216 鐘塔と毒見
石造りの建物が並ぶ細い路を通り抜け、橋のような通路の下を通り、階段を上り、また細い路を進んだ。キャンドルのない路地は暗く、どこをどう通ってきたのか覚えづらい。そんな経路が唐突に終わった。積み木を不規則に並べたような、高さの揃っていない壁に三方を囲まれている。行き止まりだ。
祭の喧騒は厚い石壁に阻まれて聞こえない。ここが目的地だろうか。大きな背中に確認しようとひらいたジルの口は、驚きの声を発していた。
「え、わっ」
「登るぞ」
両足が浮いたと思ったら、地面が遠ざかっていた。ジルは菓子やパイの袋を落とさないよう、慌てて体の上に抱え込んだ。ラシードは強化魔法をかけているのだろう。自分の背丈よりも高い壁の上に飛び乗り、不規則な足場をつたい上へ上へと登っていく。
辿り着いたそこは、古い鐘塔のようだった。アーチ状に開いた四方の壁は所どころ欠けており、鐘も吊るされていない。
「下の扉は閉鎖されている。誰も来ない」
「お詳しいですね」
「騎士団に入る前はここから魔物を探していた」
ラシードが魔物狩りを始めたのは、家族が殺されてからだ。ここからは西に広がる砂砂漠もよく見える。十二歳のラシードは方々で高台に登り、仇である魔物を探していたのだろう。
護衛騎士の腕から下ろされたジルは褪せた壁に手を添え、眼下を望む。
「静かで、賑やかなところですね」
鐘の鳴らない塔は、たくさんの想いに囲まれていた。小さな無数のキャンドルは地上にあたたかな星を灯し、夜風に火を寄せ合いささめき合っている。祭が過ぎればキャンドルは魔石ランプへと変わり、同じように人々の暮らしを灯すのだろう。
家族を喪った子供は独り、どんな想いでこの情景を眺めていたのか。
「どうぞ」
床に腰を下ろしたジルは、露店で買ったお菓子をひとつラシードに差し出した。隣に座れというように菓子を振ってみせる。
「ラシード様へって、店主さんからの贈りものです」
鈍色の眉根が僅かに寄った。甘いものは食べられたはずだけれど、嫌いな菓子だったのだろうか。パイを買っておいてよかった。ジルはもう一つの袋を掲げてみせる。
「こちらは私から。具はお芋と鳥で辛いそうです」
「……」
「もしかして、毒見させようと思ってます? ダメです。辛いのは私に毒です」
黙って袋をみつめるラシードにパイを押し付け、ジルは菓子の袋を抱え込んだ。辛いのを食べさせられたらすぐに甘味で中和しなくては。リングーシー領での一件を思い出し警戒していると、顔を背けられた。
「あの時は悪かった」
ばつが悪そうな声音を紡いだ口は、そのまま辛いパイを齧った。毒見役は免れたらしい。ほっとしたジルはミルク色の菓子を袋から取り出した。ほろほろと崩れる甘みが舌を刺激する。とけて飽和した口福にジルの頬もとけてしまいそうだ。
――あ、いいこと思いついた。
ジルは丸い菓子をひとつ手にとり、もう片方の指先で隣の肩をトントンとたたく。
「あの、みていただきたいものが」
「なん」
「これでお相子です」
振り向いたラシードの唇に、ジルは素早く菓子を詰め込んだ。
苦手な食べ物なうえ、他人から食べさせられるという羞恥つきだ。ジルの期待通り、ラシードは目を丸くして固まっている。淡い月明かりに目を凝らせば、褐色の肌もほんのりと上気しているのではないだろうか。我ながらよい仕返しができた、とジルは得意満面に新しい菓子を口に運んだ。
「……のか」
「?」
「他のヤツにもこうやって食べさせてるのか」
とても低い。常でも重低音な声が、鐘塔の下へ向かって一直線に落ちている。それほどまでに嫌いな菓子だと思っていなかったジルの目は泳いだ。
「こ、このお菓子はラシード様だけ、です」
「この菓子は?」
「弟にはよく食べさせて……で、でも! セレナ神官様や大神官様には一度だけです!」
だからラシードも他の人と同じだとジルは必死に弁解した。のに、不機嫌な気配は濃くなってしまった。朱殷色の目がすっと細まり、横から伸びてきた手に袋を取り上げられた。
「口をあけろ、エディ」
嫌な予感がしたジルは唇を固く引き結んだ。じりじりと身を退きながら登ってきた経路を思い出す。高さはあるけれど、着地のたびに自己回復を使えば逃走可能だ。
でも、先ほどの声音は思いのほか棘がなく、好き嫌いをする弟妹を叱るような調子だった。
「ジル」
「っ」
口元にずいと丸い菓子が近づけられる。これなら不意打ちのほうがマシだ。早く終わらせたいジルは奪うようにして菓子を食べた。勢い余って指に唇が触れてしまったけれど気のせいだと言い聞かせる。甘い菓子をザクザクとかみ砕き、ふくらむ恥ずかしさごと飲み込んだ。
セレナにも協力して貰ったのだから、話す前に逃亡はできない。というのもあるけれど、ここに一人ラシードを置いて帰るなんて、できなかった。
「どうして弟のふりをしているのか、訊かないのですね」
次の菓子を取り出そうとするラシードへ、牽制も兼ねてジルは呟いた。




