222 祈祷と信頼
朝食を終えた聖女一行は、ファジュルの執務室に集まっていた。硬い石床の上、机やソファのしたには花鳥文様の華やかな織物が敷かれている。
ジルとセレナの対面に座ったファジュルが、細かな折り目のついた紙をテーブルに置いた。壁際に控えた騎士二人に文面は見えないだろう。
「どう思う? ジル」
火の大神官はセレナではなく、ジルに問いかけてきた。ファジュルは足を組み、真贋を見極めるような視線をジルに向けている。隣席からは戸惑いに満ちた気配が漂ってくる。
庭で見た鳥が運んできたのは、風の大神官からの手紙だった。
『今後の祈祷は、魔力を注ぐふりで通してください』
ルーファスらしい丁寧な字で、一文しか記されていない。
毎月の祈祷は大神官に課せられた責務だ。聖女の力を支え補強するため、大神官たちは聖堂にある祈祷の間に籠り、魔法陣のうえで一日魔力を流し続ける。
浄化能力の衰えによって魔物が増え、変異体まで出現している今、祈祷を中止する理由が分からない。
ゲームでも祈祷は毎月おこなわれていた。ここでジルが改変を加えたらどうなるのか。
――また、強い魔物が増えるかもしれない……。
ルーファスは何故、こんな指示をだしたのだろう。
ソルトゥリス教会の決定なら、教皇の署名が入っているはずだ。それにこんな一文で通達される内容ではない。中止の理由を尋ねるためファジュルの伝書鳥を飛ばしても、リングーシー領へは片道一日、往復で二日はかかると言われた。祈祷の日は明日なのだ。
いくら手紙を見詰めても、答えは書かれていない。
「ファジュル様はどうするんですか?」
黙り込んだジルを見かねてか、セレナが口をひらいた。組んでいた足を解いたファジュルは、しなやかな褐色の指先で手紙を摘み上げる。
「勅書と認められない以上、火の大神官としては従えない。けどこれが、ラバン商会の利益になるってんなら従ってもいい」
どうなのだとばかりに、再びジルの前に手紙が戻ってきた。風の大神官はジルのために動いていると、ファジュルは知っているのだろう。だから次代の聖女ではなく、ジルに問いかけたのだ。
祈祷を続けてほしい、止めてほしい。ジルがどちらの答えを出しても皆は肯定してくれるだろう。そうなるよう、自分が仕向けてきたのだから。
ルーファスだってそうだ。魔王を討伐するために、聖女を解放するために。自分を支えてほしいと、ソルトゥリス教会を裏切るようジルがそそのかした。
変異体と呼称される魔物はもう出現している。すでに魔物の害を被った人々が各領地にいる。ジルが悩む前から、無辜の民は犠牲になっているのだ。
答えを悩んだところで、失った生命は戻らない。それなら――。
気が付けば、膝上で組んだ両手の指先は白くなっていた。手紙に落ちていた視線を上げ、固まった指先を伸ばし重ね直す。
「祈祷は中止してください」
ジルが信じなければ、誰が信じるというのか。
「私はリンデン様を支持します」
恋情は分からなくても、信頼は返せる。
――自分が決めた道を進むんだ。
値踏みする紅玉の瞳を真正面から見詰め返し、ジルは自分の目的を火の大神官に話した。続けて商会にとっての利を提示しようとしたとき、ひらりと褐色の手が上を向いた。
「その辺はタルブデレク大公閣下から聴いたからいいよ」
「それでは祈祷は」
ファジュルとナリトは、いつの間にそんな話をしていたのだろうか。しかしここでジルは合点がいった。魔物がいない未来の利益を語るには、魔王討伐の話をしなければならない。まさかジルの知らないところで、ナリトが火の大神官に話しているとは思わなかったけれど。
ジルは水の大神官に見逃して貰った立場だ。姉弟の入れ替わりにファジュルは気が付いていたとはいえ、話す前に一言くらいは欲しかった。ジルの眉根が寄ったのとは対照的に、黒子を飾ったファジュルの口元は艶やかな弧を描いた。
「可愛い妹の頼みだ。祈祷してる振りをするよ」
「あ……ありがとう、ファジュルお姉ちゃん」
唐突に妹と言われ反応が遅れてしまった。ジルから言った呼び方だけれど、心構えができていないと面映ゆい。先ほどとは異なる心持ちによって眉根が寄った。そんなジルを見てファジュルは満足そうに笑んでいる。
――もうこのままお願いしよう。
「私の意思をファジュルお姉ちゃんの伝書鳥で、ナリト大神官様とミューア大神官様に伝えることはできますか?」
「タルブデレク領は明日、ローナンシェ領は早くても明後日到着になるよ」
「構いません。今月は間に合わなくても、それ以降は中止できます」
◇
伝書鳥が水と土の領地へ向けて飛んだ翌日、火の大神官は祈祷の間に籠った。休憩を報せる者が来た時だけ魔力を流し、それ以外はなにもしなかったとファジュルは話した。
毎月続けられていた祈祷を止めて一日、三日、一週間。情勢が悪化したとも、好転したとも聴こえてこない。
そうしてさらに四日が経った、弓ノ月末日。聖女一行は火の神殿に到着した。




