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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
200/318

199 紙片と帳簿

視点:ユウリ

「これちょうだい」

「証拠品だからダメだよ」

「なら紙とペン」


 擦り切れた紙片から顔を上げた金髪の少年は、謙遜など知らぬとばかりにユウリの主へと片手を伸ばした。ローナンシェ領のいち自警団員が、タルブデレク領を治める大公にとっていい態度ではない。しかし聖女を支える大神官という役目が、二人を同じ場所に立たせていた。


 執務の手を止めたナリトに従い、ユウリはソファに座るクレイグへと予備の筆記具を差し出す。テーブルに広げられた一枚の紙。そこにはシアルトラングという植物から摂れる毒の精製方法が記されていた。


「次のローナンシェ行きは」

「火の聖堂には行かないのかな?」


 クレイグは鼻を鳴らすだけで何も答えない。熱心に動くペン先は真新しい紙に精巧な草本を描いていく。絵図の横には栽培や採取、毒の抽出方法が書き写された。それから橙色の瞳は丹念に原図と複写を見比べ、執務を再開していたナリトへと向いた。


「あんたは行くの」

「私は二ヶ月後に逢えるからね」


 今は七ノ月六日だ。行程通りなら聖女一行は九ノ月にタルブデレク領に入る。土の神殿があるローナンシェ領を訪れるのは五ヶ月後だ。ローナンシェ領は北、ガットア領は南に位置する。そのあいだ、東のタルブデレク領まで来たのだからと、主は土の大神官に渡航を提案した。


「変異体が増えた」

「民を優先して欲しいと怒られるだろうね」


 吐き捨てたクレイグに、拾い上げたナリト。紡がれた声音は異なれど、胸中を占める想いは同じだろう。本当は今も駆けつけたいに違いない。


 四日前の早朝、一羽の伝書鳥が邸に訪れた。火の大神官からもたらされた急報にナリトは動揺を隠しきれず、朝食の場に置かれたカトラリーを払い落としていた。カシャンと金属の打ち震える甲高い落下音に構わず席を立った主はユウリに帆船の手配を告げ、寸刻で取り下げた。


 先月末、蜜ノ月三十日に拿捕したジャバラウ商会の取調べが終わっていなかったのだ。


 船倉を埋め尽くすほどに積まれたコーヒー豆の樽底には、一握りの魔法石が隠されていた。それをジャバラウ商会の会頭は、船長が勝手にやった事だと関与を否定した。その上、どうやって魔石に魔法を籠めるのかと訊いてきたのだ。商会に余剰人員はない。人を攫おうものなら、それこそ魔法で抵抗されるだろう、と。


 魔法石の所持方法は二つある。一つは、自分で魔法を籠める方法。もう一つは、既製品を購入する方法だ。


 既製品は、商会が魔法使用者と契約して作製する。魔法封入には生命の危険が伴うため、一人一回とソルトゥリス教会から定められている。


 商会へ魔法を売りにくる者は押し並べて金銭に困っている。そのような者たちに二度、三度と封入させたのだろうと当たりをつけていた。実際、タルブデレク領にある魔宝飾店ではそのようにして作製されていた。


 ガットア大公の許可を得て、拿捕した当日にジャバラウ商会には捜査が入っている。しかしまだ、売買契約書、誓約書、会計帳簿などに関する報告は届いていない。不正はしていない、みつからないという自信からか。ジャバラウ商会の会頭はゆったりと構えた姿勢を崩さなかった。


 それが今日、わなわなと怒り崩れた。


 難航するかと思われた取調べは、火の聖堂から届けられた二つ帳簿と一枚の紙によって急転直下した。


 ――土の大神官様がいらっしゃって助かった。


 女神の福音と書かれたそれは、ユウリにはただの香草茶の作り方にみえた。それをクレイグは、幻覚や意識混濁を生じさせる毒薬だと指摘したのだ。その毒で魔法使用者を操っていたのだろう、と。シアルトラングは、ローナンシェ領の北部にしか自生していない珍しい植物だった。


 ガットア領の離島、ヴィリクルから帰領する船上でナリトは二通の手紙を認めていた。一つは土の大神官へ、もう一つは風の大神官へ。


 ラバン会頭から密輸船が停泊する港の情報を得た主は、件の港からタルブデレク領へと寄港する帆船すべてを検査、ということはしなかった。通関の強化は瞬く間に交易商たちに広まってしまうだろう。そうなれば当然、輸送船は航路を変更する。


 そこでローナンシェ領にいるクレイグへ協力を依頼したのだ。


 ジャバラウ商会と付き合いの深いローナンシェ領側の商会に近づき、輸送船の航行日程を聞き出して欲しい、と。郵便馬車は四日かかるが、伝書鳥なら一日で伝達が可能。鳥を操れるファジュルの間諜にもクレイグを支援するよう伝えているので、近々接触があるだろう旨も綴っていた。


 ナリトが出した二通の手紙。その締めはいづれも同じ言葉だった。


 『彼女の願いを叶えたい』


「で、いつ」

「定期船は三日後だ。臨時を出そうか?」

「宜しく」


 残りのコーヒーを飲み干したクレイグは複写図を手に立ち上がり、申し訳程度の謝辞を述べながら執務室を出ていった。公爵邸に用意された客室へと戻ったのだろう。五日前から滞在しているクレイグは、暇をみつけてはシャハナ家が擁する医薬研究所を訪れていた。


 主からの手紙を受け取ったクレイグは、二週間足らずで航行日程を報せてきた。もとよりリングーシー領の魔宝飾店でみた魔石の質に違和感を覚え、魔物討伐の傍ら独自調査を行っていたそうだが、あまりにも早い報告だった。


 そこでユウリは、少女の目的や近況を訊きくためにシャハナ公爵家へとやってきたクレイグに、経緯を尋ねてみた。


 すると、人形のように整ったどこか無機質な顔が一息に人間味を帯びた。眉間に深い皺を刻み一言、変態ジジイに訊いた、と吐き出された。女神ソルトゥリスの色を宿す、美しい顔をした少年。その繊細な唇が発した地を這うような声。そこからなにかを察したユウリは、それ以上追及しなかった。


「ガットア大公と、リングーシー大公へこれを」

「畏まりました」


 青い封蝋の押された書状を預かったユウリは主に一礼し、執務室を離れた。


 火の聖堂から届けられた一冊には、魔素信仰者とジャバラウ商会の間で行われた魔法石の売買が記録されていた。もう一冊には。


 ―― 一番の功労者は、商人を懐柔したハワード神官見習い様だな。

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