246 書斎と薬草畑
大神官一行は、森の入り口に建つ教会という名の管理小屋に入った。
土の神殿を擁する森は降雪量が多いため屋根の勾配は急で、床は太い柱によって底上げされている。そのため玄関口は地面よりも高い位置にあり、階段が設えてあった。
間取りは他の領地に建つ小屋と大きな違いはないけれど、構造は大きく異なっていた。教会施設である祭壇の間に壁はなく、食堂や調理場とひと続きになっている。中央の壁際に置かれた暖炉からは長い煙突が伸びており、吹き抜けを縦断していた。
「大神官様の居室にはちゃんと暖炉があるんですね」
「世話するヤツがいるからな」
治世が安定している時は、月に一度しか森の教会は使用しない。そのため手入れし易いよう暖炉は一つしかなく、その一つで小屋の二階にまで暖気を送る造りになっていた。しかし今はひんやりする程度の初秋で、暖炉に火を入れるほどではない。
管理小屋に一泊した翌日の午後、大神官一行は土の聖堂に到着していた。
聖堂はローナンシェ領の最大都市、ラドバンデルを川向こうに望む渓谷の中流に建てられている。趣くままにあれこれと詰め込んだような街の風景と、なだらかな田園の対比が印象的だ。
夕食を摂ったあとクレイグとデリックは聖堂の二階、大神官のための書斎で採取した草根や豆の仕分けをしていた。先ほどまで浴室を借りていたジルは、開かれた扉の奥で仲良く作業する二人に目を細める。
「お待たせいたしました」
手元を見ていた橙色と深緑色の瞳。三つの目がジルに向けられ、ぴたりと止まった。瞬きもなく凝視されているのは、およそ一週間ぶりに髪色が戻ったからだろうか。管理小屋にいる時ジルは、街へ出るのなら髪を染め直したいと二人にお願いしていたのだ。
茶色の染料を落したのが久々なら、たっぷりの湯で体を洗ったのも久々だ。用意されていた寝衣に着替えスッキリ軽やかな気分で近づけば、入れ替わるようにしてデリックがソファから立ち上がった。遅れて動き出したクレイグは机に広げられた草根を片付けている。
「茶髪も可愛いけど、やっぱこっちのほうがジルって感じがするな」
「歳とったらどうすんの」
「二人一緒に白髪になれたら最高ですね」
「ねぇ、銀色の染料ないの」
「えっと……私が頂いたのは茶色だけです」
ナリトは黒色の染料も、ラバン商会から購入しているかもしれないけれど。面白くなさそうに鼻を鳴らしたクレイグを横目に、デリックは先ほどまで自身が座っていた一人掛けのソファをジルに示した。
「乾かすぞー」
「お願いします。…………?」
背後から風が吹き、銀色の髪がぱらぱらと視界の端を掠めた。しかしガットア領の宿屋で受けた風魔法に比べると、とても穏やかだ。あの時の風量が強とするなら今は弱。心地良いけれど、髪が乾くまで少し時間が掛かりそうだ。
土の神殿で鍵を護る魔物二体と戦い、脱出時には全力で駆けて貰った。移動中も護衛役のデリックは強化魔法をかけ続けていたはずだ。魔力の回復が追いついていないのかもしれない。
ジルはムーノとの会話内容も二人に話していた。各領地の神殿には属性の名を冠した精霊がおり、悪い人から精気を護っているらしい。ジルの魔力はルゥという名の精霊に似ていたため土の精霊は友好的で、神殿に入ることができた。
『底抜けはなんでそれ知ってたの』
クレイグから受けた質問にジルは答えられなかった。だからタルブデレク領に戻ったら、ルーファスの元へ訊きに行くつもりだと返した。
『精霊が護ってるなら、神殿を建てたのも精霊なのか?』
デリックから受けた質問にもジルは答えられなかった。しかし、神殿を建造したのはソルトゥリス教会ではないかとジルは考えている。両扉の仕掛けは遺失魔法だ。ムーノは遺失魔法を嫌っていた。その秘術が施された神殿を、精霊が建てるとは思えない。
――でもそうするとクレイラは。
「下から塗ってけばいいんだよね」
「え、あ、はい。上半分の髪はよけて、後頭部の根元から染料を付けていくといいそうです」
いつの間にかジルの背後にはクレイグが立っていた。帆船のなかで使用人から聴いていた染め方を改めて伝えれば、髪にぺたりとした感触があった。それから馴染ませるようにクシが通されていく。
「手際いいですね。使うの本当に初めてです?」
「嘘つく意味あるの。こう薬に似てるだけだ」
「なるほど貼り薬」
ジル一人ではムラなく髪を染める自信がなかったためお願いしたところ、デリックは乾かす、クレイグは塗るという分担になった。クリーム状の染料は手際よく塗布されており、ジルもデリックと同じ感想を抱いたのは内緒にしておく。
「毒に詳しいのは、薬を作っていたからなんですね。いつから勉強をしてたんですか?」
ジルは一度、リングーシー領であった時にも尋ねていた。その時クレイグは、リシネロ大聖堂の書庫でジルに言われたからだと答えたけれど、一年やそこらでここまで詳しくなるものだろうか。夢でみたクレイグは自棄気味で、他者を治療する場面なんてなかった。
――薬草畑まで作ってるなんて。
土の聖堂に到着した直後からジルは驚きっぱなしだった。前庭に綺麗な花が咲いているかと思えば薬用茶の材料だと言われ、裏庭に温室があると声を上げれば薬草を栽培していると教えられた。本当は中庭にも畑を作りたかったけれど、領民の憩いの場だからという理由で司教に止められたとクレイグは話した。
自警団として治安維持に努めながら、毎月の祈祷を行い、薬師もしている。栽培や医薬知識を得るには一日が何時間あっても足りないだろう。
質問の答えは、と仰ぐようにジルが頭を動かせば、動くなとばかりに指先で位置を戻された。




