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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
261/318

260 研究とクッキー

 駆け出しそうな勢いにも関わらず、クレイグは黙って付いてきてくれた。ジルは手を繋いだまま飾り気のない扉をくぐり、とりあえず医薬研究所内で邪魔にならない場所、談話室へ行こうとして逆に手を引かれた。


 書物片手にパンをかじりながら降りてくる研究員とすれ違い、さらに三階へと続く階段をのぼる。無駄な装飾を排した廊下には、カゴや伐採道具、なにが入っているのか分からない瓶や壷が無秩序に置かれていた。一階にある清潔感のあった研究室とは大違いだ。


 道具は採取や研究に使うのだろう。壊したりしないようすき間を縫って廊下を進み、ジルはひとつの部屋に案内された。通された室内は、外の有様が嘘のように整然としていた。


 机や棚、寝台は統一された意匠から備え付けのものだと分かる。部屋の主はここでも作業をしているのだろう。ジルには何が書いてあるのかさっぱり分からないたくさんのメモ、秤やガラスの容器、乳鉢や火を使うランプなどが並び、香草のような不思議なにおいがしていた。


 個室にあるのはそういった研究に関する物だけで、私物らしいものは見当たらない。それでもここがクレイグに充てられた部屋だと分かるのは、見覚えのある袋が机に置かれていたからだ。


 ジルの手を離したクレイグは、一歩下がって目を逸らした。


「ごめん」

「えっと、クッキーでしょうか? それでしたら」

「違う。一枚食べたけど。……手、確認しないで触った」


 ローナンシェ領でした約束を気にしていたらしい。ジルの許可を得ずに手を繋いだから、クレイグは不安なのだろう。あの時は嫌われたほうがましだなんて言っていたのに、今は垂れた尻尾が見えるようだ。


 ナリトとの会話中に手を掴まれて驚きはしたけれど、嫌ではなかった。それどころか、たとえ方便でも行き場を失ったクッキーを食べると言ってもらえて、ジルは嬉しかった。


「僕を、心配してくれたのですよね。ありがとうございました」

「怒ってない?」


 逸れていた橙と焦茶の瞳が、そろりとジルを見た。当初の強気な土の大神官はどこへ行ってしまったのだろうか。クレイグの懸念を払拭するために、離れていた手をジルはあえて繋ぎ直した。


「怒る理由がありません。そちらのクッキーは、クレイグ大神官様用に焼いたものです。よろしければ食べてください。間違えてお渡ししたほうは持って帰ります」

「ダメ。オレが食べる」


 調合道具に交ざって置かれていた袋を回収しようとしたところ、ジルの手に触れたクレイグの力が強くなった。あのクッキーは蜂蜜の量を増やしたから、クレイグの口には合わない。嫌いな物を食べる苦痛はジルもよく知っている。


「甘いので、無理はしないでください」

「甘くても苦くても、ジルが作ったものなら食べる。あのバカ領主にはもう作らないんでしょ。なら試作品もいらないよね」

「バ……そんな呼び方をしてはいけません」


 嫌いな物でも食べるなんて、少し恭順過ぎやしないだろうか。それを指摘するともっと重たくなるような気がしたジルは、タルブデレクの領主に対するあんまりな呼称だけを諫めた。するとクレイグは眉間に皺を刻み。


「なら暗君」

「同じです、ってああー!」


 机の上から素早く袋を掴み取り大口をあけた。ざざーっとクッキーのすべり落ちる音がする。試作品だから五枚しか作っておらず、先ほどクレイグは一枚食べたと言っていたから。


「ふっ」


 ジルは吹き出しそうになった口を引き結んだ。それでもじわじわと唇が震える。


「なに、してるんですか。のど、詰めますっ、よ」


 両頬をふくらませた姿はまるで冬支度をするリスだ。笑いを堪えるジルの前で、クレイグはざくざくと無心でクッキーをかみ砕いている。当然、頬袋も合わせて揺れているのだけれど、それでもなお顔は人形のような愛らしさを保っているのだから恐ろしい。


 口一杯のクッキーを食べ終えたら喉が渇くだろう。なにか飲み物はないだろうか。そう考えて室内を見回せば、棚に茶葉の入った瓶があった。火のランプを使えば水は沸かせられる。細長い注ぎ口が頭からのびた不思議な形のやかんに茶葉をいれようとしたそのとき、背後からクレイグの声がした。


「ジルは水の大神官が好きなの?」


 傾けた瓶から、ぱらりと乾いた葉が落ちた。クレイグは動きを止めたジルの手から瓶を抜きとり、フタを閉めながら机に置いた。色の異なる瞳は返事を急かすでもなく、ただじっとジルを見ている。この質問は教会領でも受けた。


「それは以前にも」

「だったらバカ領主にいらないって言われたとき、なんで泣きそうな顔してたの」

「えっ!? 私ちゃんと顔を動かさない、よう、に…………かまをかけましたね、土の大神官様」


 尋ねた本人がなぜ不満そうにしているのか。レイチェルが会話に加わってからずっと、ジルは無表情を保つように努めていた。だから誰にも気づかれていないと思ったのに。


 クレイグは悪びれる様子もなく袋を手にとり、苦いクッキーを一枚取り出して食んだ。

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