、こういう話だった。


 毒草、シアルトラングの出所を魔素信仰者が自白したけれど、この証言だけでは四大公の一人であるエヴァンス公爵家へ捜査には入れない。だから所持現場を押さえて、魔石不正売買の共犯者としてローナンシェ大公を捕縛したい。


 ローナンシェ大公の娘であるレイチェルが、シャハナ公爵邸に来訪するのは予測できていた。ナリトへの好意は誰の目から見ても明らかで、誕生日祝いに毎年訪領していたからだ。


 しかし、レイチェルがシアルトラングの茶葉を持参しているのは予想外だったそうだ。上手くいけばローナンシェ大公を誘い出せる。そう判断したナリトは急遽計画を立てて実行した。


 その際に、ナリトがユウリへ出した指示は三つだ。


 一、レイチェル当人や伴ってきた使用人、間諜に聞かれてはならないため他言は無用。

 二、中和剤は毎日飲ませること。

 三、自分を見張り、不利になると判断した際は中止させること。


 不利と断じる基準が曖昧過ぎるけれど、ナリトはそれだけ兄貴分を信頼しているのだろう。しかしクレイグがこの話を知っている時点で、一つ目の指示は破られているのではないか。ジルがそう指摘したところ、ユウリは三つ目の指示に従ったのだと返答があった。


 ナリトの容態を案じたユウリは、ジルが帰還した日にクレイグへ事情を説明し治療法を尋ねたそうだ。クレイグがシアルトラングの拮抗薬となりえる毒を探し始めたのがおよそ三ヶ月前。候補となる毒の特定を終えたのが今日。


「でしたらその拮抗薬を、ナリト大神官様に飲ませればよいのでは?」

「臨床試験をしてない。狙った結果が出ても副作用があるかもしれないし、容態が悪化する可能性もある」


 調合する者として、この拮抗薬はまだ渡せないとクレイグは拒否した。口に入れるものだからと、ジルはただの焼き菓子でさえ気を付けたのだ。薬の成分は毒だ。クレイグが慎重になるのは理解できた。


 しかし、ローナンシェ大公がシャハナ公爵邸に入るのは明日だ。午後に到着する予定だからと、使用人たちは慌ただしく離宮と宮殿を往復していた。婚約の調印は、早ければその翌日にはおこなわれるだろう。時間がない。


「その試験というのはいつ終わるんですか? 薬の材料は残っているのでしょうか?」


 室内をぐるりと見回して視線を戻せば、クレイグは机に肘をついて口を尖らせていた。


「動いていい?」

「ああ、はい、移動しても大丈夫です!」


 ジルが許可するとクレイグは椅子から立ち上がり、茶葉を置いていたのと同じ棚に近づいた。手にした瓶には赤茶色の豆が入っている。その豆に既視感を覚えたけれど、どこで見たのか思い出せない。


「最短でも一年。待てないなら解毒できる人間を呼べって従者には言ってある」


 クレイグの言う能力を有した人間の数は、五指に満たない。セレナが水の聖堂で儀式をおこなえば一人増えるけれど、往復するだけで二日はかかる。教会領には二人おり、一人は聖神官、残りの一人は聖女エリシャだ。しかし、降臨祭でもないのに聖女がタルブデレク領にいるはずもなく、聖神官を呼び寄せるにも時間がかかる。そうなると、すぐに解毒できる者は。


 ――私がするしかない。


 ナリトの傍にはいつも誰かがいた。それでも必ず一人になる時がある。機会を窺って毒草茶を持ち運ぶのは難しいけれど、毒豆ならこっそり持ち歩ける。シアルトラングの毒に侵されていないジルが豆を食べれば、それは薬ではなくただの毒だ。


 問題はどうやって入手するか。毒豆の入った瓶はクレイグの手に握られている。ナリトの解毒に使うからその豆が欲しいと頼めば、治療方法を尋ねられるだろう。そうなるとクレイグは渡してくれない気がする。


 明日、クレイグが研究室にいる間に忍び込むしかないだろうか。ジルが毒豆の入手方法を思案していると、扉が音を立てた。ドンドン、ガチャガチャと荒くなっていく音に交じり、小さな舌打ちが近くから聞こえた。


「ジ、エディそこに居ますよね。早くあけないと扉が壊れますよ」


 デリックの声だ。クッキーを取り換えるだけにしては戻りの遅いジルを心配して、セレナが声を掛けたのだろうか。というかクレイグはいつの間に鍵を掛けていたのだろう。自分の姿を確認するためだけに扉を壊されてはたまらない。ジルが鍵をあけようと近づこうとしたところ、一足早くクレイグが扉に手をかけた。


「修理代、ミューア先生持ちですよっ、とわっ」

「いる。帰れ」

 

 クレイグは一瞬だけ扉をあけてすぐに閉じた。デリックの姿は見えなかったけれど、おそらく扉を壊そうと重心を傾けていたのだろう。ぶつかるような鈍い音はしなかったから上手く避けたようだ。デリックは元気にまたドンドンと扉を叩きはじめた。


「エディ、セレナ神官様が心配してるぞー」

「なら報告しに帰れ」

「部屋にいないと晩飯下げられちゃうぞー」

「オレのをやるから帰れ」


 扉を挟んだ二人の応酬はジルが口を挟む隙もない。デリックを追い返したいクレイグの手はしっかりと扉を掴んでおり、瓶は机に置かれている。


 ――今なら!


 再びデリックが扉を壊すと言い出したとき、ジルは豆の入った瓶のフタをあけた。手に触れた一粒を素早くポケットのなかに落とす。フタを閉め瓶を元の位置に戻したら、部屋の出入口へと声を上げた。


「帰ります! 宮殿まで送っていただけますか、クレイグ大神官様」

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