234 廊下と案内役
とはいえジルの思い違いでなければ、セレナは水の大神官とは噂になりたくないはずだ。従者のエディが同じ部屋で寝泊まりするのは、領主には興味がないと周囲に知らしめる意味もあるのかもしれない。
万が一はないだろうけれど、セレナの身を護ることに繋がるのなら鍵はこのまま持って行こう。ジルはソファから立ち上がり、距離をとって一礼する。
「帰還の日までお預かりいたします。先ほど決めた件をデリック様にお伝えしたら、本日は休ませていただきます」
「話しはユウリから通しておくよ。廊下まで送ろう」
――廊下?
ナリトなら、セレナの待つ大公夫人の寝室まで送るだろうと思っていた。期待したわけではないけれど、ジルは従者、男性だからだろうか。しかし、それならばなぜ自分はいま部屋を横断するだけなのに、エスコートされているのか。不思議に思い見上げれば、青い瞳はジルを一瞥して前を向いた。
「この調子で頼むよ」
「無論です」
重厚な扉をあけた先、壮麗な廊下には衛兵ではなく、黒い制服に身を包んだ赤茶髪の神殿騎士が立っていた。
◇
タルブデレク領の港を出て五日目。帆船は徐々に速度を落とし、ローナンシェ領に入港しようとしている。
渡海してしばらくジルは気が気でなかった。ガットア領で初めて帆船に乗った時はあんなにわくわくしていたのに、大きな波がきて海に放り出されたら、と恐ろしくて甲板に出られなかったのだ。挙動不審なジルを見てデリックは船酔いしたのかと心配し、薬草や食べ物、和らげる姿勢などいろいろと教えてくれた。
それでもジルの顔色は回復しない。船酔いではないから当然だ。しかし、安易に弱点を公言するものではない。大丈夫だから気にしないでほしいと、ジルは都度デリックに伝えていた。
波に揺られて二日目、気分転換に新鮮な空気を吸うのもいいとデリックに手を引かれたところで、ジルは正直に理由を吐いた。自分は泳げないから船の中にいたい。それを聴いたデリックは目を丸くしたあと、笑いながらジルの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
『オレが背負って泳ぐから大丈夫。それでも怖いなら、落ちないように手を繋ごう』
それからジルの恐怖心は薄くなり、食事も喉を通るようになった。三日目には、甲板の中央でなら素振りもできるようになった。海上での生活も今日で終わりだ。復路はその時に考えよう。
「過保護は弟のためにならねぇぞ」
「坊主、兄ちゃんに泳ぎかた教えて貰え」
船酔いの件でデリックが右往左往していたことから、弟の世話を焼き過ぎる兄として水夫たちには認識されていた。ここでのジルとデリックは庶民の恰好をし兄弟で通している。
タルブデレク領を出港する前、ジルは髪を茶色に染めていた。灯の祭があった日、使用人の報告でジルの喜びようを知ったラバン商会の会頭は、タルブデレク大公に売り込んでいたらしい。ファジュルが抜け目ないのは今更だけれど、それで購入しているナリトは。
――ここは、感謝するところ。
望めばなんでも買ってくれるのでは、などと自惚れた思考のもとで心配するのは失礼だ。世話になった水夫、シャハナ公爵邸から同行してくれた侍女に手を振って、ジルとデリックは帆船を降りた。
◇
交易で賑わうこの港町は、ローナンシェ領の中央より南に位置している。九ノ月も半ばになればジルのいた村では寒風が吹いていたけれど、ここはまだ冷たい程度だ。
「なにその髪」
港に着いたら貸し馬屋を訪れるようナリトから言われていた。店主から、お連れの方がお待ちです、と不可解な案内をされた先では、太陽にも負けない金色が輝いていた。
「オレとお揃いです。可愛いでしょう?」
楽しそうに話すデリックとは対照的に、クレイグは不機嫌を眉間に刻んだ。土の大神官に会うのはリングーシー領以来、およそ四ヶ月振りだ。また少し背が伸びただろうか。人形のように整った顔は、愛らしいから美しいに変わりつつある。
「デリック兄さんとお世話になります、土の大神官様」
女神ソルトゥリスから愛された色。金色の髪を惜しげもなく晒している姿から、クレイグは身分を隠して行動しないのだとジルは判断した。しかし、土の神殿へ忍び込もうというのに、教会関係者に見咎められないのだろうか。
――でも、ナリト大神官様のお話は通ってるだろうし。
なにか考えがあるのだろう。ローナンシェ領での先導についても、北方の魔物討伐を担当している神殿騎士一人で可能だった。そこへ案内役を付けるのは、ジルの護衛を増やすためだとナリトは言っていた。
一礼していたジルが顔を上げれば、橙色の瞳はそっぽを向いた。そのままクレイグは担いでいた長方形の木箱をデリックに押し付け。
「ウィンルードまで行く。ついて来い」
ふんと鼻を鳴らし馬上の人となった。風除けのコートはさながらマントか。さらりと金髪をなびかせた姿だけをみれば物語の王子様のようだ。
用意された三頭はどれも駿馬でよく調教されており、宿泊地であるウィンルードの町に着いたのは夕暮れ前だった。主に通ったのは整備された街道だから、走りやすくはあった。
しかし、それを考慮しても随分と早い到着になった。




