226 帰還と土産
一人は前回同様、帰還日を予測して待っていた教皇の近侍だ。もう一人は。
「お疲れ様。頑張ったね」
ジルの耳に低く玲瓏な声が流れ込んできた。青い瞳にやわらかな光を湛え、なめらかに微笑んでいる。聖女一行を出迎えた水の大神官と入れ替わるようにして、火の大神官は片手を振り扉へと足を向けた。
「アタシは報告があるから、あとは宜しく」
豊かに波打つ亜麻色の髪を揺らし、カツカツとヒール音を立てるファジュルに教皇の近侍は小さくため息をはいた。
「ご帰還にお慶び申し上げます」
腰を深く曲げて真礼する近侍は、怜悧な雰囲気に戻っていた。
「寄宿舎へは護衛騎士を伴ってください。ご用事が済みましたら、速やかに宿泊棟の客室へ。ただし聖女様のご意向であれば、教会領でお休みにならず、タルブデレク領へお渡りくださっても構いません」
「は、はい」
セレナへ事務的に告げた近侍はナリトを一瞥し、すでに転移陣の間にいないファジュルの後を追って行った。進捗確認、指示や調整、教皇への報告役を兼ねた背中には気苦労が滲んでいた。
「なにも言ってないのに、どうして分かったんだろう」
「私が伝えていたんだ。不要だったかな?」
ナリトの声に、首を傾げていたセレナがくるりと振り返った。花びらのような淡紅の金髪がふわりと舞い、顔が綻ぶ。
「ご希望は、水の聖堂への転移ですか?」
「セレナ嬢に任せるよ」
水の大神官は、セレナに引けを取らない笑みを刷いた。にこにこ笑顔の応酬が続くなか、不意にジルは腕を取られた。片腕にぎゅっとセレナが抱きついている。
「エディ君やジルさんと相談して決めます」
「その前に、少しお時間よろしいでしょうか!」
リシネロ大聖堂に転移してからずっと後ろに控え、空気に徹していた赤茶髪の騎士が素早く片手を上げた。真剣な面持ちで許可を求める姿に、なにごとかと皆の視線がデリックに移る。どうぞとセレナが先を促せば。
「調子に乗ってタルブデレク大公閣下を煽ってしまい、申し訳ございませんでした!」
風切り音が聞こえてきそうな勢いで騎士の頭が下がった。デリックとナリトは顔を合わせてからまだ一言も交わしていない。脈絡のない謝罪にジルは疑問符が浮かんだけれど、タルブデレク大公には思い当たる節があったらしい。
「謝罪を受け入れよう。今は譲っておくよ」
「寛大なお言葉ありがとうございます! この先もずっとオレに任せてください!」
胸を張った神殿騎士は、ナリトに満面の笑みを浮かべた。新たなにこにこ笑顔の応酬が発生している。そんな二人を余所にジルは腕を引かれた。
「終わったみたいだし、行きましょう」
転移陣の間を出たセレナとジルの後ろからは、終始無言のラシードがついてきた。
◇
寄宿舎の一階、廊下のつきあたりに設けられた窓の外はまだ明るい。一人で使うには寂しい自室は、なにも変わっていなかった。三ヶ月振りに向けられる弟のジト目も変わっていない。
正直、ジルもどうかと思った。でも。
「廊下にいたら目立つでしょう?」
一人で使うには広い自室を、狭く感じる日がくるとは思わなかった。体の大きな騎士たちは壁に寄り、水の大神官は物書き机の簡素な椅子に座っている。立った姉弟の傍にある寝台には、セレナが腰掛けていた。
「それはそうだけど……」
「それよりも、ただいまエディ!」
歯切れの悪い弟に構わず、ジルは思い切り抱きしめた。同じ高さにある頭から零されたため息がくすぐったい。教会領の空気で冷え始めていた体に、じわりと弟の存在が沁みていく。
「熱は出していない? 困ったことはなかった?」
「人前で抱きつく姉がいて困ってる」
抑揚の少ない声が漏らした不満に、誰かが小さく噴き出した。そうは言われても、心の補充はできる時にしておかなくては。セレナとナリト次第では、今日中にタルブデレク領へ転移するかもしれないのだ。
弟は姉が倒れたことを知らない。デリックが護衛に加わったのは、魔物が増えたからだと伝えられている。真実はおくびにも出さず、長く伸びた銀色の髪を梳きながらジルも笑った。
「変わらず仲睦まじいね」
「はい。大好きな家族ですから」
「私もいつか加えて貰えるかな」
「「は?」」
「私もエディ君やジルさんと家族になりたいです!」
「「え?」」
砂糖をとかしたような眼差しに身構えはしても、ナリトの想いを知っているからジルは騎士たちのように声を上げはしなかった。しかし、セレナの言葉には意表を突かれた。エディも驚いたようで、四つの紫眼は寝台から立ち上がったセレナに釘付けだ。
「これ、ガットア領のお土産です。ジルさんにもあるんですよ」
三人でお揃い、と微笑んだセレナは金と銀が縒り合わされた紐を掲げてみせた。オアシスの泉に浸し日光と月光に一ヶ月間さらされた、祝福を呼ぶ紐らしい。灯の祭で買ったのだとセレナは話した。
「「ありがとう、ございます」」
まさか自分にもあるとは思わず、そして弟は土産があるとは思わず、姉弟はぱちぱちと瞬きをくり返した。
――もしかしてこれは、夢になかった推しルート?




