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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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254 婚約者と大食堂

 ナリトやレイチェルと玄関ホールで別れてからのジルは、驚きの連続だった。


 まずはセレナの部屋だ。出発前のように大公夫人の寝室へ向かおうとして、そちらではないと真反対の通路を進んだ。案内されたのは凹型になった同フロアの向かい側。そこは、エヴァンス公爵令嬢が通されたはずの客室だった。


 大公夫人の寝室に比べれば見劣りはするけれど、客室は十分に広く、気後れしてしまうほど豪奢だ。聞けば部屋替えの当初、従者のジルは使用人棟へ入る予定だったらしい。しかしジルもソルトゥリス教会から預かった客人だとユウリがとりなし、セレナとの同室が維持されたそうだ。


 ――あとでカライト様にお礼を言おう。


 ジル一人なら使用人棟でも構わなかった。しかし同じ宮殿内と離れた別棟では護衛や、緊急時の対応に大きな差が出る。なにより、出迎えてくれたセレナの喜びようを目の当たりにしてしまえば、ジルも離れがたかった。


 次に驚いたのはナリトの政務だ。公爵邸に滞在して数日が経ったころ、ジルとセレナは執務室で働かないかと相談されていた。邪魔になるだけだと辞退すれば、執務室にいるだけでもいいとナリトに提案されたけれど、ジルたちはそれも断った。


 その執務室へ今は、エヴァンス公爵令嬢が通っているらしい。貴族令嬢として教育を受けたレイチェルは代筆を手伝い、それ以外の時間は刺繍をしたりお茶を飲んでいるのだとか。政務の合間を縫って度々ナリトも同席しており、その仲睦まじい姿に婚約者はレイチェルに決まったのだと周囲は噂をしているという。


 ――セレナ神官様が大公夫人の寝室から出たら、そう思うよね。


 本当にレイチェルと婚約するのだろうか。ナリトがこれまでジルに伝えてくれた想いが偽りだったとは思わない。しかし、レイチェルへ向けた甘い眼差しも、嘘とは思えなかった。ゲームにおける水の大神官は愛情やぬくもりを求めていた。ジルはなにも渡せていない。それどころか、他の人を薦めた。


 ――報告する時に確認しよう。


 レイチェルと婚約するにせよ、ジルの手元にある情報はいずれも第三者の憶測に過ぎない。当事者と話せるのだから直接確認すればいい。二人が望んだ結果なら、預かっていた直通路の鍵を返そう。ナリトの幸せへと繋がる扉の鍵なのだから、返さなくてはいけない。その先にいるのが誰であっても。


 そう決意して訪れた大食堂に、ジルの席は無かった。


 長い長いテーブルの最奥に座ったナリト。その右前にはレイチェル、隣にクレイグ、デリックと並び、左前にはセレナとラシードが着席した。並べられたカトラリーは六人分。これが正しい作法だ。


 異を唱えようとしたセレナを制し、聖神官の従者はタルブデレク大公の側付きと並んで、部屋の隅に控えた。


 一皿づつ運ばれてくる芸術品のような料理を眺めながら、ジルは客室で聴いた話を思い返していた。


 セレナがナリトやレイチェルと食事をともにするのは、ジルが同席したあの晩餐以来らしい。ナリトはもともと政務の関係で一緒に夕食を摂る機会は多くなかった。だから相変わらず忙しいのだろうと思ったのだけれど、そうではないとセレナに訂正された。いつも同じ時刻に宮殿へ帰ってくるそうだ。今日のように、レイチェルを伴って。


「そうしたらお父様ったら、ナリトお兄様のお誕生日に発表しようって言いだして。わたくし急すぎるわってお返事したのだけれど」

「君は大切な一人娘だから、早く婚約者を決めて安心したいのだろうね」


 大食堂では二人ばかりが話している。会食の始めこそナリトはクレイグへ近況を尋ねていたけれど、気がつけば青い瞳はレイチェルに固定されていた。微笑みあい食事をする二人は噂通り仲睦まじい。


「誓約書はこちらで整えてお持ちするから、お忙しいナリトお兄様は調印するだけでいいって返書があったの。ご迷惑ではないかしら?」


 期待と不安に金色の瞳を揺らし、頬を染めて首を傾げる姿はジルから見ても可愛らしく映った。想い人の言葉、行動に一喜一憂して、いつも目で追っている。これがきっと、恋をするということだ。


 レイチェルは十二歳で一目惚れしてからずっと、ナリトが好きだった。四年間の想いが成就する喜びはどれほどのものか、恋心を知らないジルには想像もつかない。もしあの時ジルが想いに応えていたら、同じようにナリトも喜んだのだろうか。


「君のことで迷惑に感じるものなんて、なに一つないよ」


 青い双眸を細めレイチェルに応えたナリトの声音は、テーブルに置かれたデザートのようになめらかで、とても甘い。


 ――確認はいらない、かな。


 ポケットにしのばせた小さな鍵が重たい。土の神殿で起きたことをナリトに報告したら、あとは何も訊かずに返そう。セレナは大公夫人の寝室にいないのだから、ジルが持っている必要もない。


「心配しなくても、ちゃんとありますよ」

「え?」


 ジルは不意に聞こえた囁き声の方を振り仰いだ。しかし、ユウリは姿勢を正したまま前を向いている。気のせいだろうか、とジルが思い始めたとき、いつもの澄まし顔で唇だけが音もなく動いた。


 ――お、か、し。お菓子!


 タルブデレク大公の側付きはジルの好物を知っている。デザートを食べられず残念に思っているのだと気遣ってくれたのだろう。ここは使用人がおしゃべりに興じていい場所ではない。だからジルはユウリの袖を小さく引いて、お礼代わりに笑みを返した。

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