223 火の神殿
虫はおろか一片の草も生えていない砂漠の断崖。鉄鍋のように中央がへこんだ火山のなかに、火の神殿はあった。
黒と赤の景色にそびえる白壁の建物は異彩だ。どろどろに溶けた熱は赤い川となり、岩肌に沿って円をえがいている。今は大人しい溶岩流も、常ならば生き物の侵入を阻む激流となっているのだろう。
火の聖堂から砂漠方面へ向かって馬で一日路。低い山の麓に設けられた教会という名の管理小屋で一泊した翌日、聖女一行はぐらぐらと熱された鍋底へと続く石段の前にいた。
「なかに入るまでは高熱の蒸し風呂だ。喉を焼きたくなきゃ強化魔法をかけ直しときな」
騎士二人に喚起した火の大神官は、セレナへと手を伸ばした。立ち昇ってくる熱気のせいか、強化魔法を使えない不安からか、セレナは白皙の肌に汗を浮かべている。
「術者本人ほどじゃないけど、手を繋げば緩和できる。移動中、口元は袖で隠しときな」
「分かりました。えっと……エディ君は」
「はい! オレがジ、エディと手を繋ぎます!」
セレナの疑問に答えたのはデリックだった。ファジュルはただ口の端を上げるだけで、否定も肯定もない。関係性を理解したうえで反応を楽しんでいるようだ。
「よろしくお願いします」
ジルの護衛はデリックだから、何もおかしなことはない。差し出された手を取れば、顔一杯に喜色が湛えられた。深緑色の瞳から溢れでる好意にたまらず目を逸らす。その先には、いつもの無表情を装備したラシードがいた。
聖女の護衛騎士は役目をまっとうすべく先頭に立ち、熱に包まれた黒い石段を下りていく。続けてファジュルとセレナが進み、最後にジルとデリックも足を踏み出した。
一段下がる度に周囲の温度は上がり、肌にまとわる汗がじわりと増えていく。繋いだ手から心地良い冷気が伝わってくるのに、暑い。遠くのほうで呻き声を上げるように灼熱の膜が膨れて弾けた。
風化か溶岩によるものか分からないけれど、黒くがたがたとした足元は安定しない。石段で体勢を崩せばジルどころか、皆一緒に溶け消えてしまう。隣を歩むデリックに支えられながら、慎重に最後の一段を下りた。と同時に耳元でなにかが聞こえた。
(――よ。ほ――! ――て!)
「下がれ!」
「え、っ」
「きゃあっ、つ」
ジルの靴裏が黒い底面を踏んだ瞬間、重低音な声に引っ張られた。驚き晒してしまった喉に熱気が入りこむ。崩れた体勢はラシードに寄りかかり、視界は黒い生地に橙の差し色が入った騎士服で埋まった。
「二人を抱えて神殿まで走りな!」
ファジュルが言い終える前に、ジルとセレナの両足は浮いていた。荷物のように肩へ担がれたのは速度を優先したからだろう。高くなった目線から状況を窺い、ジルは息を飲んだ。
炎の壁に囲まれていた。
断崖に沿って燃えさかる火焔の帯は天まで焦がしてしまいそうだ。鉄鍋ではなく、石窯のなかに放り込まれたような感覚。逃げるジルたちを追いかけるように、ゆらりと赤い手が伸びてくる。このままでは焼け焦げてしまう。熱いのに寒さで肌が粟立つ。
――こんなの起きなかった。
もしかして祈祷を止めた影響なのだろうか。空気が薄い。呼吸が。
「とうちゃーく。ジル、もう大丈夫だぞ」
場違いなほど朗らかな声とともに、揺らいでいた視界が止まった。肩に担がれていたジルはいつの間にか、腕の上へと座っていた。やわらかに笑んだ深緑の瞳。余裕を感じさせるデリックの様子に、ジルの呼吸は軽くなった。
「このまま行こうか?」
「歩けます! ありがとうございました」
とんでもない提案を反射的に断れば、騎士は名残惜しそうにしながらもジルを床へと降ろしてくれた。先ほどデリックが大丈夫と言ったように、どういう原理か分からないけれど、ここは強化魔法の影響下でなくとも涼しい。ラシードに運ばれてきたセレナも不思議そうに周りを眺めている。そこに、カツカツとヒール音が響いた。
「別のもんがやける前にさっさと儀式を終わらせるよ」
遅れて神殿の扉をくぐった火の大神官はそのままジルとデリックの間を抜けて、白い空間を進んで行った。
滑らかに整えられた石床は歩き易い。とはいえ、ファジュルはここに来るまでずっと踵の高い靴を履いていた。火の神殿へ至るまでの地形を知っていたジルは、聖堂を出発するまえに履き替えないのかと尋ねてみた。するとファジュルは、姿勢が崩れるからイヤだ、と答えていた。
伸ばした背筋に波打つ亜麻色の髪を流し、堂々と歩いていく火の大神官の背中を追って、聖女一行は鍵の在りかへと向かった。
半球型の屋根をもつ神殿の構造はどこも同じだ。まずは二つある宝物の間でそれぞれ魔物を倒し、祭場へと続く扉の鍵を入手する。
――交ざってる動物は違うのに、呼び名は一緒って変だよね。
鍵を護る魔物は、蜥蜴の頭に蛇の尾、獅子を思わせる体には鎧が装着されていた。風の神殿にいた魔物とは頭と体、弱点が異なる。それなのにゲームでは、クレイラという同じ名が付いていた。




