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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
205/318

204 石棺と重症者

視点:ラシード

 明かりのもれる扉を叩けば、居眠りでもしていたのか間をおいて反応があった。大神官のために設けられた寝室から現れた救護員はラシードに敬礼し、先ほどまで座っていたであろう壁際の椅子を譲る。


「私も帰還することになりました。近く代わりの者が派遣されるそうです」

「世話になった」

「尊い御方のお傍に在れたのは、この上ない僥倖でした」


 異端者狩りでラシードがいない間は、事情を知る救護員が夜番についていた。聖女が眠っているのだと疑わない救護員は、従者を軽々に扱わなかった。かん口令が敷かれていることもあり、教会領に戻っても余計な情報は流さないだろう。


 従者を運び込んだ当初、寝室には最低限のものしか置かれていなかった。火の大神官であるファジュルの私邸は同じ都市にあるため、使われていなかったのだ。それでも教会の使用人たちは清掃を怠っておらず、すぐに清潔な寝台へ従者を寝かせることができた。


 広い寝台の下には、ガットア領の特産品である草花の文様を織り上げた深紅の敷物。繊細な透かし彫りの窓からは、ゆるく夜風が入り込んでいる。その風にのって、花の甘い香りが漂ってきた。従者が気に入っていたからと、セレナは白い花をリースに仕立て部屋に飾っていた。枯れかけていた花は、新しいものに替わっている。


 救護員の退出を確認したラシードは、寝台の上へと視線を向けた。ただ呼吸を繰り返しているだけで、一ヶ月前となにも変わっていない。


 あと数時間もすれば日付は弓ノ月に変わる。月末には火の神殿を訪れなければならない。聖女の儀式は続いているのだ。いつまでも火の聖堂に、ガットア領には留まれない。従者は身体の欠損を再生できる稀な癒し手だ。表向きは看護だが、保護のために騎士をつけると二人の団長は話していた。


 ラシードは聖女の護衛騎士だ。従者の護衛騎士にはなれない。


 ヴィリクルで、鍛練をする従者に必要ないと言ったのは、自分が護ってやろうと思ったからだ。しかしナリトの言葉を思い出し、手を離した。その日から従者は日課に現れず、こそこそと身を隠すように動き始めた。それでもラシードの感知範囲にいたため、なにかあれば対処できた。


 初めて不安を抱いたのは、従者が休暇を取得したときだ。気配が追えなくなり胸がざわついた。セレナの許可が出ていたのだ。自分が護衛に就いていれば、廃鉱でもっと手を強く握っていれば。


 巨大トカゲの魔物に喰われる従者と、幌馬車ごと呑まれた家族が重なった。


 十二歳だった己は弱く、仇は神殿騎士団が討伐してしまった。だが、こいつは自分が殺す。ラシードの思考は怒りで埋め尽くされた。余力も考えず強化魔法を重ね掛けし、魔物の喉元めがけて大剣を振り上げた。しかし、斬り裂くことはできなかった。


 牙のすき間から垂れた腕が、僅かに動いたのが見えたのだ。真っ赤な視界に真っ黒な恐怖が混ざった。すぐに消えてしまう弱いものなど要らない。


 要らない、はずだった。


 突如として生えた無数の岩を大剣で薙ぎ払い、魔物の咥内から従者を掬い上げれば、恐怖は一層濃くなった。魔物を殺すよりも、団長の命よりも、掴んだぬくもりを優先した。


「俺より、先に倒れないんじゃなかったのか」


 零れた非難がましい声は受け止められず、石棺のような寝室に落ちた。数日後には自分ではない騎士がここに居るのだろう。不意に、シュリアの声がよみがえる。


『お前以外の男んとこ』


 やはりあの身元保証人は気に食わない。


 ラシードは知らず握り込んでいた拳をひらいた。寝台で横たわる小さな姿に近づく。傷や病の治療をおこなっているわけではない。ただ眠っているだけだ。別の場所に移しても問題はない。聖女の護衛騎士や従者は替えがきく。


 己以外の者が少女を護るなど、許容できない。


「置いていかないでくれ」


 薄い肩へと手を伸ばしたそのとき、銀糸に彩られた眦から雫が流れ落ちた。昏睡後、初めて現れた反応だ。目覚めへの期待と、このまま連れ去りたい欲が絡まり、動けなかった。


 風に運ばれた甘い香りが鼻先で踊った。ラシードの首に、細腕が巻きついている。


「おいていかない」


 やわい花びらのようなささめきが耳朶に触れた。


 目覚めたのだ。認識するが早いか苦く狂おしい感情が溢れぬくもりを掻き抱いていた。この少女は警戒心が足りない。放っておいたら率先して危険に突っ込んでいく。勝手にどこかへ行かないよう強く、強く掴んでいなければ。また、消えてしまう。


「うっ、……ちょっと、くるしいです」


 ぱたぱたと肩を叩かれた。詰めていた息を吐き、閉じ込めるように倒していた体をラシードは起こした。そのまま足の上で少女を抱え込み、寝台に腰を落とす。


「あの、腕のほうも」

「放さない」


 とはいえ、やわらかな体が潰れてはいけない。少女の腰に回していた腕を少し緩めれば、諦めたといった様子の吐息が髪にかかった。細い指先が、ラシードの後頭部を撫でている。


「ご心配を、お掛けいたしました。皆さん、ケガはなかったでしょうか」

「お前が一番の重症者だ」

「ウォーガン様の、腕は……」

「二本ある」

「……った。本当に、よかった」


 首に回されていた腕の力が強くなった。人には放せといったくせに、自分は締めつけている。相変わらずこの従者は一貫性がない。それでもラシードは好きなようにさせていた。しばらくすると力が弱まり、首は軽くなった。


「騙していて、申し訳ございませんでした」

「別にエディでもジルでもいい。中身は変わらない」

「そう、ですね。……衛兵さんは、」

「教会には渡さない」


 腕を解き少女の顔を覗き込めば、紫水晶の瞳を丸くし瞬きを繰り返していた。

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