197 放棄と御印
視点:セレナ
右腕から溢れでた聖魔法は光の帯となりウォーガンの肩に触れた。灼熱の火焔によって失った左腕を包むように光は形を変え、やがて収束した。
やわらかな光が消えたその場には、ジルをしっかりと両腕で支えたウォーガンが座り込んでいた。
『腕の欠損を癒した』
『次代の聖女様が降誕された』
居合わせた騎士二名は整然と、それでいて熱っぽく話した。
四肢の欠損を回復できるのは聖女だけだ。リシネロ大聖堂の奥深くで護られている聖女の御業を目の当たりにして、興奮しないほうが難しい。
それでも伝令使と救護員が理性的だったのは、混乱が死に直結する戦場に身を置く騎士であったこと、なによりも聖女は畏敬の対象であったのが大きいだろう。二人は戦場で騒ぎ立てるようなことはしなかった。
討伐の翌日、火の聖堂で報告を受けた第五神殿騎士団の団長シュリアは、伝令使と救護員に改めてかん口を命じ下がらせた。
変異した上級ランクの魔物討伐が行われている傍で起こった異変。
セレナはそれを、すんなりと受け入れた。自分の掌に御印が現れたといっても、聖女は何代にも渡り受け継がれているのだ。しかし自己回復能力は違う。以前きいた話の通りなら、生界史でも二人。今ではジル一人しかいないのだ。
――やっぱりジルさんは特別なんだ。
火の聖堂二階には大神官の居室がある。上から下に向かって淡くなる薄桃色の壁に囲まれた応接室のソファは金茶色で、見る者に華やかな印象を与える。しかし、この場にいる五人の空気は重たかった。
第六神殿騎士団の団長は戦後の指揮を執っており不在。ジルは救護員付き添いのもと、大神官の寝室で眠っている。消費した魔力は、体を休めることでしか回復しない。重たい水袋のような体に青白い肌。触れればかすかに感じる脈拍だけが、生きている証だった。
ジルはセレナに、幸せになって欲しいと言ってくれた。セレナはジルにも、幸せになって欲しいと思っている。
だから手伝えることはないかと、火の聖堂にある図書館で魔王の情報を探してみたけど、何もみつけられなかった。そうしている間にもジルは一人で行動し、魔物と戦っていた。
神殿騎士団からの一報でセレナとファジュルは火の聖堂に駆けつけた。寝台で横たわるジルを見た瞬間、セレナの目の前は真っ暗になった。直後、生きていると聴きその場にへたり込み、しばらく嗚咽が止まらなかった。
不安でなかなか寝付けなかった体は重たいけど、セレナの思考ははっきりと起きている。
「宜しければ証しである御印を拝見いたしたく」
正面に座った黒髪の騎士へ、セレナは両の掌を差し出した。聖魔法の発動を示す文様が二つ浮かび上がる。それを確認したシュリア、隣に居たウォーガンもソファから立ち上がり、その場で跪いた。
「非礼をお許しください。次代の聖女様ご降誕に感謝申し上げます」
「謝らないでください。御印が出ただけで、私はまだ聖女様じゃありません」
黒髪はシュリア。茶髪はウォーガン。首を垂れた二人の団長にセレナは言葉を重ねる。
「敬われることなんて、何もしてないんです」
「……聖神官として扱ってもよい、と?」
「シュリア」
「はい。お願いします」
ウォーガンの制止に構わず、セレナは仰ぎ見る赤茶の瞳へ頷いた。儀式を終えていない自分に魔素の浄化能力は備わっていない。戦場で治療を施すこともなく、ただファジュルの邸でジルやラシードの帰りを待っているだけだった。
「ふー、ありがたい。あんなめんどくせえ喋り方じゃ、まどろっこしくて話が進みやしねえ」
先ほどまで感情を窺わせなかった顔が一変した。シュリアはどかりとソファに座り直し、どこか獰猛な獣を思わせる笑みを浮かべている。こちらが本来の姿なのだろう。態度の変わりようにウォーガンは諦めの息をはき、セレナに非礼を詫びながら隣席へと戻った。
その様子を見ていたシュリアの視線が、応接室の壁へと向いた。その声は雑談でも交わすような軽い調子だった。
「ラシード、今の職務を言ってみろ」
「聖女様の警護です」
「ウォーガンの娘が聖女様だと知ってたのか?」
「いいえ」
「私がラシード様に頼んだんです……! エディ、ジルさんを護って欲しいって!」
胸元で握り締めた手に力が入った。たとえラシードの意思でなくとも、セレナは護衛騎士に頼み込んでいただろう。だから責任は自分にある。そんなセレナの主張を、シュリアは斬って捨てた。
「聖神官サマ、勘違いしてねえか。これは勅命だ。貴女がなんと言おうとラシードは聖女様の許に留まるべきだった。近くで交戦してると知ってたなら尚更だ」
「けど、そのお陰でアンタ等が逃がした魔物は居住区に降りなかったじゃないか」
「そりゃ結果論だ。それに魔物の逃走と職務放棄は別問題だ」
小さな舌打ちがセレナの横から聞こえた。論点のすり替えに失敗したファジュルはソファに背を預けたまま腕を組んだ。ラシードは入室してから壁際に控えており直立不動。受け答えは淡々としたもので眉一つ動かない。
「知っちまった以上、オレには上へ報告する義務がある」
「だったら忘れてください!」
声高に立ち上がったセレナへ、皆の視線が集中するのが分かった。少年へのお土産を買いに行くとジルは言っていたけど、鉱山に目的のものが売っているとは思えない。きっと聖女や魔王に関するなにかを探しに行ったのだ。なにも話してくれなかったのは寂しいけど。
――私にだって、できることはあるんだから!
「実は私、身代りなんです。本物の聖女様には、従者に変装して貰っていました」
「あの御印は?」
「シュリア様の見間違いです。討伐の翌日で疲れていらっしゃるんですね」
笑顔ではっきりと言い切ったセレナに、第五神殿騎士団の団長はくつくつと喉を鳴らした。




