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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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248 弱点と祈祷

 急になにを言い出すのか。勉強の話をしていたのに告白紛いの言葉が飛び出してジルはたじろいだ。役割を終えたクレイグが、保護手袋を外しながらジルの正面へと移動してくる。


「わ、私じゃなくて自分のためにしてください」

「うん。してる」


 視界にあるクレイグの瞳は、夕陽が溶けだしたようだった。とろりと目を細め、ジルを見て満足そうに頷いている。いつものツンとした態度まで溶けてしまったのか、クレイグはやわらかに笑んだまま動かない。


 ――あ、これは。


 ジルはウィンルードの宿屋で浮かんだ気持ちを再確認した。自分はたぶん、クレイグの素直な笑みに弱い。ずっと弟のように感じていたのも大きいだろう。挑発的な態度には対応できるけれど、真っ直ぐに微笑まれるとエディへするように、甘やかしそうになる。


 ――ここで逸らしたら負けだ!


 弱点は簡単に晒すものではない。ジルは目にぐっと力を入れて、人形のように愛らしい顔を見続けた。


 すると、背後から吹いていた風が突然強くなった。ジルの茶色に染まった髪をぱらぱらと踊らせるだけでなく、クレイグの長い前髪も風に吹かれている。煌めく金髪のしたで、焦茶色の瞳はジルの頭上を睨んでいた。


「終了! 乾いたぞー」

「ありがとうございます、デリック様。クレイグ大神官様も、ありがとうございました」


 ジルが勝手に始めたクレイグとのにらめっこは、デリックの宣言ですぐに終わりを迎えた。一回目の乾燥に比べると、二回目はずいぶんと早く終わった。もう魔法は使わないから制限を解除したのだろうか。ソファから立ち上がったジルは二人にお礼を伝えながら、負けなかったと胸中で安堵の息をつく。


「またお揃いになったな。寝台はオレが真ん中じゃなくていいのか?」


 デリックは自身の赤茶色の髪を摘まんでみせたあと、ちらりとクレイグへ視線を向けた。示された当人は書斎の机に移動し、小さな紙包みを取り出している。


「風の聖堂でもその並びでしたから」


 銀髪をほかの人に見られるのは拙い。染め直し決定と同時に、大神官の居室にある浴室を利用するのは確定していた。その話の流れでどこに泊まるかとなったとき、クレイグから希望が出たのだ。


 風の大神官が寝台を応接室に運び込んでいたのを、クレイグは覚えていたのだろう。案を聴いた当初デリックは眉を顰めていたけれど、ジルが風の聖堂ではそうしていたと補足すれば、あいつら修道僧か、と呟いていた。神官のなかにはすすんで苦行を積む者もいる。とはいえ、あの時のルーファスは何かを課しているようには見えなかったけれど。


「そういえば、クレイグ大神官様もお揃いなんですよ」


 ジルはデリックがしていたように、茶色に変わった髪を摘まんでみせた。長い前髪に隠れたクレイグの左目は、義父の色に似ている。


「私の好きな色がたくさんです」

「――っ」


 ジルが頬を緩めたその時、ゴンッと硬そうな音が立った。見ればクレイグは机に片手をつき顔を俯けている。垂れた前髪で表情は見えないけれど、もう片方の手で足先を押さえているその姿は。


「大丈夫ですか?」


 あれは机の角に足をぶつけた時の体勢だ。小指は鍛えられないからか一段と痛い。聖魔法で回復しようとジルが近づけば、スッとクレイグの姿勢は戻った。そのまま何事もなかったように歩きだす。


「明日は祈祷だから寝る」

「あ、はい。おやすみなさい、クレイグ大神官様」

「先生が寝るならオレ達も休もうか」


 ミューア先生が雇った使用人。それが大神官の居室に滞在しているジルとデリックの立場だ。二人は寝室となった応接室へ向かうクレイグの背を追った。


 ◇


 九ノ月十九日、土の大神官は何事もなく祈祷を終えた。


 魔法陣の上で二時間魔力を注ぎ、一時間の休憩をとる。それを三回繰り返すのだけれど、今はその振りをしているだけで魔力は注いでいない。祈祷の間から出てきたクレイグに疲労の色はなく、いつものツンとした顔をしていた。


 大神官の魔力は膨大とはいえ、少なくない量を六時間も消費していたのだ。多少なりとも疲れた演技をしたほうがいいのでは、とジルは心配したけれど、土の聖堂にいる神官や使用人は訝しがることなくクレイグの世話をしていた。


 ジルとデリックは大神官の居室で待機し、薬草の仕分けや書類整理の振りをしたり、時折り剣を振ったりして過ごした。


 明日は休息日だ。朝、街で用事を済ませたらそのまま港町へ向けて発つため、ジルたちは寝に就こうとしていた。その合間にデリックとクレイグの会話が聞こえてくる。


「魔法陣の上にいるだけって暇そうですね」

「別に。加工とか処方を考えてたら時間はすぐに経つ。魔力量を気にしないでいいから、いつもより集中できた」


 クレイグはいづれ薬師として身を立てるのだろうか。店を構えれば容姿と相まって、霊験あらたかな薬だと大繁盛しそうだ。病は聖女にも治せないため、薬は無くてはならない物だ。


「へー、祈祷って結構ゆるいんですね。もっと苦しいもんだと思ってました」


 平均的な魔力の持ち主なら、初めの二時間で息も絶え絶えになるだろう。大神官だから、他の事を考えながらでも祈祷できるのだ。


 ――ゆるい、他のこと、祈祷の振り、土の大神官。


「これって」


 ゲームと同じ状況になっていた。夢でみた土の大神官は、毎月の祈祷は振りをするだけで魔力は注いでいなかった。今はクレイグどころか、他の大神官たちも祈祷していない。


 ――変異体はやっぱり、私のせいかもしれない。

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