207 魔素と記憶
フドド廃鉱で聖魔法を解放したのと同時に、ウォーガンの消えた左腕に光が集まるのをジルはみた。しかしその先は記憶がない。
次に感じたのは、全身に重りを巻かれたようなだるさだった。瞬きひとつ、呼吸すらも億劫で、意識はすぐに沈んだ。
しばらくして、手のひらに違和感が生じた。自己回復した時と似ているけれど違う。ジルに拒絶する気力はなく、肌を撫でていくようなそれに嫌悪感はない。ふわふわとして、心地よかった。
それまでふわふわと肌の上を流れるだけだったそれが、急に熱を帯びた。息苦しさを感じて大きく呼吸すれば、体のなかに熱が広がった。瞼をあけた先には、白銀の月が浮かんでいた。
夜をとかしたような濃紺の髪をした男の子は、今にも泣きだしそうだ。
――やくそく。
必ずお家に帰してあげると、約束していた。早く起きて、男の子の家族を探さなければ。まだ少し重たい体を起こそうとしたところで、乗っているものに気が付いた。
『ずっとずっと、ルゥをさがしてた』
覆い被さるようにまた、口を塞がれた。注がれる熱に触れ、ジルは渇きを癒すように嚥下を繰り返した。瀕死を重ねて深くなった器いっぱいに、魔力が満ちるのを感じる。熱から伝わってくる愛しさと懐かしさ、それからたくさんの寂しさに、涙が溢れた。
ふたりで戯れたおだやかな春の陽。幼いけんかは夏の夜で短い。遠い秋空にひとり夕映えを探して。長い冬の夜はまだ明けない。
朝と夜が何度入れ替わっても帰ってこない。何度名前を呼んでも応えてくれない。なにかあったのか心配で、置いていかれたのか不安で。怖くて哀しくてルゥを探しにいったら、クノスも帰れなくなった。
『ちゃんと待ってるから、おいていかないで』
少しずつためていた魔素がなくなり、姿を保てなくなったのだろう。ジルの体は軽くなり、視界に黒い靄がかかりはじめた。
『大丈夫、必ず帰るよ』
黒い靄が消えてしまう前に、ジルはクノスへと両腕を伸ばした。
◇
「……そのルゥってのが、ジルだってことか?」
ナリトやラシードとのやり取りを仔細に伝えるのは恥ずかしかったため、ジルは要点だけを話した。夢、もしかしたら現実かもしれないけれど、眠っている間に起きたことも、やはりぼかして義父に伝えた。
魔王と同じ名をもつ男の子が告げた名前。探していた、待っているとジルが言われたことからウォーガンは判断したのだろう。隣にある焦茶色の瞳は心配そうに揺れている。
その不安を払拭するため、ジルは唇に笑みを刷いた。
「魔力……雰囲気? が、似ているんだと思います」
ただの迷子だと思ったから、リングーシー領の花の祭りであった事をウォーガンには話していなかった。あのとき男の子は、『ちがう』とジルに言った。それにクノスの記憶でみたルゥは、橙色の髪に金眼だった。自分と同一の存在ではないのだ。
「九年前。初めて聖魔法を使った時も、魔力を分けてくれたみたいです」
クノスから魔素を注がれたとき、記憶や想いも流れ込んできた。それは断片的で正確には把握できなかったけれど、二人は深く想っていた。
ようやくみつけたルゥの欠片を見失わないように、クノスはジルに魔素を注いで繋ぎ止めたのだ。魔素はジルの体内で魔力となり、ルゥの欠片に触れて聖魔法になった。しかし無理やり引き出された力は己を護ることを優先し、自己回復となって発現したのだろう。
――二回も助けて貰ったんだ。
魔物に村を襲われ頭に傷を負ったジルは、魔素によって生かされた。魔力枯渇によって、いつ目覚めるとも知れない深い眠りから、ジルを引き揚げてくれた。
クノスはルゥが帰ってくるのを待っている。二人きりの家族を、離ればなれにしてはいけない。貰ってばかりなのは、落ち着かない。
「だから次は、私がかえす番です」
笑みを絶やさないジルと、難しい顔をしたウォーガンの間に沈黙が落ちた。ジルの首が少し疲れてきたころ、頭上の唇がおもむろに開かれる。
「なにを返すんだ」
「クノスとルゥを元の場所へ帰します」
「……魔王は討伐しないのか?」
「計画は進めます」
ジルが首を左右に振れば、言葉の意味を汲み取ろうとウォーガンは顎へ手をあてた。
「えっと、ルゥの痕跡を追ったクノスがみた建物、聖堂棟に似てたんです」
ソルトゥリス教会の総本山。教会領に鎮座するリシネロ大聖堂は、三つの棟で構成されている。しかしクノスから流れてきた記憶では、聖堂棟ひとつしか建っていなかった。
今のリシネロ大聖堂とは外観が異なっているから似ている、とジルは表現したけれど、あんなに大きくて立派な建物はほかに知らない。女神を祀り、聖女を擁す教会を差し置いて権力や財力を誇示する者などいない。
恐らくクノスは聖堂棟に封印されている。もしかしたらルゥも同じ場所にいるのかもしれない。
「家族に逢わせてあげたいんです。ひとりは、寂しいから」
実の両親とは離ればなれになってしまったけれど、ジルには弟がいた。エディと同じくらい大切な義父もできた。あの時クノスが魔素を注いでくれたから、四人の大神官や騎士たち、セレナに逢えた。
「魔王を自由にして魔物が増えたらどうする」
「それは……多分、大丈夫です」
クノスとルゥが共に過ごしていたときは、生界に魔物なんていなかった。魔物がいないなら、聖女は必要ない。手段が変わっただけで、ジルの目的は変わっていない。
「次は皆に手伝ってもらいます。反対、しないんだよね?」
寝台の端に腰掛けた義父を笑顔で覗き込めば、茶色の眉が盛大に中央へ寄った。見上げた先にある口は何かを言いかけて止まり、また閉じられる。
紡がれなかったウォーガンの言葉は、ジルの両頬に伸ばされた。いたい。




