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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
233/318

232 内乱と解錠

 廊下の角を曲がった先には、藍墨色の髪をもつ件の人物がいた。精巧な室内装飾のように佇んでいたタルブデレク領主の側付きは、聖女一行を認めると腹部に左手を当て一礼する。


「ハワード君のお迎えに上がりました。デリック卿はこちらでお待ちください。神殿騎士に劣らぬ衛兵を揃えております。身の安全は保障いたします」

「警戒すべきは外より内ですよ」


 ユウリに同行を制止されたデリックの声は平坦だった。確かに、裏切りは内乱の常套手段だ。しかしそんな心配は一切不要とばかりに側付きは微笑ひとつで受け流し、ジルに移動を促してくる。


「手紙を受け取るだけですから。皆さんはお休みください」


 ジルはシャハナ公爵家の転覆なんて考えていない。当主のナリトは言わずもがなだろう。心配はいらないと告げ、ジルはユウリに案内を頼んだ。


 当主夫妻の寝室は、直通路で往来できる距離にある。広い宮殿とはいえ迷子にはならない。それでもユウリが迎えに来たのは、主人の在室を知らせるためだろう。


 ナリトは基本的に城の執務室におり、昼間の宮殿で姿をみるのは稀だ。夕食も同席したりしなかったりと、多忙な様子だった。


 せっかく邸にいるのだから、もっと一緒に過ごせる時間を作りたい。勉学の一環として執務室で働いてみないかとナリトに相談された時は、セレナと一緒になって辞退した。下地もない門外漢は邪魔になるだけだ。そう理由を言えば、それなら部屋にいるだけでもいい、おいしい菓子を用意する、とナリトは次案を提示してきた。


 ――断っておいてよかった。


 多忙な領主の傍でお茶を飲んで喋っているだけなんて、レイチェルにどんな嫌味を言われるか分かったものではない。レイチェルだけではない。共に働いている者は皆、いい顔をしないだろう。それは少なからず、タルブデレク大公の評判にも影響を及ぼす。


 ◇


「夕刻に届いてね。早いほうがいいと思って声を掛けたんだ」

「恐れ入ります」


 ユウリは紅茶を淹れると退室していった。


 明るい色でまとめられた華やかな大公夫人の寝室に比べると、大公の寝室は落ち着いた雰囲気を受ける。それでも寒色系に映える金の装飾は、目が眩みそうなほどに輝いているのだけれど。


 室内には扉のない間仕切りがあり、出入口や装飾のすき間からは大きな寝台が見えた。ジルとナリトはその手前、居間で話をしている。しかしここにはローテーブル、ソファともに一脚ずつしかない。


「ここは防音が確かだから、畏まらなくても大丈夫だよ」

「……ありがとうございます」


 しばらく悩んだあと、ジルとして接することに決めた。従者から神官見習いに戻っても、領主へ敬意を払うのに変わりはない。けれどナリトが求めているのは、もっと気安い関係だろう。肩の力を抜いて答えれば、隣にある水底の瞳が嬉しそうに輝いた。


「長く独り占めをしていると夜襲がありそうだから、本題に入ろうか」

「お願いします」


 緩めたはずの体は、再び緊張でこわばった。比喩であろう夜襲という物騒な言葉に反応する余裕もない。取り寄せていた書物とはなんだろうか。どんな情報が手に入ったのだろう。ジルは背筋を伸ばし、ナリトの言葉をじっと待った。


 すると視界に、一通の封筒が入ってきた。冊子のような厚みはない、薄い封書だ。大食堂で言われた“手紙”は便宜上の名だと思っていた。まさか本当に手紙だったとは。


 ソルトゥリス教会の印章が入った封筒には、宛名も差出人の名も記されていない。


「私宛て、でよろしいのでしょうか?」

「間違いなくジル嬢宛てだ。こちらに書かれていたからね」


 ナリトが示す同じ柄の封筒には、しっかりと宛名が記されていた。宛名のない手紙を開封してよいかと視線で問えば、黒い艶やかな長髪が頭の動きに合わせて前後に揺れた。ジルは何度か深呼吸を繰り返し、慎重に封を切る。


 便箋には、書き手を思わせる丁寧な文字が綴られていた。


 『ご無沙汰しています。


 お見舞い状のお届けもせず、不躾に祈祷の中止依頼をお送りし申し訳ございませんでした。

 お聞き入れいただき感謝いたします。


 願わくば、再びご信頼をお預けいただきたく申し上げます。


 水の神殿へ向かう前に、土の神殿へ赴き、祭場へとつづく扉を解錠してください。

 台座には近づかないでください。

 欠損を癒せた貴女なら、繊ノ月を待たず路は開かれます。 

 

 理由は後日、必ずお話しいたします。


 ルーファス・リンデン』


 一読しただけでは飲み込めず、ジルの目は何度も便箋の上を往復した。


 魔王の封印に関する調査を頼んだにもかかわらず、近況伺いの手紙ひとつ送らなかったのはジルも同じだ。扉の解錠については、ゲームの知識、クノスの記憶と照らし合わせても、真意は思い当たらなかった。そうなれば事はもう、ルーファスを信じるか信じないかの二択となる。


 ――それなら答えは決まってる。


 手紙から顔を上げたジルは膝のうえで手を組み、ソファに背を預けていた水の大神官へ、静かに宣言した。


「私、土の神殿へ行きます」

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