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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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258 彼誰時と黄葉

 皆から試食品の感想を聴いたジルは二度目のクッキーを焼いていた。


 クレイグの分はカカオパウダー多め。ラシードとデリックは混ぜ物なし。セレナには菓子職人おすすめの紅茶クッキーを焼いて、一緒に食べた。


 ナリトの分はユウリの助言に従って蜂蜜を追加した。曰く、今のままでもおいしいけれど、甘みをもう少し強くすると好みの味になるのではないか、ということだった。今度のクッキーはほろ苦でありつつも、ちゃんと甘みを感じられる。ミルクを飲みながら食べたらもっとおいしいだろう。


 まずはクレイグへ渡そうと医薬研究所を訪ねたところ、なにやら忙しそうだったのでジルは近くにいた研究員へクッキーを預けて宮殿に戻った。神殿騎士の二人には客室へ入る前に渡した。ユウリはタルブデレク大公の補佐をしている。そろそろ城から戻ってくる時間だと玄関ホールへ向かおうとして、気が付いた。


 ――まだ残ってるかな。食べてないかな。


 研究の邪魔をしてはいけないと慌てていたから、クレイグ用と試食品を取り違えて研究員に渡していた。セレナに一言伝えて客室を飛び出したジルは、まだクレイグが食べていないことを願いながら医薬研究所へとつづく彼誰時の小径を駆けていた。


 ジルが土の神殿からシャハナ公爵邸に戻り、一週間が経過している。


 ナリトの誕生日まで残り四日しかなく、厨房や料理人をそう何度も拘束できない。ユウリの評価を聴いたら、次は誕生日の前日にナリトの分だけを作るつもりだった。


 ――受け取って貰えないかもしれないけれど。


 四日前は臥ノ月一日。年に一度、教会領で開かれる大神官総会の日だけれど、水の大神官が出席した様子はなかった。しかしこれは例年のことだから話題にあげる使用人はいない。それよりも聞こえてくるのは、ナリトとレイチェルは朝食から夕食までずっと一緒に過ごしているという話だった。


 予想した通りユウリからの取り次ぎは無く、ジルはいまだに何の報告もできていない。内容が内容だけにレイチェルへ聴かせるわけにもいかず、かと言って婚約する女性の前でナリトと二人きりで話したいと願い出るのも気が引けた。


 ――鍵もこっそり返したほうがいいだろうし。


 自分以外の女性が、レイチェルから見たジルは男性だけれど、互いの寝室を繋ぐ通路の鍵を持っていると知ったらいい気はしないだろう。ナリトからしても、声をかけていた神官見習いなど邪魔にしかならない。


 だから、ローナンシェ大公が来訪する前に遇えたのは運が良かった。


 賓客へのもてなしも兼ねた噴水のある前庭とは異なり、ここは邸で働く者が通る道で、両端に樹が植わっているだけだ。とはいえ、庭師の手はここにも入っている。


 秋の陽を映しとった落葉は小径に黄金の絨毯を敷き、等間隔に置かれた魔石ランプは暗い空のしたに沈まぬ黄昏を作り出していた。


 常夜灯に照らされた黄葉の小径に人影を見つけ、ジルは足を止めた。正面から歩いてくる領主の横を走り抜けるのは失礼だ。それに今は、噂に聞いていた人物が一人欠けている。


「ご政務、お疲れ様です。よろしければ、訪問先のご報告をしたいのですけれど」

「教会からの伝言ならここで聴こう」


 ひやりとした夜風に乗って、低く玲瓏な声が流れてきた。ナリトはジルがどこへ行っていたのか知っている。後ろに側付きが控えているから言い換えたのだろうか。情報共有がなされていないのなら、ユウリがいるここでは話せない。


「できればお話は、ナリト大神官様だけに」

「こうみえても多忙の身でね。時間は今しか取れそうにない。ところで、どうして君は私の名を呼んでいるのかな?」

「えっ……あ、そう、ですね。失礼いたしました、タルブデレク大公閣下」


 冴え冴えとした青い瞳は、一足早い冬の訪れを感じさせる寒星のようだった。


 レイチェルと婚約するのだから、これまでのような気安い態度で接するなという忠告だろう。水の大神官を名で呼んでいたのはナリトがそれを望んだからで、ジルは初めから呼ぶつもりなどなかった。当初の呼び名に戻っただけだ。それだけなのに、一瞬胸に痛みが奔ったのは、どうしてだろうか。


「話しがあるならユウリへ。口の堅さは保証しよう。私は失礼するよ」

「お待ちください! お渡ししたいものが……」


 鍵は直接返したい。タルブデレク大公の側付きを信じていないわけではないけれど、大切なものだ。責任の所在を明らかにしておくため仲介は避けたかった。ナリトが再び歩きださないうちに鍵を渡さなくては。ジルはクッキーの袋を片手に持ち直しポケットから鍵を。


「何が入っているかも分からないのに、ナリトお兄様が召し上がるわけないでしょう?」


 取り出す前に、宮殿のある方向からぴしりと高音が割って入った。魔石ランプと黄葉が作り上げた黄昏に、夜が迫る。ポケットのなかで握り締めた鍵はまるで氷のように冷たい。


「素人が作ったものなんて、わたくしなら渡せないわ。貴方は取り入るだけでなく、料理もお上手なのね」


 煌びやかな青いドレスと藍墨色のなめらかな髪は、黄葉の舞台に良く映えていた。

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