21 ジル<14歳>
太古の昔、この地は魔王クノスに支配されていました。
天には闇が垂れ込め、魔王の眷属たる獣、妖が跋扈し、魔素の色濃い風に人は伏すしかありませんでした。
同胞が消えてゆくなか、人は祈り続けました。
そこに、一条の光が差したのです。
女神ソルトゥリスは厚く重い闇を裂き、陽の光を地にもたらしました。
女神は聖の輝きによって魔素を浄化し、魔物を封じました。
女神に地を追われた魔王は言いました。
『幾星霜を重ねようとも、決して逃がさない』
魔王に地へ落された女神は言いました。
『幾風霜を重ねようとも、共に在りましょう』
人と共に在ることを選んだ女神は光となり、地に降り注ぎました。
女神の右手はローナンシェに。
女神の左手はタルブデレクに。
女神の右足はガットアに。
女神の左足はリング―シーに。
女神の御心はソルトゥリス教会に。
こうして、生界は誕生したのです。
◇
「魔素の浄化能力を有する聖女様は、女神ソルトゥリスの権現です。それは、聖女様が不老であることによっても左証されています」
教理の講師がとうとうと語っている。講師の声色が熱を帯びていくだけ、ジルの思考は冷めていった。今代の聖女は齢十二で両の掌に御印が現れた。今年で在位三十五年であることから、平均寿命が五十歳から五十三歳といわれている生界では不自然な年齢ではない。外見が十二歳の少女であることを除けば。
「また、四肢の欠損さえ癒してしまう聖魔法は、慈悲深き女神の御力に他ならず、かの蛮勇を振るった――」
講師の話は、いかに聖女は素晴らしいか、教会はどのようにして人心を得たかといった内容に移った。
一般的に聖魔法は、傷を癒すことはできても、失った手足を戻すことはできない。けれど聖女が施す回復魔法は、それを可能にした。そんな人智を超えた聖女にも、癒せないものがあった。病だ。聖女は不老だけれど不死ではない。代々の聖女は皆、病によって身罷ったとされている。
――外に出られるのは、女神の降臨祭の時だけ。病気にもなるよね。
病に侵された聖女の余命は幾ばくかとなった時、次代の聖女に御印が現れるのだ。
聖女は存在するだけで魔素を浄化する。それに対し大神官は、月に一度の祈祷によって聖女の力を支え補強するのが役目だ。恒常を求められない大神官は、担っている者が死去するのと同時に、適格者に御印が現れていた。
「――です。本日の法話はここまでに致しましょう。曙光は我らと共に」
話し終えた講師が壇上で掌を重ねて祈りを捧げた。それにならい神官見習い達も唱える。唱和を合図にジルは講義室を出た。
◇
鳥さえも眠っている夜と朝のあわい。厩舎へと向かうエディを寄宿舎の玄関で見送り、ジルはいつものように自室で剣を振った。
十二の月が一巡りして、ジルは十四歳になっていた。ウォーガンに課された素振り三百回は、今ではその数を優に超え五百回に達しようとしている。エディは二百回を過ぎたところで数が伸び悩んでいるけれど、続けていればいずれ課題を達成できるだろう。
剣の稽古は楽しみだ。そして、それと同じくらいジルは懸念を抱いていた。神殿騎士団の派遣頻度が増しているのだ。新しい聖女が立つのは三年後だ。猶父がケガをしたら、倒れてしまったらと心配になる。夢でみたゲームにウォーガンの名は出ていなかったから、生死は不明だった。
祈りが救いをもたらす。そんなことをジルは信じていない。祈りがもたらすのは仮初めの安寧だ。それでも、ジルは毎朝の礼拝を欠かさなかった。姉弟を見つけ出したのは神殿騎士であるウォーガンだ。神殿騎士はソルトゥリス教会が擁している。だから毎朝、その事実について感謝を捧げた。
日課の素振りをすませたジルは、その日の朝も礼拝堂で感謝を捧げていた。領外からの参詣者には開かれていない時間のため、席には十分な余裕がある。だから隣に人の気配を感じたとき、怪訝に思ったジルはそっと様子を窺った。
「っ!」
若葉の萌えた瞳とかち合った。ジルは思わず上げそうになった声を慌てて手で抑え込む。隣に座ったルーファスは、驚かせたことを詫びるように眉を垂らして微笑んでいた。その後、礼拝堂の外に出た二人は再会の挨拶を交わした。
「今日は髪を結っていらっしゃらないのですね」
「奉仕中は邪魔になるので」
「なるほど。では本日の清掃は別の神官見習いさんですか」
「ええ、と……すみません」
昨年のように客室の清掃をしたかったのかな、と思いジルは謝った。ふわふわとした飴色の髪を揺らして、ルーファスは否定と肯定を紡ぐ。
「そういった意味ではなかったのです。少し、期待はありましたけれど」
瞳が瑞々しい葉のように煌めいた気がした。やはり楽しみにしていたのだ。日程は担当講師が組むため、ジルの自由にできるものではない。けれどルーファスの気持ちを思うと、申し訳なく感じた。
「風の大神官様は、本日の大神官総会に?」
「はい。とはいえ、今年の出席者は僕一人だけですので総会といえるかどうか」
どうやらナリトは来ないらしい。神官服の贈与について先延ばしにしたいジルにとっては、有難い情報だ。ルーファスの話によると、出席者はいつも決まって自分とローナンシェ領の大神官の二人だけとの事だった。ローナンシェ領の大神官は高齢で体力も落ちており、今後の出席は控えると事前に文があったそうだ。
――それでも教会領まで来るなんて、風の大神官様は本当に真面目だ。
高齢の大神官はゲームの攻略対象ではない。つまり、死期が近いということだ。




