203 一杯と情緒
視点:ラシード
火の聖堂はガットア領最大のオアシス都市にあるとはいえ、芝生など生えていない。魔石ランプに照らされた前庭に砂埃を立て、ラシードは裏口へと向かった。人気のない通路に足音を響かせ大神官の居室へと繋がる階段をのぼりきれば、応接室から出てきたウォーガンと鉢合わせた。
「出てから一時間も経ってないぞ」
「一杯は飲みました」
こめかみに手を当て、盛大なため息を吐かれた。応接室の扉は開かれたままだった為、ウォーガンの反応で察したのだろう。部屋のなかからシュリアが声を上げた。
「帰ってきたんなら付き合え。肴三人分な。キノコ無しで」
「好き嫌いは子供に移るぞ」
「手遅れだ」
愉快そうな声に呆れた視線を投げていたウォーガンの顔が、再びラシードに向いた。通りざま肩を叩かれ入室を促される。食堂は閉まっているため、外で酒のつまみを買ってくるのだろう。この様子なら従者は目覚めていないようだ。落胆に交ざった小さな安堵を噛み潰し、ラシードは応接室に入った。
「おう、座れ」
部屋の主は己だとばかりに、金茶色のソファでくつろぐシュリアがいた。正面はウォーガンの席だから、自分の隣に座れと命じてくる。ラシードはそれを無視して一人掛けのソファに腰を下ろした。
「ほんっと可愛くねえなあ」
ラシードは十四歳のとき、上級ランクの討伐に来ていたシュリアに声を掛けられ、専属従卒に就いた。当時三十歳のシュリアは団長二年目。同期のウォーガンが孤児を引き取ったと聞いており、張り合ったのだろうと周囲の騎士たちは話していた。拾われた理由が対抗心でも気紛れでも、ラシードには関係なかった。これでもっと多くの魔物が斬れると喜び、シュリアに喰らいついて戦い方を学んだ。
会話が途切れるの待っていたように、扉が叩かれた。出掛けぎわにウォーガンが指示をしていたのだろう。衛兵は緊張した動作でグラスと酒瓶、水差しをテーブルに置き逃げるようにして出ていった。
シュリアは慣れた手付きでコルクをあけ、自身それからラシードへと琥珀色の液体を注ぐ。水差しは置かれた場所から当分のあいだ動くことはないだろう。
「ま、人並みの情緒が残ってて安心したぜ。また厄介そうな娘に惚れたなあ」
「なんのことだ」
「おま、はああ? まだそこかよ」
面倒くせえ、と呟かれた言葉に反しシュリアの口角は上がったままだ。一体この男はなんの話をしているのだろうか。無駄話をするだけなら、ラシードは早く夜番に就きたかった。火の聖堂に拠点を移してから、昼間はセレナが、夜間はラシードが従者の傍についていた。
「ラシード、やっぱオレが上に報告するっつったらどうする」
「シュリア・カエクヴァードを異端者として処分する」
「だよな。育て親にも等しい恩人のオレより、ウォーガンの娘を優先すんだよな」
「育てられた覚えはない」
衣食住は神殿騎士団から支給された。シュリアからは剣戟と魔法、子供染みた悪戯しか受けていない。言い捨てたラシードに構わずシュリアはグラスを傾け、赤茶色の目を細めた。
「お前にとってあの従者はなんだ」
「弟分」
「女だぞ」
「……なにが言いたい」
シュリアは昔からこうだった。なかなか結論を言わず、ラシードを揶揄って遊ぶのだ。質問には弟分だと答えたが、別に男でも女でも関係なかった。名前がエディでもジルでもなんでもいい。
命じられたからではなく、己の意思で護りたいと思った人間だった。そんな存在は家族以外にいなかった。だからラシードは弟分だと答えた。それをシュリアはわざわざ言い換える。
「妹分だとしよう。嫁にいくっつったらどうする?」
「どこへ」
「お前以外の男んとこ。ガン飛ばしてくんな。酒が不味くなる。ウォーガンなら送り出すよなあ?」
シュリアが声を掛けたのと同時に扉がひらいた。恰幅のいいウォーガンの腕に収まった紙袋は小さく見える。
「なにを送り出すんだ」
話がみえないと零しつつ、あいたソファに座ったウォーガンは紙袋から酒の肴を取り出していく。チーズや肉の燻製。
「お前は母親か」
「子供の自覚はあるんだな。俺は食えなんて一言も言ってないぞ」
「ぐにゃってなんのが無理。ショウカの実は食ってやる」
キノコのオイル漬けがテーブルに並んだ。瓶のなかには緑色の小さな実、ショウカも入っている。あの香辛料はピリッと抜けるような辛みが美味い。が、キノコに関してはラシードもシュリアと同意見だった。ウォーガンは昔から好んで食べていたが、なにが美味いのか分からない。
「ウォーガンの娘が嫁ぐ話をしてたんだよ」
燻製肉をかじりながら話題を戻したシュリアの言葉に、ウォーガンの表情は陰った。その娘は義父の片腕を再生したために、一ヶ月経った今も眠り続けているのだ。生きているとはいえ、笑って話せる内容ではない。
シュリアの前に置かれたグラスの酒が半分になったころ、ウォーガンの重い口がひらいた。
「ジルが望んだことなら、反対はしない」
その答えを聞いた赤茶色の瞳が、お前はどうだと再び問うてきた。火の聖堂に戻ってきたことで鎮まっていた不快感が、じわりと滲みだす。ラシードはそれを酒で一息に押し流した。からになったグラスをテーブルに置き立ち上がる。
「一杯は付き合った。失礼します」
前半はシュリアへ、後半はウォーガンに向けて断り、ラシードは応接室を後にした。




