230 障壁と誕生日
ヒロインと同時期に聖魔法が発現したレイチェルは、神官教育を受けている最中だ。
しかし幼少より家庭教師をつけ基本教育を施されている貴族令嬢は、生界史と教理の見識を深める事と、魔力くらいしか学ぶ科目がない。その科目も講師を呼び寄せ邸内で学んでいるため、平民から神官となる者に比べれば拘束時間は圧倒的に少なかった。
「でも、襲来が早いんです」
「しゅ、しゅうらい?」
物騒な物言いに桃色の瞳は揺れた。ジルは慌てて両手を振り、魔物のたぐいや殺人が起こるわけではないと説明を続ける。
一夜限りの女性とは必ず外で会い、決して敷地には入れないナリトがレイチェルの訪問は拒絶していない。また、今代聖女と同じ金色の瞳というだけでなく、聖魔法まで有したとなれば周囲も察するというものだ。タルブデレク大公はいづれ、エヴァンス公爵令嬢を妻に迎えるのだろう、と。
しかしそこへ、次代の聖女であるヒロインが現れる。
儀式のためにタルブデレク領を訪れたヒロインは、真心をもって水の大神官に向き合い、交流を重ねていく。二人の間に過ごした月日の長さは関係なかった。厚意が恋へと変わる中盤。ヒロインの障壁としてレイチェルは登場するのだ。
攻略対象と親密になっていれば何も問題はない。けれど好感度が足りなければ、ナリトはレイチェルと婚約を結び水の領地編は終わりを迎える。
ライバルの令嬢は、攻略対象との結びつきを測る存在として登場するのだ。
「ここに来てまだ、一週間くらいしか経ってないのに」
やはりタルブデレク領でも夢の通りにはいかないらしい。とはいえそれはジルも望むところで、ゲーム通りに進めるつもりはない。少々困るのは、予測が立てづらい点だ。
庭園での口振りから、レイチェルのなかで婚約は確定的なものとなっているのだろう。だから部屋についても牽制してきたのだ。
セレナに充てられたのはいわゆる大公夫人の寝室で、直通路を使えば廊下を通らずに大公の寝室まで行ける。とはいえ、通路は二枚の扉で仕切られており、ナリトとセレナはそれぞれ一本の鍵しか持っていないため、今は簡単に往来できないけれど。
「部屋替えはないか、侍女さんに確認しましょう」
「んー、変更はないと思うけど。エディ君が心配なら訊いてみるね」
大公夫人の寝室には初めから、豪華な寝台が二つ置かれていた。主人の醜聞を気にするジルをよそに、セレナもナリトもその部屋を使うよう従者に命じ、今に至る。
――私だけ離れた使用人棟にいたら、護衛が大変っていうのが一番の理由かな。
近くには警備を担当する衛兵の間があり、二人の神殿騎士はそこを間借りしていた。
◇
セレナの予想通り、部屋の変更はなかった。
レイチェルは凹形となった同フロアの向かい側、客室として利用される区画に通されたようだ。セレナとナリトはガットア領ですでに顔を合わせているため、好感度は足りていたのだろう。
「最下とはいえ爵位を与えられた神殿騎士は譲っても、なぜ従者まで席についてらっしゃるの?」
「彼もソルトゥリス教会からの客人だからね」
「そうやってナリトお兄様は誰にでもお優しいから、勘違いする者があとをたちませんのよ」
今夜の食事は小食堂ではなく、革張りの瀟洒な椅子がずらりと並ぶ大食堂で行われた。長い長いテーブルの最奥に座ったナリト。その右前にはレイチェル、隣にラシード、ジルと順に並び、左前にはセレナとデリックが着席していた。
紺色の布に白いレースを重ねたテーブルクロス。曇りひとつない銀色の燭台に灯るキャンドルは見覚えがあった。ナリトがファジュルから買い上げたものだ。
「得もなく、むやみに嫌われる必要もないよ。ところで今日はどうしたのかな。レイチェル嬢にも挨拶状は届いていただろう?」
一皿づつ運ばれてくる、色とりどりの美しい料理。グラスの中身が減れば、なにも言わずとも飲み物で満たされた。並ぶ使用人に見守られるなか、口元に微笑みをのせた主人とむくれ気味な賓客が言葉を交わしている。
「ですからお伺いしたの。お誕生日のお祝いを紙切れですませるなんて、わたくしにはできません」
「どなたかお誕生日なんですか?」
つい、と言った様子で尋ねたセレナへレイチェルは柳眉をひそめた。
「貴女、お世話になるかたの経歴も調べずにいらしたの?」
「すみません」
「今年は城を開放しないから、私が黙っていたんだ。それに滞在は急に決まったことだから、セレナ嬢はなにも問題ないよ」
――うん、問題があるのは私の記憶力だ。
レイチェルが口にして初めて、ジルは思い出した。ゲームでも攻略対象たちの誕生日イベントがあったのだ。
水の大神官の誕生日は臥ノ月、だったように思う。日中は保安検査を実施したうえで平民に城の庭園を開放し、夜は親交のある貴族や臣下を招いて舞踏会を催していた。
「ナリトお兄様がそう仰るのなら……。 お誕生日までの一ヶ月間、わたくしが皆様を代表してたくさんお祝いいたしますね」
セレナを大公夫人の寝室から追い出せなかった当てつけか。レイチェルは可愛らしい声で誕生日という言葉を強調し、胸の前でほっそりとした手を合わせバラのような微笑みを浮かべた。




