23 呼び名と青い封蝋
影が差したと思ったら、膝に自分の羽織がのっていた。その羽織は横に広がっており、ルーファスの膝にも掛かっている。二人で分け合っている状態だ。
「妙案でしょう」
ジルが返却を拒否したとはいえ、自分だけ羽織っているのは気が引けたのだろう。ルーファスはジルの隣に席を移して、目を細めている。自分を棚に上げて、ジルはくすくすと笑いを零した。
「風の大神官様は意固地ですね」
「ご存じありませんでしたか? 僕の話は二つあります。一つ目は――」
昨年、教会領から風の聖堂に戻ったルーファスは、打診されていた司教補を断ったと話した。しかしこのような情勢だから、生界が安定するまでは神官を続けるつもりだと補足した。
「お断りして、お立場が悪くなったりは……」
「それどころか同僚に応援されています。司教様からはまだ時折、お誘いを頂きますけれど」
――これならきっと、ゲームでみた放火事件は起きない。
ジルは眉を開いた。苦悩が滲んでいたルーファスの声も、今は落ち着いていた。隣にある緑の瞳を真っ直ぐに見て、ふかふか寝台のためにジルも力強く肯定する。
「私も風の大神官様を応援しています」
「二つ目の話はそれです。昨年のように呼んでは下さらないのでしょうか」
尻すぼみになっていく、とても悲しそうな声で問われた。飴色の眉は淋しいとばかりに下がっている。先程とは反対に、見詰められる形となったジルはたじろいだ。
「私と大神官様では立場が違います。それにあの時は、事情がありましたし」
「本当は名前を呼んで欲しいのですけれど」
「そ、それこそ無理です。ご容赦ください」
ジルは首を横に振って固辞した。大神官を名前で呼ぶなど恐れ多い。それに聖女の従者となった時、間違って読んでしまう危険を排除する意味もあった。
「二人だけの時でも? 友人ができたようで嬉しかったのです」
「…………………………リンデン様の方でしたら」
たっぷり悩んだ後、ジルは折れた。絆されたのかもしれない。ルーファスの生い立ちを知っていたのがダメ押しだった。
――風の大神官様って、こんなに主張する方だったかな。
ゲームではどちらかと言えば影の薄い存在だった。穏かながらも陰を抱えたルーファスは常に後ろで控え、黙って微笑んでいるような、そんな立ち位置だった。
周囲は薄暗くなってきたというのに、瞳は陽を浴びた葉のように輝いていた。席を立ったルーファスに、ジルは手を取られる。その手を支えに立ち上がると、肩に羽織を掛けられた。
「とても暖かでした。ありがとうございます」
向けられたやわらかな表情にジルも笑みで応えた。それから、星が瞬く前にと二人は挨拶を交わし、それぞれの部屋に帰った。
◇
寄宿舎に帰ったジルを迎えたのは、見慣れない剣を抱えたエディだった。帰宅が遅くなったことを謝りながら自室に入ったジルは、物書き机に置かれた小箱と封筒に気が付いた。
「姉さんがいない時に、これが届いて……」
青い封蝋の刻印には見覚えがあった。また読むのを忘れてはいけない。ジルは封を破り手紙を開いた。そこには調整がつかず大神官総会には行けないこと、逢えなくて残念であること、そしてジルには菓子、エディには訓練用の長剣を送ったと綴られていた。滑らかな布に包まれた木の箱には、彩り豊かな星のような砂糖菓子が入っていた。
「これ、金平糖って言うんだって。はい」
ジルは指先で一粒摘まみ、弟の唇に寄せる。昨年の晩餐時とは違い、エディは素直に口を開いた。にっこり笑ったジルは自分の舌にも転がせて、砂糖の甘さに頬を緩ませる。後でお礼の手紙を書こうと心に留めておく。
「貰っても、いいのかな」
「エディにって書いてあったし、いいんじゃないかな」
これで剣の打ち合いができるとジルは喜んだ。これまで長剣は一本しかなく、どちらか一人しか振れなかった。ナリトから贈られた剣は騎士達が使う物と同じ大きさをしていた。今夜から使おうとジルは提案する。エディは何かを言いかけて、口を閉じた。次に開いた口は短く了承を紡いだ。




