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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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247 嘘と信頼

視点:クレイグ

 銀色の髪は頭頂周辺を残すだけだ。だから神官見習いが頭を動かしても、クレイグは問題なく染料を塗布できた。それでも振り仰ぐ紫の瞳を前に戻したのは、その姿があまりにも無防備だったからだ。


 土の聖堂に帰還したさい使用人へ、湯浴みの用意をしておけ、とだけ言ったのが悪かった。使用人はクレイグが浴室を利用すると思ったのだろう。替えが何枚かあるとはいえ、自分の寝衣を着た見習いが現れたときは目が釘付けになった。


 不本意なことに二人はまだ背丈が近い。とはいえ体つきには当然性差があった。土の大神官のために仕立てられた寝衣は、華奢な見習いには少し大きいようだ。


 そんな恰好でソファに座った見習いは、背後に立つクレイグを見上げ白い喉をさらしていた。ウィンルードの宿屋で起きた事など忘れたように、なんの警戒もなく。


「大神官になったとき、薬草の栽培を始めた」


 ここで手を出したらいよいよ口もきいてくれなくなる。


 クレイグは目の前の作業に集中するため、手触りのよい銀糸をひと房すくいとった。茶色のクリームをつけクシで均一にのばしていく。金髪と同じくらい銀髪も珍しい色だ。正体を偽るのに必要だとはいえ、どこかの神殿騎士に似た髪色へ染まっていくのは面白くない。


「勉強もその頃に?」

「どこかの神官見習いに言われたから」


 嘘だ。が、まったくの嘘というわけでもない。


 聖魔法は通常、他者を回復できても自分の傷は治せない。見習いもそうだと思っていたから、なにかあった時は治療できるようにとクレイグは知識を深めてきたのだ。今となっては読み違いも甚だしいが。


 薬草畑を作ったのは大神官になってからであり、医薬を学ぶ時間も大幅に増やした。移動距離、睡眠時間を最小限にするため居住を土の聖堂に移した。書斎には治療や植物に関する書物のほか、薬種を収める棚、調合するための道具、試薬品なども置いている。


 医薬についての勉強は大神官になる以前から、物心が付くころには始めていた。


 自警団の長である父親に引っ張り出され、知人、他人を問わず祈願される日々。女神に感謝だけを伝える者は滅多におらず、苦難からの解放を願う者がほとんどだった。そんな中でも、病気やケガから家族を助けてほしいと祈る人々の姿は、幼いクレイグの記憶に残った。教会の礼拝だけでは足りず、ワラにもすがる思いだったのだろう。


 しかし自分はたまたま髪が金色で、片目が橙色だっただけだ。女性ではないため聖魔法の発現は望めず、女神ソルトゥリスの権現でもない。なにも齎さないのだ。それでも人々はクレイグを女神に愛された子だと両手を重ね、教会でするように礼拝した。


 女神の象徴である色だけを見て、なにもできない自分に祈るヤツ等が悪い。


 周囲から尊いものとして接されてきたクレイグには、そう思えなかった。女神に愛された自分が、ケガや病気のひとつも治せないなんて許せない。その日から幼いクレイグは医薬知識を独学で身に付けていった。


 しかし所詮は素人が調合した薬だ。子供時分は自身へ試すだけにとどめていた。そのお陰か体調不良を気付かれたことはない。気の弱い母は周りの反応に耐えきれず自室に閉じこもってしまい、顔を合わせない日のほうが多かったから。


 皆が落胆する汚点。焦茶色の瞳を見られないよう隙をみせず、眠るときも一人だったクレイグ自身にも、医薬の知識は大いに役立っていた。


「神官見習いってジルのことですか?」

「ほかに誰がいるの。ジル以外のヤツが言うことなんてどうでもいい」


 見張るように佇んでいたデリックへ目もくれずクレイグは手を動かしていく。最後のひと房にクシを通したとき、茶色の頭が今度は前へ傾いた。


「あの……お聞き届けくださり、ありがとうございました」


 照れたような声音だった。ソファの背後に立ったクレイグからは見習いの表情が見えず、面白くない。だが、自分の言葉に悪感情ではないものを抱いたのだと分かり、とても嬉しかった。


 クレイグの心を満たしてくれるのは、神官見習いの少女ただ一人だけだ。


 これまでに何十回、何百回と拝まれてきた。もはやクレイグにとっては日常の一部で今更感じるものもない。それがたった一回、目の前にいる見習いに跪かれただけで、胸は凍りついた。


 返された魔法石を見て、本当に嫌われてしまったのだと理解した。ほんの少し前までは自分から望んでいたくせに。甘えていたのだ。見習いなら許してくれる、と。


 肉親の情のようなものを、クレイグは無意識に望んでいたのだろう。そこへ姉が欲しいだけだと指摘され、反発してしまった。


 ――風の大神官の慈悲が底抜けなら、ジルは境界がない。


 あのとき見習いは怒っていた。だからクレイグは、許可制という赦しを得られるとは思ってもみなかったのだ。まだ可能性は残っている。そう理解したら、嬉しさと共に気が緩んでいた。


 ――好意は勝手にくるもんだと思ってた。


 今、髪に触れていられるのは染め直したいと頼まれたからだ。クレイグから触れたいと望んでも、見習いは許可しないだろう。信頼という点において自分は、他の大神官や神殿騎士たちよりも劣っている。


「ジルが好きになってくれるなら、何でもする」


 今夜は安眠効果のある茶を飲んで寝よう。寝衣から覗く艶めかしいうなじに奪われていた目を引きはがし、風魔法で乾かせとデリックへ視線を向けた。

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