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傾界の聖女  作者: たま露
【水・土の領地 編】
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229 ヒロインとライバル

 声の方を振り返れば、静々とした侍女を連れた少女が立っていた。


 なめらかな藍墨色の髪は腰まで伸び、毛先はくるりと綺麗に巻かれている。ドレスは青を基調に白と金の指し色が散らされており、一足早く夜の帳が下りたようだ。


 突然現れた少女の貴族然とした出で立ちにジルは目を瞬かせ、次いで気丈そうな顔に飾られた二つの色に視線を奪われた。思わずひらきそうになった唇をぐっと引き結ぶ。


 ――ライバルだ!


 ゲームで恋のライバルとして登場する貴族令嬢は、今代聖女と同じ金色の瞳を持っていた。


「平民出の神官は慎みというものをご存じないのかしら」


 目線をまっすぐに、少女はふわりと膨らんだ裾を揺らしながら近づいてくる。棘を含んだ声は敵対心を隠そうともしない。


「寵愛を賜りたくてこちらにいらしたのでしょうけれど、残念ね。タルブデレク大公閣下には婚約者がいるのよ?」


 少女は手にしていた象牙色の扇をぱらりとひらき口元を覆った。施された彫りや金の細工が陽に輝く。金の双眸はセレナの背後、そして隣へと移り軽蔑の色をのせた。


「男の従者に身の回りの世話をさせるなんて。後ろの神殿騎士にもなにを」

「あ、水の大神官様」

「ナリトお兄様! ご政務は」


 ジルがぽつりと呟けば少女は瞬時に棘を落し、香りたつ大輪のバラを咲かせた。しかしその花は期待した人物が目にすることなく萎れてしまう。


「……から、課題が出ていましたよね。セレナ神官様、図書室へ参りましょう」


 再び伸びた棘には触れず、ジルは抑揚を抑えた声で移動を促した。ナリトからは、敷地内であれば好きなように過ごしていいと言われているし、もちろん課題など出されていない。


 セレナもこの場から離れる方便だと気が付いたようだ。呆気にとられていた肢体にすっと芯が通った。


「失礼いたします」


 神官としての教養を学んだセレナは、貴族に対しても失礼にあたらない程度に腰を折る、行礼のかたちをとった。


 聖神官はその稀少性から保護される立場にあり、司教、伯爵や子爵と同程度の地位を有している。そこへ更なる権力者の寵を得たなら、強い影響力を持つのは必然。野心旺盛な聖神官には、多数の後援者がついていることもあるらしい。


「戻る部屋を間違えないでちょうだい」


 ぱしんと扇を閉じた少女は身を翻し、セレナが歩きだすよりも前に緑葉のアーチをくぐっていった。


 ◇


 藍墨色の髪に金の瞳をもつ少女、レイチェル・エヴァンスはナリトの婚約者“候補”だ。


 水の大神官は攻略対象のなかで唯一の貴族だけれど、婚約者はいない。タルブデレク領主に就かせたいナリトの母親である第二夫人が、縁談をことごとく潰したためだ。


 自尊欲求を満たす道具である一人息子が、格下へ婿入りするなどあり得ない。公爵は貴族として最高位であり、発言力は総大司教や枢機卿に匹敵する。ナリトの母親はその地位に執着するあまり、第一夫人の幼い嫡男を毒殺してしまった。


 母親の望んだ通り領主となったナリトには、釣書が山のように届けられた。醜聞よりも実益が勝った結果であり、返送を命じていた第二夫人が修道院へと幽閉され、せき止めるものがなくなった為だ。


 襲爵の挨拶も兼ね、ナリトはそれらの貴族を茶会に招待した。すると、どの令嬢も親に言い含められているのか寵をねだるばかりで、煩わしいだけだった。歪んだ母の愛情を受け、唯一信頼していた兄代わりのユウリにも先立たれたナリトは、無償の愛を欲していたのだ。


 そんななか、釣書を送ったひとりである六歳下のレイチェルだけは、その後も宮殿への訪問が許されていた。


「領主様の妹さんじゃないんですね」

「ローナンシェ大公閣下のご息女で、水の大神官様を兄のように慕っている、という感じでした」


 宮殿に設けられた図書室で、ジルは夢で得た知識をセレナに伝えていた。


 エヴァンス公爵家の一人娘であるレイチェルは、二人の兄と両親に可愛がられて育った。口にした言葉は肯定され、欲しいものはすべて与えられた。卑下とは無縁の環境で育った少女は、自分の感情にフタをしない。


 母であるローナンシェ大公夫人に連れられて参加した茶会で、レイチェルは十八歳のタルブデレク大公に恋をした。それ以来レイチェルは物怖じしない爛漫さでナリトを兄と慕い、何かと理由を作ってはシャハナ公爵邸に訪れていた。


 縁談を申し込んだ貴族令嬢のうち、なぜレイチェルだけが訪問を許されたのか。理由は二つある。


 第一に大公の娘という立場。第二に髪色だ。


「聖女様と同じ瞳の色じゃなくて?」

「エヴァンス公爵令嬢の髪色、カライト様にそっくりだと思いませんか?」

「そっか……寂しかったんだね」


 ジルがみなまで話さずとも、すぐに察したセレナは流石だ。自身も家族と離れているため想像しやすかったのもあるだろう。零れた思いやりの言葉は絨毯に吸い込まれた。


 天井まで伸びた大きな書架は棚のひとつひとつに装飾が施されているけれど、けして絢爛ではない。上質な手触りのテーブルや椅子も落ち着きのある色合いで、読書のために誂えたと分かる内装をしていた。


 ラシードとデリックには廊下で見張りという名の待機をお願いしており、図書室にはジルとセレナの二人しかいない。


「あれ? でもカライト様は生きてるよ?」

「立場的に、無下にはできないからかな、と」


 若輩領主が、同格の他家を袖にはできない。さらに、レイチェルが堂々と婚約者候補として振舞う理由はほかにもある。知り合ったばかりのヒロインにはどうやっても越えられない年月、それと聖魔法だ。

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