214 男装と女装
「ハワード様、お支度が整いました」
「はっ、あっ、ありがとうございます……!」
居眠りをしていたジルは使用人の言葉に肩を跳ねさせた。その拍子に見慣れない髪が視界に入る。顔にかかったそれを持ち上げてみれば、自分の頭にくっついているようだ。
「ムラもなく綺麗に染まっております」
使用人が掲げた鏡には、紫の目を丸くした茶髪の自分が映っていた。
――同じ色だ。
顔の作りは変わっていないのに、別人になったようで少し落ち着かない。でもウォーガンと同じ髪色で、エディと同じ瞳の色をした姿は、家族を体現しているようで嬉しい。
短かった髪は胸元まで伸びており、すべて片側に流されていた。ゆるく編まれた髪はジルが動くのに合わせてふわふわと揺れる。魔法石のペンダントは髪飾りとして結われ、片方だけとなってしまったイヤリングは流された髪とは反対の耳に飾られていた。
「騎士様が待機しております。どうぞ、いってらっしゃいませ」
恭しく一礼する使用人に改めてジルは感謝を告げ、客室の扉を開ける。ふわりと軽い裾は、神官見習いの法衣と丈が似ていた。しかしこちらの方が生地は薄いため少々足にまとわってくる。ジルは足運びに注意しつつ部屋を出た。
魔石ランプに皓々と照らされた廊下には、ジルの護衛役がいた。デリックは灰色の使用人服から、深緑色の衣装に変わっていた。襟や袖に施された生地と同系色の刺繍は、華やかながらも落ち着いている。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
「オ」
――お?
途切れた言葉に下げていた視線を上げれば、口をあけてデリックが固まっていた。深緑色の目を皿のようにしてジルを凝視している。髪色や長さが変わっているから違和感が大きいのだろう。自分でも落ち着かないのだ。鏡を使わなければ自分の姿は見えないけれど、他者はジルの姿を普段から目に映している。長引く沈黙に不安がよぎる。
――知らない人に見えるのかな。
初対面のように接されたら少し寂しいかもしれない。一応、名乗っておこうとジルが口を開けば。
「エディ君、すっごく可愛い!」
静かな廊下にセレナの声が弾んだ。隣の部屋へと視線を移せば、淡紅の金髪は黒髪になっていた。髪は後ろでひとつに括られているようだ。そして衣装は。
「セレナ神官様は、格好いいです」
金色の刺繍に縁取られたキャメル色の上着は煌びやかだ。胸は潰してあるのだろうか。中に着用しているクリーム色の長衣はゆったりとした作りで、女性らしい体形が隠れている。紅顔の美少年だ。
男装と女装。まるで交換したようだと二人でわいわい衣装を見せあって、はたと気が付いた。
「名前、このままだと変ですよね?」
「んー……じゃあ、名前も交換しておく?」
「僕がセレナで」
「私がエディだね」
どちらもよくある名前だ。それに聖女の儀式はお忍びだから、姿も名前も一介の神官は知らないだろう。決まりだと二人で頷いて、それぞれの護衛騎士にもお願いする。と、これまで停止していたデリックに勢いよく手を取られた。
「オレのお嫁さんがめちゃくちゃ可愛い!!」
「断られてただろう」
デリックに握られていたジルの手は引き剥がされた。一瞬、声の主は騎士服を着ているのかと思った。しかし改めてよく見れば、黒地に灰色刺繍が控えめに施されていた。大剣は目立つからか、腰には長剣を下げている。
一蹴した重低音な声は平坦で感情を窺わせないけれど、手はまだ解放されない。どうしたのだろうかと見上げれば、熾火の瞳がやわらいだ。
「良く似合っている」
「あ、ありがとう、ございます」
まさかの表情でまさか褒められるとは思わず、ジルの頬に熱が集まる。ラシードの希少な微笑みを見るのはこれで二度目だ。一度目は護衛騎士の考えが分からず怖いばかりだったけれど、今は違う。居たたまれず視線を逸らせば、またデリックが口をあけて固まっていた。
しかし今回の解凍は早い。深緑の瞳と視線が合うなりジルはがしっと抱きこまれていた。
「エディはオレの専属従卒だからな! お前は要らないって言ったんだからな!」
「従卒は要らん」
――帆船で勧誘したのに?
威嚇するデリックに、流すラシード。剣呑な雰囲気というよりも、じゃれ合っているだけのように感じるのは、共に鍛練を積んだ仲間だからだろうか。
「髪の色だってほら、オレとお揃いなんだぞ!」
「ハワード団長の髪色だ」
「そうなんです! ウォーガン様と同じ色なんです」
自分だけでなく、他人の目にも同色に見えるのだ。嬉しくてジルはつい口を挟んでしまった。デリックの囲いから逃れ、ゆるんだ目元のまま茶色の毛先を二人に摘まんでみせた。
するとラシードは目を瞠り、ついと視線を逸らした。デリックは口に手を当て、なにやら苦しそうに呻いている。
「壁がでかい」
「ああ」
嘆くデリックに、同意するラシード。いつのまにか二人は同調していた。話の流れはよく分からないけれど、丸くおさまったようだ。
「さあ、いつまでも廊下にいないで、お祭りに行きましょう!」
一段落した空気を読み取ったセレナは、赤茶色の髪をもつ護衛騎士の腕をとった。




