19 義娘と神官服
視点:ジル◇ウォーガン
ジルは口福を味わっていた。
なめらかなクリームにサクサクと歯触りの良い生地。クリームの上には甘く煮込まれた白い果物がのっており、噛めばしゃくりと柔らかく、香りが口一杯に広がった。
ナリトから貰った菓子折りは例外として、甘いお菓子は教養の講義、あるいは女神の降臨祭でくらいしか食べられない物だ。ジルは菓子を一口大に切り分けた。まだ何も食べていないエディの口元に、フォークを近付ける。
「はい、あーん」
え、と目だけで問いかけてきたエディに笑顔でうながせば、逡巡しながらも唇が開く。ゆっくりと噛んでいる様子から、エディも気に入ったようだ。二人で甘味を堪能していると、上方から低く玲瓏な声が降ってきた。
「仲睦まじいね。羨ましいよ」
「水の大神官様とカライト様も仲良しではありませんか?」
「ふふ、そうだね」
ナリトの青い瞳がなめらかな水面を描いた。ユウリは少し離れたところで、姉弟の猶父と話をしている。腕を組んだウォーガンは難しい顔をしていた。
◇
ジルが食堂で皿を洗っていた時、ウォーガンは北方騎士棟の執務室にいた。
各領地の教会に配置された衛兵から上がってきた報告書は、他の騎士棟にも届けられているだろう。これまでにも上級ランクの魔物が現れることはあった。しかしそれは六年に一度程度だ。だがここ数年は、正確には五年前からは毎年神殿騎士団が派遣されていた。それも四つすべての領地へ。
――五年前といやあ聖女様の。
「入れ」
ウォーガンは報告書から顔を上げた。規則正しく叩かれた扉の先へ、入室の許可を出す。黒地に橙の差し色が入った真新しい騎士服に身を包んだ青年が一礼の後に、書簡を差し出してきた。
「タルブデレク大公閣下の使いという方からお預かり致しました」
「タルブデレク? あそこは第三、第四の」
封蝋を破き、文字を追っていたウォーガンの目が止まった。額に手を当てて、大きなため息を吐き出す。三ヶ月ほど前に倒れた義娘は、次は一体なにをしたのか。
感情を窺わせぬ顔で控えていた騎士に書簡の返事を伝えれば、すぐさま身を翻した。その騎士が執務室を出る前に、ウォーガンは予定の変更を告げる。
「ラシード、今日の訓練は早めに切り上げる。残り時間は他のヤツに頼んでおく」
そこで初めて騎士の表情が動いた。髪と同じ鈍色をした眉が僅かに中央へ寄り、不満を示す。褐色の肌にともる朱殷の瞳はまるで熾火のようだ。
一ヶ月前まで、この青年は第五神殿騎士団に所属していた。十六歳という若さで騎士の昇格試験を突破したラシードの実力は、粗削りながらも確かなものだった。しかしその動きはすべて攻撃に附随したもので、回避はおろか防御すら行わない捨て身のそれであった。
人を、弱きものを護るのが騎士の務めだ。よしんば相討ちにできたとて、それは最低限の戦果だ。護り抜くには、立ち続けなくてはならない。その心得、技能を教えてやって欲しいと第五神殿騎士団の団長から頼まれ、堅牢の二つ名を持つウォーガンが預かっていた。
眉が動いたのは一寸で、入室時と同じ顔に戻ったラシードは短く答え、退出して行った。
午後の訓練を終え、ウォーガンはリシネロ大聖堂の東棟二階にある菊の間を訪れた。招聘者であるナリトから挨拶を受ける。話題が騎士達への労いからジルの容態に移ったとき、目を泳がせた本人が入ってきた。従者のユウリが主人に耳打ちした後、再び扉をくぐって出て行く。
「お手紙のこと、忘れていて申し訳ございませんでした!」
「呼び立てたのはこちらだ。逢えて嬉しいよ」
勢いよく腰を曲げたジルに、ナリトは鷹揚な笑みを浮かべて手を差し出す。その手をジルは和解の印だと思ったのだろう。握手を返していた。おかしそうに目を細めたナリトは手を繋いだまま、ジルとウォーガンを広間の一角に設えられたソファへと促した。
菊の間はその名の通り、菊花のような承和色の壁をしていた。濃色のソファが色調を引き締めており、明るいながらも厳かな雰囲気を醸し出している。ここは中規模の会合で使われるため、三人と給仕の者達しかいない今はがらんとしていた。
ウォーガンは奥の一人掛けソファを勧められ、ナリトはジルを連れて対面した三人掛けに座った。控えていた侍女がそつなく紅茶を淹れる。
――随分気に入られたな。
ジルは状況を測りかねているのか大人しくしていた。これから何を言われるのか、ウォーガンは仰ぎそうになる首を堪える。手元の紅茶が半分ほど減ったころ、ユウリがエディを伴って帰ってきた。出席者が揃ったところで、話が本題に入った。
「ジル嬢が神官となった折には、シャハナ家から神官服を贈らせていただきたい」




